21
諸葛亮達と入った飯店は盛況だった。
殷賑(いんしん)とした店内は広く、三人座れる程の空席が見当たらない。
待たされるだろうか――――そう思っていると、店主が幽谷達に気付いて厨房から出てきた。
「おやおや! 封統様、幽谷様まで!」
「……どうも」
「今日は蒋欽様はご一緒ではないのですね。……ああ、少々お待ち下さいな。席が空いたら真っ先にご案内致します」
蒋欽が、来たばかりの封統を連れて飯店に連れ回していたと聞いたことがあるけれど、ここがその一つだったらしい。今では封統が嫌がってそれも無くなっていたが、たまには蒋欽と来ているのか。一人で来ないのは、人間嫌いが起因しているのだろう。
しかし、人間達が集まる飯店に封統が何度も来るとは、少々意外だった。
時間がかかったものの、店主の厚意で席に案内してもらった三人は、それぞれ早くに注文を済ませた。忙しいのだから、すぐに注文してしまった方が彼らには楽だろう。
封統は短く『いつもの』とだけ。それだけで店主に通じる程には通っているみたいだ。
まじまじと見つめていると、封統は眉間に皺を寄せて顔を逸らした。
「何さ」
「いえ。姉上は、こういったところには寄らない方だと思っておりましたので」
「ここ以外には行かないよ。行きたくもないね」
「では、何故」
「別に……」
「お袋の味に似てる、だったか?」
「……」
封統はぎん、と諸葛亮を睨めつける。
しかし彼は涼しい顔で店主に出されたお冷やを飲んだ。
……そう言えば、諸葛亮と封統は、親しげである。この飯店に通う理由も教えてしまえる程の人間がいるのも、意外だった。
「お袋の味、ですか……母上ではないですよね?」
「甘寧の料理は金眼でも殺せるだろ」
「……」
「熱を通した筈なのに生きてた。不可解な生き物になってた」
……それは、有り得そうで否定出来ない。
となればそのお袋の味というのは、狐狸一族に迎えられる前の、封統の実の母の味と言うことになる。百年以上も前の味を覚えているのだ。
子供にとって親とは、そういうものなのだろう。
では、自分はどうだったのか。
記憶が無いから分からない。
幽谷はお冷やを飲みつつ、何か思い出してはいないかと記憶を手繰る。
……が、やはり無駄だった。何も思い出せない。
細く吐息を漏らしお冷やを机に戻した。
――――と、背後から頭に何かが載る。
びくりとして咄嗟に振り返ればそこには肩で息をした周瑜が、口端をひきつらせて幽谷を見下ろしていた。軽く咳き込む。
幽谷は慌てて席を立ち周瑜を真向かいの空席に座らせた。
「大丈夫ですか」
「……アンタを街中探し回ったんだからな」
「お疲れ、周瑜」
「封統……!」
憎らしげに封統を睨み、周瑜は幽谷が差し出したお冷やを飲んだ。
飲み干して、幽谷のお冷やであったことに気付く。
「あ……悪い」
「いえ、構いません。料理はどうしますか?」
「いや、アンタのが来た時に頼むわ。アンタのはオレが奢るけど、他は絶対に出さないからな」
「当たり前だろ」
「お前に奢ってもらうなど恥だ」
即答である。
苦笑を禁じ得ない。
「……っあのな……!」
「あの、私も金は持参しておりますし、こちらが誘ったのですから私が払います。姉上や諸葛亮殿の分までは用意していなかったのですが」
「「「幽谷が払う必要は無い」」」
「あ、はい」
三人で声を揃えてこちらを睨まないで欲しい。
幽谷は封統に取り替えられたお冷やに口を付け、顔を逸らした。
‡‡‡
飯店で封統と諸葛亮は二人だけの話し合いに入り、周瑜も途中からそれに参加した。
幽谷はそれを聞きながら食事を勧めるだけだったのだが、時折周瑜が一旦和から離れて幽谷に話しかけることもあり、聞き手に徹するだけにはならなかった。
遅くに入った周瑜が食事を終える前に、封統と諸葛亮は先に出て行った。
食べ終わった後で周瑜が精算しようとすると、すでに封統が四人分支払った後だった。何だかんだで、結局全員分を奢ってくれたのだった。
後で礼を言いに行こうと思いつつ、周瑜の要望で市場を見て回ることになった本当に、人通りの多い、埃が舞うような場所を歩き回って大丈夫なのだろうか。これでは、恒浪牙の言葉を守れない。
周瑜の身体を気遣いなから、なるべく埃が立っていないような場所を選んで歩いた。
それが分かるのか周瑜は途中立ち止まって、
「もう大丈夫だよ、幽谷。そんなに気遣われるような体調じゃない。朝のうちに治まったって言ってるだろう?」
「ですが、あの咳きで気管が損傷しているかも分かりません。……ええ、やはり人の往来の無い場所に行きましょう。炎症を起こさないとも限りません」
「大袈裟だって」
苦笑混じりに頭を撫でられ、幽谷は片目を眇める。
「私はあなたと町を歩く為に誘ったのではなく、恒浪牙殿から、中にいるよりも外の方が良いと伺いましたので、里の近くを歩いたらどうだろうと――――」
「分かってるよ。けど、今は柴桑から離れる訳にはいかないんだ。何が起こるか分からない」
それが、いけないのだと思うのだけれど。
城を出る時に周泰が後は任せろと言っていたのを聞いていなかったのだろうか。
周瑜をキツく見据えると、両手を挙げて肩をすくめた。おどけた様子からは自分の身を真摯に考えているようには思えない。
さすがにもう少し深刻になるべきだと咎めようとすると――――。
「あーっ! 周瑜、みっけー!」
「本当だ! 周瑜、いつ戻ってきたの?」
――――黄色い声が、幽谷の口を塞いだ。
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