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 利天の攻撃は速く、そして重い。
 こちらの攻撃を巧みにかわし、即座に迫るその動きに一切の無駄も迷いも無い。表情も変えず常に冷静で落ち着き払い、幽谷は反撃の寸隙すら見いだせない。
 彼の動きはまさに熟練の技と言えた。

 こちらには無い経験が、重さとなって動きの一つ一つにかかる。
 一撃受け止める行為にすら、寸陰先を読めずに危機感を覚えるなど、幽谷には初めてだ。

 経験、それだけで格段の差が生まれてしまう。

 けれども奇異なことだ。
 目の前に迫る利天は幽谷よりも年下だ。多重人格者であるにしろ、生きた年月は幽谷よりも短い筈。だのにどうして圧倒的な経験の差を感じてしまうのか。それが、疑問だった。

 記憶が無いから?
 ……いや、きっと違う。
 記憶が無くとも、身体には武術が染み着いている。戦いに於(お)ける感覚は全てそうだ。
 それだけが理由としては薄いように思う。

 利天の攻撃を弾き後ろへ跳躍しながら飛ヒョウを投げつける。弾き返された。瞬く間に懐に入られる。顎に向かって足を上げるがこれも高く飛び上がられ当たらない。
 着地したのは背後。

 取られた!

 片足で地面を強く踏み締め身体を反転させ勢いのまま肘で打つ。屈んで避けられ下から双剣を同時に振り上げられたのを大きく仰け反って紙一重で回避、そのまま後ろへ倒れ片手を突き蹴り上げながら後転する。数本の髪の毛が、視界の端ではらはらと落ちた。

 体勢を整えて利天を睨めつけると、彼は片手で顔を覆って長々と嘆息した。


「見るに耐えんな。それでも女か」

「何……?」

「戦いの最中でも男に股を見せるな。いや、それ以前に体術も得意とする奴が、露出の激しい服を着るな。見苦しい」

「……」


 真顔で、緊張感を壊すことを言う。
 こちらの調子を更に乱す意図かと警戒するが、どうも……彼は心から幽谷の姿、戦い方に嫌悪を抱いているようであった。
 けれども、それが利天の余裕を物語っている。こちらは、まだ上手く戦えていない。未だ流れは彼にあるのだった。

 これ以上乱されてたまるかと、己に自制をかけ、気を引き締める。

 利天は、汚いものでも見るかの如(ごと)、冷たい目で見てくる。


「猫族の混血と言い、お前と言い、甘寧と言い……少しは砂嵐を見習え」

「砂嵐……?」

「華佗の嫁だ。……今、どうなっているのかは知らねえがな」


 一瞬、彼は遠い目をした。
 その隙を、突こうと思えば突けた。
 されども幽谷は警戒心から何もせず、黙って出方を窺う。

 利天は双剣を一度回し、今度は違う構えを取った。左膝を立て、剣を逆手に持った左手を地面に置き、前屈みになる。もう片方の剣は顔の前で横に倒す。右膝は地面に触れていた。

 まるで獲物に飛びかかる獣だ。
 我流だろう。こんな奇抜な構えなど、何処にも無い。記憶など無いのに、頭の中で我知らず断じる。

 睨み合ったのは寸陰。
 利天は腰を上げた直後に駆け出した。幽谷に突進し、一歩手前で左足を軸に右に回転、逆手に持った剣で幽谷の首を狙った。

 屈んで避けた次の瞬間幽谷は肘を曲げ側面の盾とした。
 腕に凄まじい衝撃。耐えきれずに身体は吹っ飛んだ。
 逆手剣の後に襲ったのは彼の蹴打。彼の力と共に回転の勢いも乗せた衝撃は幽谷の身体を容赦なく打った。

