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 蒋欽は一人、城の中を歩いていた。

 今日は天気が良い。こんな日は城下を歩いて飯を食べれば最高に美味いだろう。
 機嫌良く鼻歌を歌っていると、目の前の角から白銀の髪を持った猫族の青年が曲がってきた。

 お、と足を止めれば彼も軽く目を瞠って立ち止まる。微笑んで会釈するのに気安く片手を挙げて返した。


「長殿か。いや、奇遇奇遇。今日はまことに良い天気よ。こんな日は城下で美味い物を食べると良かろうな」


 猫族の長劉備はつられて外を見やり、頷いた。


「……そうですね。城下では美味しそうな魚やお団子が売られていましたから、今日のような日に食べるととても気持ちが良さそうです」

「おお、そうだ。であればぬしも来たれよ。あの混血の娘も連れてくると良い。ここは特に魚が美味でなあ、是非ともご滞在のうちに食わせたい。加えて、狐狸一族の長男として、長殿ともゆっくり話してみたい。どれ、如何か」


 暫し思案した後に、劉備は快く了承した。
 わざわざ部屋まで行って関羽を誘い、城下へ繰り出す。
 大柄な蒋欽の隣では、劉備でも背が低いように見える。関羽などその丸太のような腕に座れるだろう。

 彼が歩けば誰もが頭を下げ、親しげに声をかけてきた。それに一人一人言葉を返し、蒋欽は市場にて劉備達に己の知識を披露する。といっても、団子ならあそこが一番種類が豊富で大勢で食べる時には最適だが、味はその奥の店の方が美味い、こっちの魚を食べるなら開きにして一夜干すとより美味いなど、そんなものだ。
 かと思えば劉備が興味を持った反物の知識もあり、反物を使った小物を二人に買い与えもした。


「どうだ、この川魚は美味かろう」

「ええ! とっても!」

「こいつの頭を集めてお湯で煮て、塩をちょっと入れた煮汁で飯を炊くのも良い。魚の出汁が利いて病みつきになるぞ。特に周泰が作ると、奴だけが知っとる味付けでもっともっと美味くなる」

「え……周泰がご飯を?」


 劉備が驚く。
 関羽も目を丸くして蒋欽を見上げた。

 蒋欽は自慢げに胸を張る。弟の自慢が出来るのが、とても嬉しいのだった。


「そうとも。幽谷と封統が来るまで、狐狸一族に女は一人もおらんかったでな。儂らはほとんど自炊出来る。城で食すような洒落たものではなく男らしい大雑把で豪快な料理ではあるが、儂らにはそれが丁度良い。今度食べに来るが良い。お袋の友人劉光の子孫であれば、儂らにとっても友人よ」

「ありがとうございます。その時は、是非」

「楽しみにしとるぞ」


 蒋欽は屈託無く笑った。



‡‡‡




 関羽が満腹を訴えたので、港にて休息を取ることとした。

 そこで、蒋欽は話を切り出す。


「……さて、長殿よ。ぬしは、猫族をどのように導きたいか、今その頭にあるだろうか?」


 劉備は沈黙を返した。陰った瞳に、関羽も眦を下げた。

 落ち込ませるつもりの無かった蒋欽は即座に責めるつもりではないと弁解した。
 己の膝を叩き、頭に巻いた赤い頭巾を剥ぎ取る。押し潰された耳がぴょんとこめかみに立った。


「橋を造るとしよう」

「橋?」

「おお。そうだ。例えば……それなりに深い、それなりに広い川だ」


 何処にでもあるような川を想像すれ良いのだと良い、蒋欽は人差し指を立て、「我らが狐狸一族が造るとしよう」と。


「まず。お袋が設計から日程まで定める。儂と封統、そして周泰でその詳細を決める。そして、お袋以外でその通りに造って行く。それが儂らの方法だ。さて、ぬしならば猫族として如何に造る?」

「……その前に、呉は、どうなんです?」


 蒋欽は一瞬眉根を寄せ、笑い飛ばした。


「呉? あれは話にならん。ほとんどの人間は腑抜けだ。孫家を守ろうとする気がまるで無い。あれじゃあ橋は愚か仲間と認め合うのも難しいものよ。周瑜や黄蓋など良い人材に恵まれておきながら浅はかな価値観に囚われよって、実に勿体なき愚かなことよ。して、如何に?」


