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「────そうか。分かった。封統が必要と言う程の状態だったんだろう。婿、行ってこい。封統に会ったらこちらに来るようにと」


 尚香は甘寧の言葉にほっと胸を撫で下ろす。微笑を浮かべて甘寧に謝辞を述べた。

 甘寧の視線を受け、恒浪牙が尚香の案内で患者のもとへ向かう後ろ姿を見送る。
 扉が閉まった直後に、その目は鋭利な光を宿す。

 様子の変わった長に蒋欽は難しい顔をして唸った。


「お袋。今の尚香の気配は……」

「間違い無ぇな。張遼は呂布の気で動く人形……奴が入り込んで復活したのも頷ける」


 甘寧は腕を組み、舌を打った。珍しく焦りが顔に出ている。
 劉備が思った以上に金眼の力に抗いきれていないことが、彼女を焦らせていた。
 このままでは、彼女の描くように物事は動けない。

 最悪、甘寧の宿願を果たせぬまま────。


「婿の報告まで断言は出来ねぇが……尚香のあの気配。張遼に触れた際に奴に乗り移られたかもしれん」

「では張遼は? あのまま行かせて良かったのか」

「いや、平気だろう。尚香に移ったアレが死に絶えるまでは動ける筈。だが……周泰への影響が気になるところだな。劉備の邪気以外に身体の調和を乱すモノが現れたとなれば……孫権の側にも置いてはおけまい。いつ、《飢える》か分からない」


 甘寧は難しい顔をして後頭部を掻いた。
 周泰は、きっとその時になれば自ら命を絶つだろう。だから、それまで孫権や家族を守る為動こうとする筈。
 だが、それは甘寧達の望むところではない。でなければ何の為に甘寧が周泰を引き取ったか、赫蘭が彼を育てたか分からない。


「お袋は、もう《限界》だ。周泰もそのことは分かっておる。根気良く諭せば、自重をしてくれるかやもしれんぞ」

「いや、その逆だ。お前も、あれの一族に対する思いの強さは知っているだろう。何を言っても折れはせぬだろうて」


 だからこそ、愛おしい息子。
 甘寧は溜息を漏らす。


「オレは、一族の誰の命も散らすつもりはねえよ」


 散るのはたった三匹だけだ。
 ぼそりと呟く甘寧を蒋欽は厳しく呼んだ。視線で咎める。

 甘寧は蒋欽を見上げ、肩をすくめて見せた。

 何も、言わぬ。



‡‡‡




 恒浪牙に言われ訪れた甘寧の部屋には、蒋欽もいた。
 後ろには張遼の身体を抱えた恒浪牙。苦々しい顔で甘寧を見つめる。

 甘寧も、いつになく強ばった顔をしていた。自由気儘を絵に描いたような彼女が、珍しい。

 異質な様子に封統は剣呑なものを感じながら、甘寧の前に立った。恒浪牙は、甘寧に断り寝台に張遼を横たえ蒋欽の隣へと移動する。


「で、どうだった訳? 尚香」

「……」


 甘寧はちらりと恒浪牙に視線をやる。

 恒浪牙は渋るような顔をして、頷いた。


「……そうか」

「ちょっと。二人で納得し合わないでくれる?」

「ああ、悪ぃな。婿の見解を確認しただけだ。その上で答えてやれる」


 恒浪牙の見解を知った上で答えなければならない?
 封統は怪訝に眉根を寄せた。甘寧だけの見解で話せないという点に、嫌な予感を覚える。


「張遼の身体の中に、金眼の同類が入っていた。それが、尚香の身体に移動した可能性が高い」

「……金眼の同類?」

「名を白銅。呂布に食われた妖さ。オレの記憶が正しければ、あれは金眼を異常に崇拝していた筈」

「そういえば……そんなん聞いたような覚えはある。じゃあ呂布の気に似ていたのはその所為?」

「一度吸収されて呂布の気に馴染んでるんだろうさ。張遼の身体に宿っていたのも、呂布の作り出した人形だからだろう。居心地は悪くなかった筈だ」


 じゃあ何故尚香の身体に乗り移ったのか?
 ……思い当たる節が、一つ。


「劉備の傍にいるから、金眼の気配が尚香に移ったのか」

「金眼と接触を図ろうと乗り移ったんだろう。……こんな時に、悪いことが重なりすぎてる」


 吐き捨てるように、恒浪牙。

 甘寧も、焦りを帯びた憂い顔だ。
 こちらの懸念を煽っているような二人に、蒋欽も硬い表情をしている。

 事態は、余程深刻らしい。
 その理由は、やはり、


「長の力じゃ、玉藻相手で手一杯ってところ?」

「そういうことだ」


 甘寧はあっさりと首肯した。


「白銅は、劉備に任せるつもりだった。金眼の邪を負かし完全に我がものと自在に振るえるようになれば、力に惹かれて白銅は劉備の前に現れる。金眼に比べればあれも弱い。猫族で相対せば、倒せぬものでもない。婿もその中に加え、手伝わせるつもりだったしな。だが、劉備は今なお金眼に抗いきれんし、予定外に白銅が近すぎた」

「……思惑が外れまくって対処に困ってるって感じか。周泰はどうするんだよ。二重の邪気に触れればあいつも、」

「それも今、悩んでいてな。あいつは多分、暴走した瞬間にでもオレ達に殺させるか自ら死ぬかで、あくまで役目を果たそうとするだろう。暫くは、あいつと、加えて尚香の様子を見て考える。ただの人間でしかない尚香の身体だ、あの子への影響も気になる」

「幽谷には報せる?」

「いや、隠せ。白銅の気配はお前が術をかけて誤魔化しておけ。無理なら婿も手を貸せ。幽谷には、決して報せるな。あの子のことだ、尚香の異変に平静を装ってはおれまい。尚香自身にも周りにも襤褸(ぼろ)を出されてはこちらがやりづらくなっちまう」


 そうしなければ、本当の脅威、玉藻を倒せない。
 玉藻に比べれば金眼や白銅は可愛い子供だ。だから猫族に任せるつもりであったのだ。それが不安な展開になっているが、甘寧はもう暫くは劉備に賭け、様子を見ながら玉藻到来に集中するだろう。

 けれどもあれを今の甘寧で討ち果たせるのか分からない。

 子供の姿の九尾を見つめ、封統は頷いた。


「分かった。そのようにしとくよ。おいクソ天仙。手伝え」

「……良いのか?」

「良いのかどうか、僕が判断することじゃない。白銅や玉藻なんて、詳しいことは僕はほとんど知らないし。知ってる奴の指示に従うしかないだろ」


 恒浪牙は渋面を作る。

 尚香のことが気がかりでないと言えば嘘になるが、封統は自覚しているのだ。
 自分がどうこうしたいと思っても、結局はどうこう出来る力を持っていない。
 憎い劉備に潜む金眼は勿論、白銅にすら、敵わないだろう。呆気なく食われて力に変換される。
 なら、甘寧の指示通りに従順に動くのみだ。

 周りが思うよりも、封統は己の非力さを割り切っている。



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