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一日の猶予を設け出された結論は、朝日が窓から射し込む謁見の間にて行われる。
先日とほぼ同じ場所に武将達も猫族も座り、本日は正式に尚香も加わった。その側に、幽谷と、一応は尚香の侍女である封統が立つ。
周泰は周瑜と並び、甘寧は孫権のすぐ横だ。今回は少し距離を取りもこもことした太い九つの尻尾を椅子にして座っている。恒浪牙と蒋欽が、彼女の後ろに立っていた。
孫権は劉備を見据え、重苦しい空気を裂くように大きな声で告げる。
「結論を言う。呉は、あなた方との同盟を結ぼう。――――ただし、劉備殿と我が妹、尚香との結婚が条件だ」
孫権の言葉に、数人の武将は憎らしげだ。けれど、黄蓋が睨めば即座に押し黙る。
まだ、不満を持っている者が少なからずいるのだ。呉の国と言うよりは、自分の身を守りたいのだろう。曹操の強大さを知ったが故の、人間の本能的な願望ではあるが、だからといって幽谷は彼らの判断が正しいとは思えなかった。それは、忠誠を誓う自分の主を見限るも同然だもの。
緊張に肩を怒らせる尚香を見下ろし、幽谷は劉備を見た。
彼は、どう返答するか。
「と、いうわけだ。どうする、劉備。あとはアンタの返答次第だ」
劉備は沈黙し、少しだけ俯いた。
諸葛亮も何も言わない。涼しい顔で、するべき答えなど一つしか無いと言わんばかりに、孫権を見据えている。
関羽だけが、とても辛そうだった。縋る子供の顔をして劉備に嘆願している。本人は、表に出していないつもりだろうけれども。
劉備は銀髪を揺らし勢い良く顔を上げた。金色の双眼で孫権を強く見据え、決然と言葉を返す。
「……結婚のお申し出、ありがたくお受けします。孫権様。これからは、ともに曹操に立ち向かいましょう」
関羽が青ざめた。絶望した顔で顎を落とし、次第に瞳を潤ませていく。
甘寧が関羽を見て目を細めた。思案に耽る顔で彼女を見つめ顎に手を添えた。
この場で関羽を責めるだろうかとひやりとしたが、甘寧は何も言わず、沈黙を保った。
「尚香を、よろしく頼む」
「はい」
劉備……声も無く関羽は呟く。
彼らにとってこの盟約は望まぬことだ。けれど、猫族の為に、劉備は決断した。その心中はどうであれ。
幽谷は胸を撫で下ろす尚香に目をやり、腹に力を込めた。
脳裏に蘇るのは先日の劉備と関羽の会話。聞き捨てならなかった、本心。
もしまた、彼が尚香の側でそれを言うのなら。
もしいつか、邪に染まって尚香を傷つける時があるならば。
狐狸一族や劉光など関係ない。
私は、彼を絶対に許せない。
「尚香、行こう」
封統が疲れたように言いながら尚香の手を掴んで無理矢理に歩かせる。幽谷にも目配せでついてくるように伝えた。
幽谷は甘寧や兄達に頭を下げ、二人の後を追いかけた。
封統は不機嫌というものでもなかったが、何処か声をかけづらい雰囲気を帯びていた。二人に発言を許さぬまま、尚香の私室ではなく庭に出る。
衛兵達の拱手をぞんざいに無視して人気の無い場所にまで連れて行くと、周囲に結界を張って音を遮断した。念入りに他人を拒絶する姉に、幽谷は距離を詰めて名を呼ぶ。
「尚香に言わなきゃならない話がある。それを、呉の馬鹿共に聞かれちゃ迷惑だからな」
「私に話……珍しいわね。封統がそんなこと、」
「小言くらいしか言わないからね、基本的に」
封統は肩をすくめた。けれども声音も顔も厳しく、尚香を怯ませた。
幽谷の方に逃げる尚香の肩に手を回し、姉の言葉を待つ。
「……劉備との縁談、本当にお前なりの覚悟の上だよな?」
「え? ええ。当然です。撤回などしません」
「なら、言っておく。君、いつか殺されるかもしれないよ。劉備に」
