趙雲に、少し散歩をしないかと誘われた。
 尚香のことがあるからと断ろうとしたがそれよりも早く、尚香が強く勧めてそのまま決定されてしまった。封統が遠くから尚香を見守ってくれてはいるのだけれど、劉備のことがあるからなるべく自分が彼女の傍にいたいのに、それは許されない。正直、母の思い付きが恨めしく思えた。

 仕方なく趙雲との散歩に従っていると、彼は甘寧と蒋欽のことを訊ねてきた。
 とは言え、彼は広間で甘寧の性別と姿が変わっていることに驚かず、平然と流している。
 話す前にそれについて訊ねると、猫族からすでに話を聞いていたからだった。……いや、仮に聞いていなかったとしても、彼ならば柔軟に容易く受け入れてしまうかもしれない。彼を見ていて、そんな風に思えてきた。

 これから共に戦う狐狸一族の長である甘寧と、母の意志を事前に汲み弟達を統括する蒋欽を、彼が知るにはあまりに時間が少ない。加えて蒋欽は諸葛亮や周瑜と曹操との戦について話し合うことも多かろう。幽谷や周泰から、それぞれ二人をどう思っているのか、彼らに近しい者達から印象を聞きたいらしい。
 長が猫族の祖と親しくしていた者であり、彼女の一族が来(きた)る大戦で味方となる者だから、彼なりに出来うる限り二人のことを理解して信頼をしたいのだった。

 幽谷もそれ程二人のことを知っていはいないので、印象と普段の姿だけしか話せない。
 趙雲は、それだけでも良かったらしい。


「周泰の話でも同じ印象を抱いたが……甘寧殿も蒋欽殿も、仲間――――いや、家族思いなのだな」

「狐狸一族の兄達は、皆そうです。来たばかりの頃は、毎日のように兄達が構って下さいました。お陰で、一族にもすぐに馴染めました」

「それは単に、妹が出来て嬉しかったんだろう。周泰が、狐狸一族の者達は皆、幽谷と封統に対してとても過保護で、蒋欽殿が頭を悩ませていると言っていた。そんな蒋欽殿も、妹達には随分と甘いらしいが」

「大兄上は、特に家族を大事に思っておられますから……他の兄弟以上に新入りの私達を気にかけて下さいます」


 その次くらいに、周泰が並ぶ。
 甘寧、蒋欽、周泰。
 この三人は段違いに家族に対する思い入れが強いらしい。まださほど長くいる訳ではない幽谷でも、それはよく分かった。だから、沢山の兄弟をよく見ていて、一人でも体調の悪さを隠している者がいればすぐに気付いて対処してくれる。
 狐狸一族は、皆等しく幽谷の世話を焼こうとしてくれる。家族として認められているのだと思って、それがとても嬉しい。
 そう言うと、趙雲はほ、と吐息を漏らした。


「そうか……どうやら、俺が思うよりも付き合いやすい御仁のようだ。蒋欽殿も、狐狸一族の者達も。安心したよ」

「それは、ようございました」


 自分の説明で、そう判断してくれたことに安堵する。
 趙雲は幽谷に笑いかけ、謝辞をかけた。


「ありがとう。後程、暇があるようなら二人と話をしてみよう」

「母上は気分で動くことの多い方ですが、大兄上はとても話しやすい方だと思います」


 正直、面倒な話になりそうで甘寧に話しかけるのは止めて欲しいが……それが戦の為だから言おうにも言えない。
 戦が近いと言えど、母には関係ない。
 でなければ幽谷の婿探しなどしよう筈がないし、孫権と劉備の話し合いの場でもその話を持ち出す筈がない。
 甘寧は、気分屋で人間の枠組みには決して収まらない。収まってはならない存在だ。
 でもだからと言って――――。
 溜息が漏れそうになって慌てて口を閉じる。

