夜も明けきらぬ森の中を趙雲は一人歩いていた。
 ただの気まぐれである。朝日が顔も出さぬこの時刻に目覚めてしまった彼は、そのまま寝るよりは付近の山を歩こうと思っただけ。
 まだ視界の暗い夜だからと、比較的平坦な山道を選んだ。ある程度登れば途中で引き返すつもりであった。
 腐葉土を踏み締め、一歩一歩確かめながら進む。

 ……されども。
 不意に右の斜面の上から、茂みの揺れる音がしたのだ。
 趙雲は足を止めて視線を上げた。


「動物か……?」


 暫くその場にじっとしていると、また茂みが揺れる。
 それに加え、


「あ、待ってっ」


 慌てふためいた女性の声がしたのである。
 何かを追いかけるように茂みの音と共に急速に離れていく。
 猫族の誰かが、こんな暗い山の中に入ったのだろうか。
 だとすれば一人では危険だ。今のうちに戻るように言わなければなるまい。

 趙雲は足早に女性を追いかけた。
 だが、今の声をした女性が、猫族にいただろうか?
 猫族とはそれなりの時間を共に過ごしているが、誰の声、とはっきりと判断出来ない。聞こえた声は一瞬だったからかもしれないが……。
 長く、緩やかな坂を上って行けば、開けた広場に出る。季節ごとに愛くるしい花を咲かせる、猫族の間でのちょっとした名所だった。

 その奥に、一人の女性がいた。
 座り込む彼女の後ろ姿を見た趙雲は目を剥いた。

 女性は、猫族ではなかった。かといって人間とも言い難い。
 何せ――――全身が発光しているのだ。
 目を刺す程に強くもないが、辺りも照らせぬ程に弱くもない光は、付近を照らしながら女性の姿を浮き上がらせる。
 趙雲と、さほど年の変わらぬ妙齢の女性である。何かを大事そうに抱えた彼女はゆっくりと立ち上がり身体を反転させた。

 そして、固まる。


「あ……」

「!」


 趙雲は再び瞠目。女性のかんばせに釘付けとなった。

――――赤と、青。
 色違いの双眸が困惑したように揺れながら、趙雲を捕らえている。

 驚くべきはそれだけではない。
 彼女の顔の横だ。
 こめかみを隠す黒髪から左右に飛び出した三角形は、どう見ても獣耳である。猫のものではないし、頭の上にある訳でもない。

 目の色だけならばその存在に心当たりがあるが、初めて見る猫族以外に人間の身体に獣耳を持った存在に趙雲はただただ戸惑った。

 しかし、何故だろう。
 彼女に何処か、既視感を覚える。
 女性のような身形であれば記憶に鮮明に残る筈だけれど、何一つ掠らない。

 渋面を作る趙雲に、女性は腕に抱えたくすんだ水色の布包みを抱き締め、一歩後退した。


「……あっ、すまない。驚かせてしまったか」


 大股に近付くと、その分だけ女性は退がる。
 無理に近付こうとすればより警戒されてしまう。
 そう判断した趙雲は足を止め、警戒心を煽らないように穏やかに笑みを浮かべて話しかけた。


「声が聞こえたので、もしや村の者が山に入っているのではないかと思って追いかけてきたんだ。こんな暗い時間に女性が一人で歩き回るのは危険だ。良ければ俺が麓まで送っていくが……」

「……必要ありません」


 女性は無表情に素っ気なく答えた。それにも覚えがある。
 出会ったことは無いというのに……奇異なことだ。

 ある筈のない記憶を手繰りかけた趙雲に頭を下げ、すぐ側の茂みに飛び込んだ。


「! 待ってくれ!」


 急な斜面を身軽に駆け上っていく姿はさながら獣だ。猫族ですら、あのように登れまい。
 全身から放たれていた光が消えれば、もう彼女が何処にいるか分からない。
 趙雲は女性が走り去った方を見つめ、暫しその場に佇んだ。

 改めて女性の姿を思い出し、首を傾ける。
 見たことがあるなんてある筈のない覚えを抱いたのもそうだが、彼女の耳や目もそうだ。

 色違いの目は凶兆の証である。

 この世には猫族の他に人間に厭われる存在がある。
 《四凶》である。
 いつの頃からか人間達の間で生まれるようになった色違いの目に、身体の何処かに四凶のいずれかの特徴を痣として刻んだ赤子。
 人間達はそれに恐怖し、生まれれば直ちにその命を殺めた。

 四凶は殺せ――――暗黙の掟故にその存在は世に出ていないと思われていた。
 趙雲も、よもやこの兌州の山奥で妙齢の四凶を目にするとは夢にも見なかったことである。


「あれが、四凶……なら、あの耳も四凶の特徴なのか?」


 けれど、それ以外に人間の女性とは何も変わらないような気がする。
 色違いの目も不吉では決してなく、宝石の如くとても美しい濡れた光を放っていた。もっとじっくりと見ていれば良かったかと勿体なく思うくらいに。

 もしかすると、彼女は人目を避けて旅をしているのかもしれない。
 四凶であることを隠し、人気の無いこんな山に隠れて……。


「……また、会えるだろうか」


 会えると良い。……いや、会いたい。会って面と向かって話がしてみたい。
 話せば、何処で出会ったのか分かるかもしれない。

 それまで、このことは誰にも言わずにおこうか。

 何となく得した気分になって、趙雲は口角を弛めた。










































 アラシスサブヒノアサノコト。



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