広場に向かうと、猫族の男達が何かを警戒するように集まっていた。物々しい空気に不穏を感じた世平が、近くにいた甥の張蘇双に何事か問いかけた。

 蘇双は切迫した中性的な顔を叔父に向け、


「世平叔父! それが、曹操たちがやってきて……」

「世平おじさん! あそこ……確かに、曹操だわ。それに、夏侯惇もいる!」


 関羽がぎょっとして指差せば、猫族の男達の向こうには人間達がいる。その先頭に、馬に乗った武将が二人。


「おまけに、兵まで連れてきてんだ。あんなの村に入れられたら大変だぜ」

「確かに、少数だが軍勢も一緒だな。一体どういうつもりだ?」

「どういうつもりかどうか、聞いてみないとわからねぇか」


 世平は渋面を作り、唸る。
 ややあって蘇双達を見渡して、


「よし、俺が曹操と話をしてくる。オマエたちはここで待ってろいざという時は劉備様を頼むぞ」

「世平おじさん、わたしも一緒に行くわ」


 即座に申し出ると、周囲の仲間がぎょっとした。


「なんだと!?」

「大丈夫。曹操だって、そう、無茶なことはしないと思うの」

「待て。お前が行くと言うなら、俺も行こう」


 世平は関羽と趙雲を交互に見、苦笑混じりに溜息をついた。無理に曹操達と対立しないことを言いつけ、二人を従えて猫族達の合間を抜けて軍勢と――――奸雄曹操と対峙する。

 三人横に並んで、まず口を開いたのは関羽だ。


「曹操、今日は一体何をしにきたの?」


 威圧的に質(ただ)せば、曹操は秀麗なかんばせに笑みを浮かべる。手を伸ばし、気安く言葉を返した。


「……関羽か、久しぶりだな。会いたかったぞ」

「会いたかったって……。別にそれが用件って訳じゃないでしょう? ……村の様子を見に来たの? 大丈夫よ。特に変わったこともないわ」

「そうか。確かに、村のこともあるが、私がお前に会いたかったのは事実だ」

「なんだと?」


 趙雲が腰を低く沈め、声も低く唸るように言う。
 それに兵士や夏侯惇が得物に手をやるのに、猫族達も身構えた。一触即発の空気だ。

 だが、周囲の緊張など素知らぬ風情で曹操は言葉を続けた。


「このところ、忙しかったからな。そろそろ、お前の顔を見たいと思っていたところだ」

「で、でも、それならこんなにたくさんの兵を連れてこなくたって……」

「それも仕方あるまい。烏丸討伐のため、北へ向かうところだからな」


 烏丸とは、当時遼河上流の辺りを根拠地とする遊牧民族である。嘗ては匈奴(きょうど)に滅ぼされた東胡(とうこ)の子孫で、袁家の残党を匿ったということから曹操が討伐に乗り出しているのだった。
 それを知らぬ関羽は聞き覚えの無い名前に眉を顰(ひそ)めた。


「そうだ、烏丸の首領が袁家の残党を匿っていることがわかったのだ」

「袁家……袁紹の親族を? それで……来たの? もしかして、またわたしたちを、戦いに巻き込むつもり……?」


 ぞくり。
 肉を断ち、骨を折る――――人を殺す感触が、両手に蘇る。全身が粟立った。

 そんな彼女の心中を知らず、曹操の半歩後ろに控えた隻眼の青年が吼える。


「女、十三支風情がうぬぼれるなよ。烏丸ごとき、貴様らの手を借りる必要などない!」


 夏侯惇である。彼は、下邱の戦いで呂布軍の矢を左目に受け、片側の光を失っていた。
 隻眼にぎらぎらとした憎悪と僅かばかりの嫉妬、そしてまったき敵意を燃やし、関羽を馬上から睨め下ろす。


「いや、烏丸だけではない。呉の南征においても同じ事だ」

「南征……? 呉……?」

「まさか……! 曹操、まだ戦いを続けるつもりか!?」


 曹操の言葉の意を汲んだ趙雲が声を荒げた。
 兵士の何人かが剣を抜いたのを片手で制し、


「当然のことだ。袁紹を討ち河北を手に入れた今、私の次の目的は南征、つまり――――呉だ」

「呉だと? なぜだ。なぜ、呉を攻める。南征を行う道理など、どこにあるというんだ?」


 曹操は鼻で一笑に付す。


「くだらぬことを。私は、すべてを手に入れたい。それが私にとっての道理だ」

「オ、オマエという男は……」

「呉は強敵だ。戦うにあたり、お前たち十三支の力が必要になるだろう。烏丸討伐から戻り次第、すぐに南征を開始する。その時には、存分に働いてもらう。準備しておけ、関羽」


 関羽は眦をつり上げた。激情を拳を握って抑え込み曹操を睨め上げる。


「そんな命令、きけないわ」

「ほう?」

「貴様! 曹操様の命令に背くというかっ!」

「わたしたちは、もう戦いたくないの……。戦うのなら、あなたたちだけで戦って」


 もう、嫌だ。
 あの感触を感じたくない。
 嫌悪感を剥き出しにして夏侯惇を見やれば、忌々しそうに顔を歪める。


「そうやって。村に閉じこもったまま生きていきたい。そう言うわけか?」

「……そうよ。わたしたちは、人と関わらずにひっそりと生きていきたいの」


 それが、ただ一つの強い願い。
 けれども曹操は笑い飛ばすのだ。


「ふっ。小娘の戯言だな」

「なんですって!?」


 曹操は冷ややかに現実を突きつける。
 世は今や猫族を放ってはおかぬだろう。群雄割拠のこの乱世、猫族のみがその気分屋な嵐を、神出鬼没な竜巻から逃れることは出来ないのだ。曹操が幽州の猫族の隠れ里を訪れたのも、乱世の嵐が食指を伸ばした結果なのだろう。
 それは、嫌と言う程身に染みている。
 沈黙する関羽に、曹操は無情に言い放った。


「嵐に飛ばされたくないというのならば、せいぜい己を磨いておくことだな」


 曹操は身を翻して、夏侯惇と兵士を連れて猫族の村を後にした。急ぐ旅路のさなかに立ち寄ったのだ、足早に山を下りていく。

 姿が見えなくなって、ようやっと猫族達は緊張を解いた。


「……まったく、好き放題に言ってくれたもんだな」

「だが、曹操が言うことにも一理ある。猫族がどれほど平穏を望もうと、その力を欲しがる者は現れるだろう。たとえ、曹操がいなくなったところで、第二第三の曹操が現れるだけのことだ」

「……わたしたち自身が、曹操たちに抵抗できる力を身につけなければいけない。そういうことなの……?」


 確かに、そうでもしなければ平穏は維持出来ない。それは分かっている。
 けれどどうして自ら戦乱に身を投じるような真似が出来ようか。
 もう、戦は嫌だ。それは猫族皆の切実な思いである。

 関羽は目を伏せ、先の見えぬ未来を嘆いた。





























 アラシスサブスウジツマエノコト。



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