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 幽谷は周瑜に部屋に押し込まれ、今日はそのまま休めと閉じ込められてしまった。
 何がどうなっているのか分からない。休めと言われる身体なのは周瑜であって自分ではないのに。

 それに、犀家のことも誰かに訊ねたかった。
 甘寧や周泰達に訊くのも何だか気が引けて、恒浪牙辺りは知っているだろうかと周瑜が立ち去ったのを確認して部屋を出た。

 が、曲がってすぐの所に待ち伏せされてしまって呆気なく連れ戻されてしまう。


「何故私が部屋に籠もっていなければならないのです」

「アンタは尚香の侍女だろうが。仕事をしろ、仕事を」

「……」


 ……どの口が言うのか。
 街で少女達にたかられていた姿を思い出し、幽谷は我知らず半眼になって周瑜を見上げていた。

 周瑜はむっとした顔で額を指で弾く。


「何だよ、その目は」

「いえ、先程の女性達のことを思い出しまして」

「あの子達には仕事終わりに会いに行ってたんだよ。やるべきことをしての逢瀬だったんだから、別に問題は無いだろ」


 いや、仕事はともかく出来もしない約束を方々でやっていのは男として駄目だと思うのだけれど。
 幽谷は渋面を作り、嘆息した。


「正直、あなたが一途に女性を愛する姿が想像出来ません」

「簡単だろ」

「……」

「無言で身を引くな!」


 肩を掴まれ、引き寄せられる。
 と、突如として周瑜は幽谷を抱き込んで身を屈めた。

 ぶん、と大きなものが勢い良く通過する音と、強風。
 何かが周瑜の頭を狙って丸太か何かを振りかぶったようだった。
 周瑜は幽谷を抱き締めたまま、背後を睨んだ。


「おい蒋欽!! 幽谷に当たったらどうするつもりだったんだよ!」

「……大兄上」


 周瑜の腕の中から顔だけを出すと、腕を組む大柄な坊主男が呵々大笑した。


「なあに、お前なら十分避けられるよう加減をしておったわ。避けられぬなら、それはお前の身体が鈍っただけのこと。幽谷に当たる前に止めとるわ」

「何なんだよ狐狸一族は……毎回毎回オレで遊びやがって……」

「何故だろうな。お前を見ておるといじりたくて仕方ないのだ。丁度華佗――――恒浪牙に対するのと同じだろうか」


 悪びれも無く、むしろ堂々と言う狐狸一族の長男に、周瑜は拳を握る。
 幽谷は周瑜の腕を剥がし、その隙に逃げ出した。蒋欽への一礼も忘れない。

 折角の記憶の手がかりだ、このまま何もせずにはいられない。尚香には悪いけれど、分かったことがあれば後から知らせればきっと喜んでくれるだろう。
 呼び止めてくる周瑜を黙殺し、幽谷は廊下を走った。



‡‡‡




 恒浪牙は、孫権と共に庭にいた。
 とても不思議な組み合わせだ。甘寧の姪御の夫であるから、一応の挨拶をということだろうか。

 二人に拱手して駆け寄る。


「恒浪牙殿、お訊きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「ええ、構いませんが……何か?」

「犀家という一族のことをご存知ありませんか」


 途端、彼は目を剥いた。

 孫権は柳眉を顰め、幽谷の言葉を繰り返す。何かを思い出すように遠い目をして思案した。


「犀家……とは、すでに何者かに殲滅されていると聞いたが」

「え……」


 何者かに、殲滅?
 幽谷は肩を落とした。期待が、一気に冷めていった。全身が萎んでいくような錯覚に陥る。
 消えてしまったのなら、もう犀煉という人物にも会えないではないか。
 ようやく思い出せた片鱗も、無駄だったというのか。
 幽谷の落胆は酷かった。耳が今まで以上に下がり、瞳も輝きを鈍らせた。

 この変化に、孫権は慌てた。物静かなままだが、困惑して幽谷の顔を覗き込む。


「幽谷。犀家がどうした」

「……いえ、思い出せたのが、犀家と、犀煉という男性で……」


 これに反応したのは、恒浪牙だ。
 幽谷の腕を掴み孫権への挨拶もぞんざいに済ませて城の中へと入る。
 彼はなかなか立ち止まらなかった。


「あの、恒浪牙殿……」

「黙ってついてきなさい」


 厳しい口調で命令され、幽谷は首を竦めた。
 教えてくれる様子ではない。周瑜のように部屋に連れ戻されるのだろうか。
 そう思ってまた恒浪牙を呼ぶと、彼はふと立ち止まって幽谷に向き直った。双肩を掴み、睨むように強く見据えてきた。

 気圧されて一歩足を引くと、恒浪牙の右手が離れる。それはゆっくりと幽谷の額へ動き、触れる。


「――――ッ!?」


 瞬間、脳に雷が落ちたような痛みに身体が強ばり咄嗟に身を引いた。
 けれども恒浪牙は左肩を引き今度は頭を鷲掴みにする。


「あ゛……な……っ」

「あなたは、思い出してはなりません。思い出せば、あなた自身が辛い思いをする」


 憐れむような、謝罪するような。
 恒浪牙の悲しげな声が、段々と遠退いていく。
 何故、彼がこんなことをするのか分からなかった。この衝撃は何なのか、訊ねたくても訊ねられない。

 私はただ、犀家のことを訊ねただけだ。
 だのに、どうして――――。

 そこで、意識は途切れる。


「これは、あなたが自ら望まれたことなのですよ。あなたの大切な宝物の為に」


 最後に聞いた言葉に、頭痛がした。



‡‡‡




 恒浪牙の膝の上で、幽谷は目覚めた。
 膝枕される形で眠っていた彼女は、不思議そうに恒浪牙を見上げ、瞬きを繰り返した。身を起こすのを支えてやると、拙(つたな)い礼が。

 恒浪牙は微笑み、脈を計ってやった。


「異常はありませんね。体調はどうです?」

「……いえ、少しぼんやりする以外には、特には」

「そうですか。あなたは突然倒れられたのですよ。私が側にいて、良かったです」

「それは……ご迷惑を」

「いえいえ、本業ですから」


 幽谷を立たせ部屋へ送ると背中に手を当てる。
 そうしながら、後ろの壁に隠れる人物に目配せをした。

 彼は――――孫権は小さく頷き、身を翻す。大股に歩き出して行く先は、甘寧のもと。このことを報せてもらう為だ。ついでに、幽谷の記憶についても知ることになろう。
 後でまた、彼女は甘寧から記憶が封印される。恒浪牙よりも強い強固な封印が。

 ……すぐに、解かれるだろうけれども。
 恒浪牙は暗鬱とした気分でかぶりを振った。

 どうやら、狐玉の影響が残っていたらしい。
 それだけ夏侯惇の執着が強いと言うことだ。

 夏侯惇がその激しい欲望を向ける幽谷にのみ、狐玉は作用する。利天はそれを利用したのだ。猫族が思い出さぬように。
 劉備達を警戒していると言うよりは、彼なりの猫族への気遣いだろう。
 恒浪牙は未だ思考が靄がかった幽谷を支えてやりながら、心の中で舌打ちした。

 彼女の望みを聞き届けた以上、記憶を戻させる訳にはいかない。
 でなければ、今までの労力が水の泡。そして、もっともっとややこしいことになる。
 そうなれば――――甘寧がもっともっと悲しむだろう。

 ただでさえ、彼女は今もなお己の罪に苦しんでいるのに。
 これ以上の苦しみは、僅かなものでも決して与えたくはなかった。



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