尚香が目を剥く。
幽谷は諫めるように前に出て封統を呼ぶけれど、封統は一睨みで黙らせ言葉を続けた。
「あいつはね、そういう奴なんだ。今でこそ大人しいが、己の中に在る邪を制御しきれない。我が儘極まり無い邪が表に出ればあれの本心が歪んだ方向に向かう。幽谷。お前だってそれは知っている筈だ。あいつは関羽以外要らないと平然と言える。この状況に納得する訳がない。となれば尚香は邪魔な障害物となる。平気で殺すさ。何の為の同盟かも考えずにな。関羽の前で君を生きたまま嬲(なぶ)り殺しにするなんてこともしそうだね。猫族の長劉備とは、そういう奴だ。尚香が見ている劉備だけがあいつじゃない」
「……」
尚香は青ざめた。幽谷に縋るように抱きつき、戦慄(せんりつ)する。
幽谷は彼女の為にそんなことはしない、とは口が裂けても言えなかった。むしろ、そうする劉備が想像出来てぞっとした。
害すに留まらず、邪に染まった劉備の歪んだ素直さが尚香を殺そうとするなんて――――あるまじきことだ。
幽谷は嘘も言えない代わりに尚香の手を撫でる。すると、ぎゅっと握られた。
「劉備からは僕から警告しておく。尚香を殺せば幽谷は勿論、狐狸一族が敵に回るとね。まあ、あんまり効かないと思うけど」
「……それはつまり、狐狸一族の方々が呉とも縁を切ると言うことですか」
「いや。長の場合孫家と一部の家臣を連れて里に帰るだろうね。そうなれば、呉は曹操に鞍替え、猫族はそのままおじゃんだろう。あのしぶとい化け物達は簡単に滅ぼされはしないだろうけど」
封統は尚香を見据え、指を鳴らした。
途端、結界が消える。
「幽谷、尚香が劉備と二人きりになる時はなるべくお前がついているようにしろ。何かあれば判断は任せる」
「姉上は?」
「僕は殺す一択だし。これでも多忙でね。周瑜と違って遊ぶ暇も無いくらい、やらなきゃならないことが多いんだ。……尚香、僕が言ったことを忘れるな。嘘だと思うな。良いね?」
封統は、天を仰いで片手を振った。ややあって風景に溶け込むように姿が薄らぎ、消えてしまう。幻術である。
幽谷は彼女の言葉を反芻(はんすう)しながら、尚香の頭を撫でた。彼女は未だ青ざめて、封統の言葉を受け入れられないでいた。
「幽谷……今の封統の話、」
「信じられない?」
「……いいえ。そうではないの」
とても、悲しいの。
そう、呟きを落として尚香は幽谷から離れる。両手を組んで俯いた。
「悲しい?」
「封統が人間も猫族も憎んでいるのは知っているわ。だけど、私には冷たくしたりするけど、小言を言ったりしてキツく怒鳴ったりして――――全部私の為にしてくれてることだって分かるの。だからさっきも私の為に警告してくれてるんだと思っているわ。でも、だから悲しいの。さっきの封統を見ていて胸が痛んだの」
歪んだのは猫族と人間の所為だ。彼らが憎くて憎くて仕方がない。
けれども、尚香は封統の根にある優しさを知っている。幽谷も、狐狸一族も、同じだ。
だから、歪んだまま永い時を過ごし、元に戻れない彼女が、悲しく思えるのだろうか。
「……猫族の長と言った時の封統の目、今までで一番暗かった。悲しいのは、それだと思うの」
「猫族の長……」
「幽谷、何か心当たりは無い?」
尚香は問う。
されど幽谷は首を傾けるしか無かった。
だって、封統の過去を詳しく知らないから。
幽谷とて気にはなるけれど、どうしてか、彼女の為には触れてはいけないような気がした。
●○●
本編では周瑜寄りとなります。
ただ、劉備ルートの周瑜があんな感じなので、関羽も絡んで苛々する関係になるかもしれない……私だけかもしれない。
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