 幸い、趙雲は気付かなかった。
 気付く訳がなかった。何故なら幽谷の少し後ろで足を止め別の方向を見ていたからだ。
 幽谷もそちらを見やり、眉間に皺を寄せた。


「また、あの人……」


 ……周瑜である。
 関羽に言い寄――――り過ぎて抱き締めている。関羽が劉備のことで悩んでいる隙をついたのだろう。
 助けに入ろうとする趙雲を制し、幽谷は周囲を見渡し近くで羽繕いをしていた烏を呼んだ。
 烏が四霊である幽谷の呼びかけに応じ、即座に反応して飛び立ち近くの木に停まる。


「あの男(オス)を攻撃して欲しいの。あの猫族の少女が彼から逃げられるまで、目玉を抉り取るくらい容赦なく責めてあげて」


 烏は、声を上げず両手を広げて応えた。
 周瑜に気付かれぬよう――――本人は関羽に夢中なようで、気を付けずとも気取られそうにないが――――真っ直ぐ飛んでいく。
 そして、頭を鋭い爪で蹴りつけた。


「いてっ!?」


 本当に容赦がなかった攻撃に周瑜が関羽を解放して周囲を見渡した。頭上すれすれを通過した烏を見上げ、また首を巡らせた。
 そして幽谷に気付き、焦ったような声で幽谷を呼んだ。

 が、幽谷は無視である。
 制止に従ってくれた趙雲に頭を下げその場を歩き去る。少女が無事に周瑜の魔の手から逃げるまで、そう指示をしているから、烏はしつこく周瑜を攻撃するだろう。
 趙雲にそのことを教えると、彼も安堵した風情で肩から力を抜いた。

 だが、もし今後幽谷達のいない場所で関羽に強引に言い寄って困らせてしまうのだとすれば――――。


「――――この辺の動物達に、警戒しておくように頼んでおこうかしら」


 それなら安心出来そうだ。
 ぼそりと、呟く。
 丁度、蛇が近くを通りかかり、幽谷に近付いてきた。
 幽谷は屈み、蛇を腕に取る。腕にゆるりと巻き付いた。

 趙雲は、うっとりとしたような蛇を、興味深そうに眺めた。


「四霊には、毒を持った蛇すらも懐いて気を許すのか……お前達に寄ってくる動物達の様子を見れば、四凶であるとはとても思えないのだがな」

「……長年の慣習など、一朝一夕には変えられません。四霊としてと言うよりも、私はただ、私として在るだけですから。兄も、同じだと思います」


 蛇の身体を撫でると、蛇は肌の上に頭を載せる。
 ゆったりと落ち着いた姿に幽谷は目を細めた。

 しかし、蛇が不意に首を擡(もた)げて前方を見やった。
 つられて視線をやると、銀髪の猫族が、大股に歩いてきている。
 劉備だ。
 彼は幽谷と趙雲に気付くと、笑って歩み寄ってきた。


「ああ、趙雲。丁度良かった」

「劉備殿。俺がどうかしたか?」

「蒋欽殿が、猫族の皆とじっくり話をしたいから、趙雲も見かけたなら呼んで欲しいって。夕餉までは広間で子供達と遊んでいるから、暇が出来たら……」

「いや、今から行こう。俺も、先程まで蒋欽殿について幽谷と話していたんだ。蒋欽殿からのお誘いなら、是非」

「そう。蒋欽殿も喜ぶよ。……ああ、そうだ。だったら幽谷の手を借りても良いかな」


 ふと話を振られ、首を傾ける。
 彼は、関羽を捜しているのだと言った。恒浪牙が諸葛亮に、今後周瑜が関羽を困らせるかもしれないと冗談混じりに言っていたのが気になって、彼女の様子を確かめたいのだそうだ。
 ……確かに、困らされていた。つい先程まで困らされていた。
 幽谷はちょっと考えて頷いた。


「先程お見かけしましたので、ご案内します」

「ありがとう。ごめんね、二人共」

「いや、構わない。それよりも関羽のところに行ってやってくれ。先程周瑜に絡まれていたのを幽谷が動物に頼んで助けてもらっていたからな。もしかしたら、もうすでに周瑜から逃げ出しているかも知れない」


 劉備の顔が、一瞬ひきつった。
 けれど平静を装って頷き、趙雲にもう一度謝って幽谷を呼ぶ。


「それじゃあ、行こう。幽谷」

「はい」



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