尚香が、劉備について行きたいのだと幽谷に打ち明けた。
 勿論幽谷は反対し、少ない言葉で諫めた。他の侍女達も同様の反応だった。
 けれども尚香は頑なで、どうしてもと嘆願され、押し切られてしまった。

 周瑜達には封統が報せることとなり、尚香は劉備に頼み込もうと荷物を早急にまとめ、幽谷を伴って劉備のもとへ向かった。今はもう出航の準備も終わっている筈だ。

 兵士達の行き来する港に至り、幽谷は荷物を持ってくれた従者達をそのまま待たせ、尚香を抱き上げての手前から跳躍。軽々と甲板に着地した。

 たまたまそこにいた諸葛亮に驚かれたものの、尚香が先んじて用件を話すと、快く劉備のもとへ案内してくれた。
 劉備は、関羽と話していた。

 尚香が唇を引き結んで幽谷の外套を掴んでくる。無意識だ。


「劉備様、少しよろしいですか?」


 諸葛亮が二人の空気を壊すように強い口調で断りを入れると、関羽は大袈裟なくらいに劉備から距離を取った。諸葛亮の後ろに尚香の姿を認め、眦を下げた。


「諸葛亮。それに尚香様も……」

「劉備様。尚香様が、劉備様にお願いがあるそうです」


 劉備は首を傾げた。
 尚香に彼の視線が向くと、尚香は幽谷の外套から手を離し劉備に歩み寄る。


「あの……できましたら、尚香とお呼びくださいませんか? あと、そんなにかしこまらないでください。私、少しずつでも劉備様と親しくなりたいんです……!」


 両手に拳を握り、言い募る。

 劉備は少し間を置いて、柔らかな微笑を浮かべた。頷く。


「じゃあ、僕のことも劉備と呼んでくれないかな」


 尚香はぱあっと花が咲いたように笑顔になった。頬を紅潮させ、はにかみながら笑う。


「あ、ありがとうございます! でも、まだそれは恥ずかしいです……。私は劉備様と呼ばせていただきます。尊敬する未来の夫ですもの。でも……いつか呼ばせてくださいね」

「うん、わかったよ」


 尚香は心底嬉しそうに相好を崩している。
 けれども思い出したようにはっと肩を軽く跳ねさせて、本題を切り出した。


「それで、劉備様……。もう一つお願いなのですが……私も一緒に連れて行ってくださいませんか?」

「え!?」


 関羽も劉備も、当然驚き、渋面を作った。


「でもそれは……僕たちはこれから戦場に向かうことになる。あなたを連れていくには、危険すぎる」

「危険は承知の上です……。それに、危険なのは劉備様も同じこと。危ない戦地へ赴かれる劉備様をお傍で支えたいんです。……一時も離れたくありません」

「でも……」

「劉備様」


 食い下がる尚香を援護するように、諸葛亮が口を挟む。


「我々は尚香様をお連れになってよろしいかと」

「諸葛亮……」

「猫族へ同盟の件を伝える際、尚香様がいらっしゃればこれほど心強いことはありません。また、ここには周瑜や狐狸一族が付いている上、幽谷は尚香様の侍女。戦いの際、尚香様には安全なところにいてもらえれば問題ないかと」


 ちらりと視線を向けられた幽谷は、劉備を見据え、拱手する。


「この命を懸けて、《何人(なにびと)からも》我が主をお守り致します故に」


 何人からも――――その言葉には邪に染まった劉備も含まれていることは、言うまでもない。
 劉備への牽制を込めて、力強く告げた。

 劉備だけではなく尚香にもそれは伝わっただろう。封統から警告を受けている彼女は、幽谷の外套を摘んで引っ張った。けれども、幽谷は言葉を取り消しはしない。
 尚香は、主であり、記憶の中で一番の大事な友人なのだ。何をしてでも、傷つけさせたくはない。

 劉備は幽谷を寂しそうな目で見ていたが、目を伏せ、静かに同意を示した。


「……そうだね。確かに幽谷がいれば尚香様はまず安全だ。それに甘寧様達がいる。……それなら、一緒に行こうか尚香」

「……っ、はいっ! ありがとうございます、劉備様。私がお傍で劉備様を支えますね。私、頑張ります!」

「うん、ありがとう。あ、それなら尚香の荷物を積まなきゃいけないね。手伝うよ」

「いえ。私が参ります故」


 二人に拱手して、関羽に目を向ける。
 彼女は、また泣きそうな顔をしている。葛藤が窺えるが、彼女の顔に尚香も気付いており、申し訳なさそうな、切なそうな――――関羽とはまた違う泣きそうな顔をちらつかせる。
 尚香は必死に隠そうとしているが、表情を上手く操れていない。
 対して関羽は……自分の表情に気付いているかも分からない。

 このまま荷物を取りに行っても良いのだろうか。そう思い諸葛亮を見やると、彼もまた無表情に関羽の様子を見つめていた。
 関羽に歩み寄り、一言二言かけて共に船尾の方へ歩いていく。すれ違い様、荷物を運び入れる場所を指示された。

 幽谷は彼に頷き、足早にその場を辞した。

 桟橋で待っていた従者から尚香の荷物を全て受け取ろうとしたけれど、さすがに多い。
 従者が手伝うと言ってくれたので有り難く受けた。申し訳ないので、重い物は幽谷が持つ。

 歩き出そうとしたところで――――横合いから幽谷の荷物が第三者に奪われた。


「これ、何処に運べば良いんだ?」

「……周瑜殿」

「アンタはそっち」


 従者に視線で促し、荷物を手渡される。
 幽谷はさっさと船に乗り込む周瑜を語気を荒げて呼び、従者に何度も礼を言って追いかけた。

 幽谷が持っていた荷物はとても重い。
 猫族とは言え、病み上がりに持たせて良いものではない。なんだかんだで、やはり未だ彼の体調を気にしていた。

 追いつき隣に並び、荷物を少しでも取り返そうと手を伸ばす。避けられた。


「周瑜殿。あまり無理をされては」

「大丈夫だって。アンタが気にする程のものじゃなかったんだ。だから、そこまで気を遣うなよ」

「……ですが、」


 食い下がろうとすれば周瑜は口角をつり上げ、幽谷に顔を近付けた。


「その口、塞いで欲しい?」

「口の中を焼いて構わぬと言うのなら」

「げっ」


 周瑜の頭が鷲掴みにされ、幽谷から強引に引き離される。

 言わずもがな、周泰である。
 彼は、周瑜の胸に手を当て何事か呟くと、荷物を奪い取った。


「これは何処に」

「あ……私が諸葛亮殿に指示を受けております故」


 周泰は頷き、周瑜を見やった。


「お前はその辺を彷徨いていろ」

「……あのな」

「幽谷」

「はい」


 兄に従い、周瑜に会釈してその場を離れた。































「本当に……兄弟揃って優しすぎるだろ」



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