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「……久しぶりだな。あー、結構前に戻ってきてたんだけど、色々とな」


 雑踏の中から飛び出した少女達は、周瑜の周りに集まりきゃらきゃらと騒ぐ。幽谷に気付いた者はにこやかに会釈をしてくれた。
 彼女らに会釈を返し、幽谷は少女達の邪魔になるかと二歩離れた。傍観を決め込んだ。場合によっては、この場で解散にもなるかもしれないので、話は聞いておく。


「周瑜ったら、冷たいんだから。どうしてその足であたしのところに来てくれなかったの?」

「何言ってるのよ。周瑜は私のところに一番に来てくれるって言ったんだから!」

「私もそれ聞いたわ! ちょっと周様、どういうことなのぉ!?」

「え!? それはだな……真実は一つじゃないというか、愛の形はたくさんとあるというか」


 露骨に慌てる周瑜。こうなるのは予想出来たのだから、考えて口説けば良いのに。
 周瑜の様子を窺いながら、幽谷は淡泊に思う。


「なあにそれ? じゃあ、戻ってきたら誰もいない港で逢瀬するって言ってくれたのも嘘なの?」

「違うわよ! 周瑜は私と夜の街で遊ぶ約束をしたのよ。ね、周瑜?」

「嘘! 周様は馬に乗って私と平原を駆けてくれるって言ってたわ」

「……」


 何となくこのままここにいると私にも文句が来そうな気がするわ。
 もう三歩離れる。すると周瑜が気付いて幽谷を呼ぶ。
 彼に一言、


「嘘は良くないと存じます」

「違う。嘘なんかついてない! 全部本当だ」

「なお質が悪いです」


 昨日の姿から心配していた自分が、何だか馬鹿馬鹿しい。
 昨日とはまるで違う姿に頭痛さえ覚え、こめかみを押さえた。
 周瑜は女好きだ。毎回違う女性と一緒にいたのを見かけていたし、こういった場面も遠目に見たことがある。まさか間近で見る羽目になるとは思わなかったが――――昨日からの気遣いを返せと言いたい。

 関羽にまで言い寄ってきたら、蹴るなり刺すなりしよう。男性として機能させなくした方が一番だろうか。
 物騒な決意を、幽谷は密やかに固める。


「とにかくオレは今忙しいんだよ」

「わかった。でもあなたは、最後にはあたしのとこに来てくれるって信じてるけど」

「あら、私よ!」

「違うわ、私なんだから!」

「あーっ、わかったわかった! とりあえず話は聞いたから、今日のところはオマエら全員、散れ!」


 ぞんざいに手を振ると、少女達は素直に頷いた。
 周瑜の頬に口付けたりして、それぞれ立ち去る。
 幽谷は周瑜に背を向けて歩き出した。何となく今周瑜と一緒にいるとそういう関係に取られるような気がして、ああいう状況には巻き込まれたくなかった。


「あ、おい幽谷!」

「すみません、それ以上近付かないでいただけますか。あなたと近しい女性と認識されるのは迷惑なので」


 無表情に冷たく拒絶すると、周瑜は肩をすくめ――――ふと軽く咳き込んだ。

 咄嗟に近付いた幽谷は背中に手をやり、顔色を覗き込む。
 そして腰を抱かれた。


「……」

「……」

「……死ね、けだもの」

「おっと」


 顔面に向けて拳打を打ち込もうとし、その手首を掴まれた。

 周瑜は悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべ、幽谷の頭をぐしゃぐしゃに掻き撫でた。幽谷を解放して歩き出す。


「さて……戻るか。邪魔が入っちまったな」

「いえ、ですから私はそのつもりではなく――――」


――――ズキン。


「……っ!?」


 幽谷は頭を押さえ片目を眇めた。
 何かに脳が貫かれたような感覚に、思わず呻く。
 貫かれた場所から、何かが溢れ出してくる。これは何だろう。

 何か、懐かしい、もの……?

 じんわりと、まるで在るべきものが戻ってくるように自然と浸透していくそれは。


 記憶だ。


 幽谷ははっと息を呑みその記憶に意識の手を伸ばした。失う前に、捕まえなければ!


「犀……犀煉……?」


 必死に記憶を取り戻そうとそればかりに夢中になって、譫言のように情報を呟く。
 犀煉……犀家。
 そう、だ――――犀家は私が育ったところ。犀煉は、私の、


「私の……大切な男(ひと)、」


 一瞬、違和感を感じた。
 記憶から浮かび上がってくる熱い感情は、犀煉という人物に真っ直ぐに注がれている。焦がれて、焦がれて、焦がれて――――傍にいてくれる彼が愛おしくて。

 でもそれは自分の感情のようで、そうでないような気がしたのだ。
 自分だけど自分じゃない者の感情で、幽谷もそれに同調しているかのような――――鏡の向こうの自分が別のことを考えているような。

 記憶の片鱗からは、それだけしか分からなかった。足りない。もっともっと記憶が見たい。

 犀煉、と言う男。
 犀家と言う一族。
 それを探せば、思い出せるかもしれない。
 恒浪牙は大陸を旅していると聞く。なら、犀家のことくらいは知っているかもしれない。

 記憶が、ほんの少しの記憶が見えた。
 それが嬉しくて、幽谷の心はふわりと浮き立った。

 周瑜が大声で名を呼んでいるのに気付いたのはそれからやや時間が経ってからのことである。


「幽谷! どうした!?」

「……あ、いえ。今、少しだけ思い出せたんです」


 直後、周瑜が顔色を変える。


「……思い出した……?」

「はい。私は、犀家と言う一族に育てられて……犀煉という男性を大切に思っていたようです。この犀家を探せばきっと、もっと沢山のことが思い出せるかも――――つ……っ」


 唐突に腕を掴まれた。
 痛いくらいに締め付けられ、幽谷は困惑する。

 抗議するも彼は黙して大股に歩く。ついて行くのがやっとだ。
 後ろ姿からも、彼が怒っていることは感じる。しかも、今までに無いくらいに。
 理由は……幽谷の記憶だろうか。
 もしかして犀家のことを何か知っているのでは――――。

 問いかけようとして周瑜を呼ぶけれど、彼は一言も返さなかった。

 知っているのだ、彼は。
 確信して幽谷は腕を掴む周瑜の手の甲を容赦なく抓った。
 「いって!」短い悲鳴と共に腕は解放され、幽谷は周瑜の前に回り込んだ。


「あなたは犀家のことを知っているんですね。なれば教えて下さい。犀家の方と接触するには何処に行けば良いのです」

「知らない」

「嘘です。教えて下さい」

「だから……っ」

「教えて下さ」

「知らないと言ってるだろ!!」


 怒鳴り返され、幽谷は首を竦めた。強引に詰め寄りはしたが、そこまで怒鳴られるとは思ってなかった。

 目をしばたたかせて周瑜を見返すと、彼ははっと我に返って周囲を見渡し、ばつが悪そうに謝罪した。


「……悪かった」

「あ、いえ……」


 怒鳴る程に拒絶される理由が見えない。
 幽谷は困惑に瞳を揺らし、周瑜の顔を見つめた。
 彼は何故教えてくれないのだろう。犀家の人間と接触すれば何か分かるかもしれない。
 本当の自分に戻れるかもしれないのに。


「……教えて下さい。お願いします」


 みたび乞うと、今度は彼は「悪かった」と謝罪を繰り返した。握られた部分が赤くなった腕をいたわるように撫でそっと握り、柴桑城へ歩き出す。

 幽谷はそれ以上、追求が出来なかった。



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