20
今日は外を歩いてきた方が良いかもしれないと、恒浪牙は言った。
大勢の人間が行き交う城の中はどうしても埃っぽいので、外の空気を吸った方が身体は楽だろうとのことだった。
幽谷はそれを受け、周瑜を外に誘った。
勿論、埃っぽいのが駄目なのだから、雑踏の多い場所は避け、狐狸一族の里付近を彷徨くつもりだった。
――――だのに。
「……あの、人通りの多いところは行かないつもりだったのですが。何故私は市場に……」
「ついでだし、美味い飯屋に連れて行こうと思ってな。約束してただろ?」
一夜明ければ彼は元の調子だった。徹夜で看病していた幽谷を寝台に引き込み抱き締めたのを、途中から看病に付き合っていた周泰に焼かれかけ、蹴られながら追い出され――――昨夜の弱った姿は見受けられなかった。
その姿に安堵しつつも、元の調子に戻られるのも少々煩わしい。人通りが多いのを良いことに、肩を抱き寄せて雑踏を縫うように歩いていく。
何か……心配して損しているような気がするのだけれど。
「あの……大丈夫なんですか、肺は」
「ああ、大丈夫大丈夫。問題無いって」
「……ええ、と」
でも、昨日喀血(かっけつ)していたじゃない。
探るように見上げていると、ふと真摯な顔になって、向き合う。
何か、と問う前に、彼は急速に顔を寄せ――――。
「待てやクソガキ」
「うおっ!?」
顔の間に短刀が入る。刀身は横に倒され刃が周瑜側だった。
鼻を掠ったらしい周瑜は鼻を手で覆い幽谷から離れる。
すかさず腕を引かれ、誰かに押しつけられた。
「あ……諸葛亮殿」
疲れたような顔をした諸葛亮は、眉間に皺を寄せ、幽谷をやんわりと離す。
何となく嫌な予感がして周瑜の方を見ると、彼は甘寧と言い合っている。側には封統の姿もあった。
幽谷は黙って諸葛亮に深々と一礼した。
「……最初は、曹操軍について封統と話をするだけだったのだがな。お前が周瑜と出かけたとかで、封統諸共連れ出された」
「……、……お詫びのしようもございません」
「お前が悪い訳ではない……が、あの自由さはどうにかならないのか」
「申し訳ございません」
無理な注文である。
幽谷は目を逸らし返答の代わりに謝罪した。
恐らくは彼らが呉に滞在する間、甘寧は諸葛亮を幽谷と接触させようとする。諸葛亮にしてみれば、さぞ面倒なことだろう。
だが、幽谷が諫めたとしてもばっさり切り捨てられるだけだ。甘寧の自由勝手は筋金入りだもの。
諸葛亮は、嘆息した。
「何なんだ、お前の一族は」
「……いえ、母上が飛び抜けて自由で我が儘なだけで……兄上達はさほど」
甘寧を諫めたり、武将のように弟達を纏め上げて率いる長兄蒋欽は、飄々としているようで周泰のように真面目な人物だ。母と違い、場を弁(わきま)えもする。
そう言うと、諸葛亮は深く頷いた。
「それは、昨日話した際によく分かった」
「それは……良かった、です……?」
「ああ。呉の軍部に身を置いている者で、周泰以外に話がしやすい者がいてくれるのは非常に有り難い」
幽谷はそれもそうだと同意した。軍の備品などで周瑜や孫権とも話すのは、ほとんど蒋欽か周泰のように思う。
「……まだ、口論は終わらないのか」
諸葛亮は甘寧と周瑜を見、眉間に皺を寄せた。
口論は、何故か幽谷の婿相手になっている。正直、こんな人通りの多い場所で、大声で言い合うのは止めて欲しいのだが。
こめかみに手を置いていると、封統がやや苛立った様子でこちらに歩いてきた。
幽谷と諸葛亮の身体を押し、何処かへ移動しようとする。
「あの……姉上?」
「飯食いに行こう。面倒臭い」
「で、でも、周瑜殿と母上が……というか私、周瑜殿と約束が、」
「僕が言う。あいつら放って置いて良いから。諸葛亮、話は飯店でしよう」
「……仕方がないか」
諸葛亮にも腕を掴まれ封統の押すままに歩き出す。
「あ、あの、ですから……」
「さっき接吻されようとしてたんだからな、幽谷」
けれども、私が誘ったのであってここで私が反故(ほご)にしてしまうのはいけない気が……。
そう言うとそこに付け込まれるのだと二人に小言を言われた。
封統は彼の様子から何かを悟った風情で、周瑜を呼び、
「あ、ごめん手が滑ったー」
短刀を投擲(とうてき)した。
「だあぁ! ふざけるな封統!!」
「幽谷の優しさに付け込むお前が悪い。帰って寝てそのまま死ね」
「おい!! ……って、ちょっと待て! 幽谷はオレと飯店に、」
「安心しろ、僕がお前の屍を跨いで志を継いでやる。美味い飯店には僕が連れて行く。だから安心して死ねおっさん」
「お前オレより年上って言ってたよな!?」
「封統難しいこと知ーらないっ!」
可愛らしく身体をくねらせ、封統は周瑜を揶揄する。
周瑜は拳を握り、封統に詰め寄った。
すると甘寧が後ろから髪の毛を二・三本一気に引き抜いた。
……子供が、いる。一族の長なのに、幽谷の姉なのに、子供だ。
周瑜に怒鳴られ逃げ回る周瑜を見、封統がふんっと鼻を鳴らした。
「ったく……幽谷のこと本気で狙ってる訳でもあるまいに……行こう、二人共」
「あ……はい」
雑踏の中に紛れていった二人に、幽谷は頷くしかなかった。
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