 片手で地面を殴りつけ身体を回転させた。体勢を整えて構え直した。

 利天は暇を与えずに肉迫し刃を振るう。鋭く重い刃が襲いかかる。

 一撃一撃いなし、幽谷は反撃の機を窺った。
 しかし、彼には一遍(いっぺん)の隙も無い。
 このまま消耗戦に持ち込むのか────そうなればきっと、こちらが負ける。

 幽谷は下唇を舐め、間合いを取り直す。
 また襲いかかってきた利天を匕首で薙ぎ払わんとし────。


 利天が、双剣を上に放り投げた。


「な!」

「遅い」


 幽谷の手首に手刀を叩きつけ、匕首を落とす。すかさずその手首を掴みぐいと引き寄せられた。
 顔が間近に迫った瞬間、彼の双眼が金色に染まる。

 澄んだ金色に澱んだ狂気を捉えた。
 ぞわり。戦慄が走る。
 なんて恐ろしい、憎悪、嫉妬、欲望、悲壮……果てない闇が、金の奥に潜んでいる。

 なんて、哀れな……。

 利天は幽谷に顔を寄せ、目を細めた。 


「あなたは……」

「見えるか。こいつの中に潜む闇が。お前が母と慕う甘寧が封印した化け物の怨念が」

「怨念?」


 母上が、封印した、化け物の……怨念。
 それがこの金の瞳に込められているというのか。

 冷たく燃える金に見入っていると、突如として利天が目を剥いた。幽谷の身体を突き飛ばし頭を抱え出す。


「っくそ……よりにもよって今来るか……!」

「……?」


 すぐさま間合いを取って匕首を拾う。苦しみ始めた利天の様子を注視した。
 彼にどのような異変が起こったのか分からない。頭が痛いのか、その苦しみようは尋常ではなかった。
 一体、どうなっているの……?
 敵を気遣うことなどはせぬが、剰(あま)りに苦しむ彼に対し、攻撃も憚(はばか)られる。

 対処への戸惑いが、この時は大きかった。


「が……あぁ……止めろ、止めろ!!」


 利天は怒鳴る。何かに向かって制止の言葉を放つ。身体を曲げ、膝を地面に付き、頭を抱えて身を捩(よじ)る。

 これは一旦城に戻り、早急に甘寧達にこのことを報せるべきだ。
 幽谷はそう判断した。身を翻した。


 されども。


 足下で、どろりと何かが這いずった。
 夜陰で不明瞭な地面に、何かが蠢いている。
 咄嗟にその場を飛び退いても、着地した地面にもその何かはあった。一体に広がっていると言うのか。

 闇に沈んだ何かは幽谷の足を撫でる。冷たい。冷たくて、おぞましい。
 触れただけで心がざわめいた。心の奥底から湧き上がるのは恐怖。本能がこの何かに脅威を感じ警鐘を鳴らしている。
 逃げなくては!
 幽谷は恐怖を振り切るように蹴り上げた。

 駆け出す。

 あれは、対峙してはならぬモノだ。
 決して……決して私には太刀打ち出来ぬ大いなる存在だ。
 よく見てもいないのに、心は断言する。己とは遙かに違う、刃を向けることすら許されぬ、穢れの中の最たる存在なのだ。
 私が、《あの方》をどうこうすると考えてはならない。

 だから今はとにかく逃げるべきだ。

 地面を這いずる何かは幽谷にそう思わせた。

 脇目も振らず幽谷は逃げる。
 城に、母のもとへ急ぐ。

 急ぐ────。


「 マ テ 」

「ひっ!?」


 肩を掴まれた瞬間、咽から短い悲鳴が飛び出した。
 強い力で後ろへ引かれ尻餅をついてしまう。慌てて立ち上がろうとするも双肩を押さえつけられ仰臥(ぎょうが)した。


 見た。


 金色の目をした、邪の塊。
 邪に染まった劉備など塵にも等しい圧倒的な闇。


「────」


 金色と視線が交差した刹那、幽谷の口かららしからぬ悲鳴が上がった。



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