船上では、幽谷は尚香の側に控えながら周瑜の体調にも気を配った。
 周泰が側に付いてくれているが、彼とて蒋欽や甘寧に呼ばれて周瑜から離れる時もある。そんな時は、さり気なく封統が周瑜の近くに立った。封統も、周瑜の体調の変化の機微には気が付いていたのだった。

 劉備の監視、尚香の護衛、周瑜の様子見、鳥達に協力してもらっての偵察――――狐狸一族がそれらをこなしつつ、江夏城へ到着する。

 猫族達は呉の船で戻ってきた劉備達に、同盟が無事結ばれたことを悟った。
 皆一様に安堵するも、彼らは――――張飛達以外の猫族は、気まずげに距離を取って話しかけてこようとはしなかった。
 彼らに目を向けた劉備の顔が稀に寂寥(せきりょう)に陰るのは、誰にも分かる変化だった。

 ただ、甘寧は劉備の背中を殴り、さっさと船を下りていく。


「寂しがる暇があるならさっさと降りろ。時間の無駄だ。それ程悠長していられる相手じゃねえってのは、お前が一番分かってる筈だろ」


 甘寧は厳しく良い、蒋欽を伴って桟橋に立つ。

 幽谷と尚香など、呉の者達も狐狸一族の長に従い劉備達に先んじて船を下りた。
 蒋欽だけは劉備に笑いかけ陽気な声で降りてくるように促してくる。

 劉備はそれにぎこちなく笑い、諸葛亮と並んで歩き出した。

 江夏城内に入って尚香の荷物を客室に運び込んだ幽谷はすぐに、大広間に先行した尚香のもとへと戻った。


「ありがとう、幽谷」

「いえ。……今、椅子をご用意致します」

「構いません。皆さんお疲れなのですから、私一人が休む訳にはいきません」

「承知致しました」


 一歩退がり、同じく荷物を運び終えた劉備達が戻ってくる。
 諸葛亮と周瑜から話は聞いている猫族――――といっても張飛達だけに限ったことなのだが――――に労(ねぎら)いと祝いの言葉をかけられた。


「まさか本当に呉と同盟が組めるなんて! さすが劉備様だなっ!」

「いやー、劉備がどんどんすげーヤツに見えてくるな」

「何言ってんだよ! 劉備様は最初っから、オマエなんかよりずーっとすごいだろ?」

「そうそう、張飛なんかと比べたら失礼だよ」

「んだとー!」


 自然な姿だ。
 彼らだけはいつもの姿で劉備に接する。

 ただ――――奇妙ではあった。
 少し離れた場所で劉備の様子を窺う猫族に、以前のような恐怖は無かった。
 今は何処か……ただ劉備に近付くことを遠慮しているような、嫌な感じでは決してないのだった。
 呉にいる間に、彼らの中で何かあったのだろうか。


「みんなに喜んでもらえて良かったよ」

「ありがとうございます、劉備様!」

「うん……」


 しかし劉備は、猫族の態度の変化に気付いていないようだった。
 劉備の様子を気にしてばかりの関羽も気付いているか怪しい。

 ちらりと猫族に視線をやって眦を下げた長に、蘇双が気付き少しだけ声を大きくした。


「ああ、そうだ。劉備様。みんなが、劉備様に言いたいことがあるそうなんですが、少しいいですか?」

「僕に……言いたいこと?」


 劉備の目に怯えがよぎる。
 それを払拭するように、猫族が一斉に劉備に駆け寄りその場に膝を付いた。前列の者などは、劉備に触れてしまいそうな距離だ。

 驚いてたじろぐ劉備に、猫族は口々に言った。


「劉備様……呉への出立前に大変失礼な態度をとってしまって、申し訳ございませんでした」

「りゅ、劉備様。ワシらを、お許しください」

「オレたち、劉備のあの姿を見てびっくりしちまって……、その、どうしたらいいのかわからなかったんです」


 劉備は瞠目したまま唇を戦慄(わなな)かせた。
 猫族の言葉は、まだ続く。


「ですが、劉備様は怖がるワシらを、それでも助けようとしてくださる。やはり劉備様こそ、ワシらの長なんじゃ」

「正直、金眼の呪いってやつは、まだ怖いです。でも、それでもオレたちは、そんな劉備様についていきます」


 劉備も、関羽も。
 思わぬ事態に顎を落とした。


「なあ、劉備。猫族の子供たちのなかで、こんな歌がはやってるの知ってたか?」

「歌……?」


 張飛が、関定と蘇双に目配せする。
 関定は大きく頷いて応えた。が、蘇双は途端に気まずそうに軽く俯いてしまう。関定に肘でつつかれて眉間に皺を寄せて口を開いた。

 二つの声が重なって紡いだのは、拙(つたな)い音律の、拙い歌だった。


 白い劉備様は 優しい劉備様
 いっつも みんなのために
 がんばってる

 黒い劉備様は 強い劉備様
 とっても 怖いけど
 みんなを 助けてくれる


 歌い終わると蘇双が顔を背ける。彼の頬は、赤かった。

 関定も、擽(くすぐ)ったそうに笑う。


「こんな歌だそうです」

「僕の歌……」

「子供らに教えられました……。ワシらが目にした劉備様のお力は、確かに恐ろしい。じゃが、子供たちは、その力が誰のためにふるわれたか……ちゃんと見ておったんです。ワシらは、甘寧様のお陰で知ることが出来ました」

「え?」

「あのお方が、なまじ知識の付いた大人の中で答えが出ないなら、無邪気な子供を見ていれば良いと、ご助言を下さったのです」


 猫族の老人は部屋の隅で己の尻尾を椅子にして座る甘寧に目を向け深々と頭を下げ謝辞を言う。他の猫族も同様に狐狸一族の長に謝意を示した。

 甘寧は無表情だ。見定めるように、劉備を見つめている。猫族の礼には応えなかった。ただ、片手を振って話を続けさせた。

 それを受け、


「……劉備。オマエはさ、誰も彼も手当たり次第に殺してたわけじゃなかっただろ。猫族のみんなには、決してその力を向けなかった。あの時のオマエがなんて言おうとさ。オレたちは、劉備を信じてるぜ」

「そうですよ、劉備様」

「劉備様はボクたち猫族の、長ですから」


 劉備は身体を震わせた。


「みんな……みんな……。本当に……本当にありがとう。こんな僕に……ついて来てくれるんだね……ありがとう……ありがとう、みんな……」


 猫族に深々と頭を下げ、涙を堪える。
 ゆっくりと甘寧を振り返り、礼をする。
 甘寧は無表情にまた片手を振った。


「感謝する相手を間違えるな。気付いたのはお前が守るべき猫族の奴らだ。オレは、ただ独り言を言って、それをたまたまそこの老いた坊主が聞き拾っただけのこと。感謝の大安売りは止めろ」


 素っ気無く言って、欠伸を一つ。
 蒋欽が笑って肩を震わせるのに、肘で脇腹をど突いていた。相当の痛みがあったのか、笑いながらも蒋欽は痛がり脇腹を撫でた。



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