「ところで、婿。お前呂布の死体は改めたか?」


 唐突に、甘寧は恒浪牙に問いかける。それまでの人を揶揄する無邪気な笑みは失せ、外見には似つかわしくない、悠久の知を湛えた、泰然と真摯な表情へと変わった。

 その表情一つで場の雰囲気は打って変わる。
 琴線のように張り詰め一切の茶目を排他する空気に恒浪牙も表情を引き締めた。


「いえ……何故?」

「呂布が嘗(かつ)て何をしていたのか、知らぬ筈はあるまい。それなのに死体を調べなかったとは、それでも地仙か。泉沈も、同じだがな」


 静かに、責めるような口調に恒浪牙は目を細めた。
 甘寧の言葉を噛み砕き、怪訝そうに嫁の伯母を見やる。彼女が何を言いたいのか漠然と分かった。けれども、それは恒浪牙が有り得ないと切り捨てた一つの可能性である。


「……呂布の身体に取り込まれた者達はとうの昔に溶け込み消失しているのでは?」

「甘いな。性根が腐っているのだ。往生際の悪い奴もいる。現に、まだ気配が残っておるぞ」


 甘寧は足を組み、その場に胡座を掻く。そして九つの尻尾だけで己の身体を持ち上げた。


「また、陰に呑まれるぞ」



‡‡‡




 時は後漢末――――。

 人間の体に猫の耳を持つ、俺たち猫族は古の妖怪「金眼」の子孫と言われ、人間たちから忌み嫌われていた。

 そんな人間たちの迫害から逃れるため、猫族は、人を寄せ付けない幽州の山奥でひっそりと暮らしていたが……ある日、乱世の奸雄曹操が俺たちの村に現れたことによって、その平穏は破られた。
 曹操は、猫族の力を利用すべく俺たちを村から連れ出し、人間たちの戦へと巻き込んでいった。
 ただ平和で穏やかな生活を望んでいた俺たちの思いとは裏腹に、猫族は曹操をはじめ呂布、袁紹といった巨大な力に飲まれていき――――その結果、一族を守りたいという猫族の長・劉備様の強い思いが、三百年かけて封じていた「金眼」の呪いと呼応してしまった。




‡‡‡




 甘寧は腕を組み、恒浪牙だけでなく砂嵐、他四霊達を見渡す。


「金眼が未だ残っているこの世界に、あれを呼び覚ませてはならん。幽谷達をオレの娘としたのは、そういう理由もあってのことだ。あいつ一人では、荷が重いからな」

「……そうですか」

「おっと、じゃあそこでお前がどうにかすれば良かったじゃないか、なんて思うなよ。オレも勿論呂布の死体を確かめに行ったさ。だが、もう呂布の身体には何も残っていなかった。呂布の中で未だ残存していた《奴》はすでに何処かに潜んでいるだろう。早急に見付けねば、金眼がまた目覚めるやもしれん。金眼に関しては、オレは介入はしないつもりだ。あれは人の浅ましい念の果てに生まれた生き物。三百年前と同様、オレが直々に解決してやる義理は無いね」

「分かっています。結局あなたはあれ程親しくしていた劉光殿に、私達を協力させることしかしなかったのですからね。それは、私も正しいご判断だと思いますよ」


 恒浪牙の言葉に、甘寧は片手を上げて止めさせる。彼女の双眸に一瞬だけよぎった感情に、砂嵐が眦を下げてそうっと寄り添った。


「……とにかく、お前は猫族の側にいろ。幽谷達も向かわせる。なに、オレの術は堅牢だ。仮に猫族が思い出そうとも、オレが封印を解かない限り、幽谷は絶対に思い出さないさ」


 砂嵐の頭を撫で、甘寧は姪の婿に命じる。

 恒浪牙は、逆らいはしなかった。
 恭しく拱手(きょうしゅ)し、了承の意を示す。



‡‡‡




 「金眼」の呪いに身を委ね、力と成長を取り戻した劉備様は、同時に心を邪へと堕しすべての人間を滅ぼそうとした。
 そんな劉備様を、俺たちは一族みんなで、命を懸けて止めたのだった。

 しかし「金眼」の呪いは消滅することなく大地に残り、劉備様は、長としての役目を全うするため「金眼」の呪いを再びその身に引き受けた。


 こうして劉備様は、元の子供の姿に戻り、官渡の戦いは幕を閉じた――――。




‡‡‡




――――豫州は許都。

 その山奥に隠れた小さな村を見下ろし、幽谷は赤と青の目を細めた。

 彼女の後ろには、両耳に翡翠の耳飾りを付けた青年。彼もまた、若草と橙の双眸を持つ。
 二人揃って瞳に感情は無く、ただただ事務的に村の様子を窺っていた。

 幽谷は村の様子を見つめたまま、後ろ青年へと声をかける。


「兄さん。予定よりも少々遅れた到着ですが、」

「問題無い」


 短く返答する兄に幽谷は小さく頷いた。

 だが……本当に良いのだろうか、と心の中で問う。
 彼女の脳裏によぎるのは、付近の村々を回って良からぬ噂を村人に吹聴していた怪しい男達だ。兄の話によれば彼らは荊州の兵士。劉表の命で秘密裏に動いているとのことだった。
 その噂が猫族に対する反感を強めるものであると言ったのに、兄は時期ではないと言葉少なに言うばかりで全く取り合ってはくれなかった。

 ここで起こることは、《母》の指示した時期まで介入は出来ない。加えて、他にも行動制限があった。
 その制限に、何の意味があるのだろうか。
 自分よりもずっと背の低い母親の無邪気な笑顔を思い出し、幽谷は唇を歪めた。

 妹の心中を見透かしたように、兄がキツく幽谷を呼ぶ。


「行くぞ。見つかる」

「……はい」


 幽谷は、神妙に身を翻した。
 兄はすでに潜伏している洞窟の方へと歩き出している。

 それに従い、幽谷も足を前に踏み出した。



‡‡‡




――――けれども。

 一つだけ、俺たちには気がかりなことがある。

 それは俺たちの胸の中。
 ぽっかりと空いた大きな穴だ。

 それが何なのか、何が失われて空いてしまったのか。
 俺たちは分からずにただただ不満足な穴を感じつつ隠匿の日々を過ごしていく。




―序章・了―


○●○

 これにて始まります『はらからころし』!!\(^o^)/


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