 劉備は顎に手を添え、神妙に考え出した。真剣に考えて答えを出そうとしている。
 邪に囚われてい今の彼は己の責任を全うしようとしてはいるが、その本心は違う場所にある。
 ちょいと考え方を変えれば、もっと簡単な結論が出るというのに。

 劉備は目を伏せ、眉尻を下げた。


「……すみません、答えはまだ」


 叱られるのにややびくびくしている劉備の頭を撫で、呵々と笑った。


「それで良い。安易に出しておったらもっと考えぬかと怒鳴っておったわ。お袋とて、己が完全な族長たる者とも思っておらぬ。だのにぬしが簡単に答を出せる筈がなかろうて。ぬしがすべきことを見定めるその傍らで、考えておくと良い。人生は死ぬまで勉強だ」

「はい。ありがとうございます」

「良い返事だ。ついでにもう一つの一族について例えてやろう」

「もう一つの一族?」

「一族と言っても、賊だがなあ」


 つるつるの頭を撫で、遠い目をする。
 思い浮かぶのは、狼牙棒を振り回すかの天仙だ。元の得物は違ったようだが、蒋欽が彼と出会った時にはすでに武器はそれだった。


「その賊の場合は、長と右腕だけで橋を造る。そして、仲間を助けながら渡るのだ。それは仲間を信用していない訳では決してない。むしろ、大事に思うからこそ長は一人で全てを背負い、それを右腕が支え、己を頼る全てを守って行くことが出来た。……賊の最期は、悲惨だったがな」

「最期……ですか」

「それは、儂も人伝に聞いた話故にな」


 眼前に広がる長江を見渡した。

 長江は広い。ただただ広く、ただただ長い。
 洋々たる大河に浮かぶ船は異国の物を積み長い長い航路を進む。
 流れと風を読み船を動かすのは人。
 素材の癖を見抜き、様々な知恵を生かして物を作り出すのも人。
 人は失敗から学び、成長し、全てを利用して生きていく。

 しかし、それは支配ではない。支配など出来ぬ。人は世界を構成する大事な一欠片にすぎないのだから。
 植物の毒に当たって死ぬ、獣に襲われて死ぬ、妖に惑わされて食われて死ぬ、洪水にのまれて死ぬ、落石に潰されて死ぬ――――人は実に呆気無く死んでしまう。花と変わらず、儚く散っていく。そして次から次へ新たな命が生まれ、世界を構成する。

 人間も、大事な、決して除外出来ぬ世界の一部。

 同じことを繰り返し、この世界は千年以上続いてきた。
 そのうちのたった三百年しか生きていない蒋欽でさえこの世界が何よりも尊く、一部に過ぎない存在が独占して良いとは思えない。

 感慨から、彼は唐突に話を変えた。


「世界は人、獣、植物、水、空気、岩――――実に様々な物で創られ、美しいものよな、長殿。世界の大切な欠片たる人が増長し、醜い情念で世界を汚してしまうとは、まこと悲しきかな。ぬしは邪を持つ者。囚われて犯した罪に苦しみ、囚われて作り出した惨劇の惨たらしさを覚えている。様々なものに作り上げられた世界を壊す行為が如何に罪深いか知っている。それは、忘れようにも忘れられまい」

「……」

「長殿。三百年生きた儂から一つ言わせてもらおう。この世に道が数多あるように、考え方も無限だ。儂ら理性ある者は獣や植物と違い、考えることが出来る。それは大きな武器だ。邪に囚われて思考を怠ってはならぬ。邪を理由に己の一部とて切り捨ててはならぬ。儂はぬしよりも辛い目にあった族長を、この目で見てきた。そして、もう親しい一族が滅びるのを見たくはない」

「蒋欽さん……」


 蒋欽は「さて……」天を仰いだ。


「今度は、何処に行こうか。まだまだ、面白き物は沢山ある。この街に集結した我らと同じ世界の一部の数々から、たんと刺激を受けて帰られよ。劉光の子孫よ」



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