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 ……空気が、張り詰めた空気が弾けてしまったようだ。
 幽谷は呆気に取られる武将達を見回し、ぼんやりとこれからどうするべきか思案していた。

 そんな彼女の側で、周瑜が甘寧に猛抗議していた。


「オレは認めないからな! 却下だ、却下!」

「何でお前に却下されなきゃならん。周泰の話じゃどっちも良い男じゃないか。少なくともお前よりは」

「オレの方が数倍良い男だろ!」

「ええー……」


 甘寧は面倒臭そうな顔をして耳を掴んで爪でがりがりと掻いた。


「周泰、蒋欽」

「「却下」」

「揃えるな!! と言うか幽谷! アンタ一番他人面してたら駄目な立場だろ!」


 矛先を向けられて一瞬言葉に詰まる。他人事のように思っていたのは事実だが、それよりも大事な話が中途半端に中断された状態で、このまま脱線して良いものだろうか。甘寧が話を脱線させるのは、いつものことだけれど。


「あの……それよりも、同盟についてのお話は、」

「え? まだ終わってなかったのかよ。だらしねえなお前ら」

「起きてるのか起きてなかったのかどっちだ!」

「多分寝てた!!」

「胸を張るなババア!!」

「お婆様と呼べ! 孫よ!」

「こ……っんの……!!」


 ……ああ、からかってるんだわ、母上。
 彼女は途中から、周瑜で遊び始めているのだった。
 幽谷は孫権と尚香にに頭を下げ、甘寧を呼んだ。


「母上……その話はまた別の機会にした方が、」

「嫌だ、忘れるから今決めたい。幽谷は諸葛亮と趙雲どっちが良い?」

「は?」

「どっちが夫として良さそうだ?」


 これは……答えなければならない流れなのか、それともかわして良い流れなのか。
 判断に困った幽谷は尚香に助けを求めた。

 尚香は、暫し思案し、


「そうね。幽谷を支えてくれる人だと考えるのなら……私は良く知らない方だし、どちらが良いかしら、周泰」

「……俺には、何とも」

「……ですから、あの、同盟の話は、」

「幽谷、お袋を落ち着かせぬとちょいちょい邪魔するぞ」

「……」


 蒋欽は真面目な末の妹に笑い、甘寧を呼んだ。


「お袋。まだ幽谷は色恋に疎いのだ、そう急くこともあるまいよ。嫌々結婚させても不幸だろう?」

「えー。でもさあ、」

「それにお袋、あんたが趙雲のことをまだ良くは知らない様子。それで話を進めるのは、儂もどうかと思うぞ。ついでに言えば、弟達がまだ末の妹の婿候補を知らぬでは、文句を垂れるだろうて」


 そこで、幽谷は待ったをかけた。


「申し訳ないのですが、どちらかが婿になる方向で話を進めてはいませんか、大兄上」

「何だ、他に好きな男でもおるのか? 周瑜と夏侯惇以外なら儂は構わんぞ」

「いえ、そうではなくて……ですから今は我らも孫家の方々のことを考えて、」

「それよりもオレは早く孫が見たい」


 ……。

 ……。

 ……。

 もう私、この場を出ては駄目かしら。
 辟易して、溜息をついた。

 尚香はおかしそうに自由に過ぎる狐狸一族を眺めていたが、ふと幽谷の婿探しから何かを思い付いたようだ。暫し思案し、慌てた風情で武将達を呼んだ。それが、ようやっと話の軌道を元に戻させる。


「あ、あの……先程、保証が要ると言いましたよね。それでは、私がその保証になります!」


 武将達は話が戻ったことに安堵する者、このまま話が流れなかったことに不満を顔に出す者と様々だ。だが、皆胡乱(うろん)げに尚香を見やる。

 尚香は言葉を詰まらせ、意を決したように告げた。


「私とて呉の君主、孫権の妹……呉のためならば、喜んでこの身を捧げます」


 私は…………劉備様と結婚いたします。
 幽谷は顎を落とした。

 彼女だけではない。その場にいた全ての者が愕然とする。
――――いや、甘寧は面白そうに劉備を見る。その青い目は、彼を見定めていた。


「なっ! 何言ってるんだ、尚香!」

「そ、そんな、劉備と結婚だなんて……」


 唖然とする皆の中、諸葛亮が肯定の言を発した。


「なるほど。尚香様、それは名案でございます」

「諸葛亮!?」

「この機会を逃せば、呉との同盟はないぞ」


 諸葛亮の叱責に、関羽は鼻白む。けれど激しくかぶりを振って立ち上がった。


「け、結婚なんて、ダメ! 絶対ダメよ!」

「私と劉備様が結婚すれば、より強い絆が生まれ、同盟も組めます。……私も呉を守りたいんです」

「で、でも、結婚なんて……だって、劉備は……劉備は、まだ子供よ!」


 沈黙。


「え? ……あの、劉備様が子供というのはどういうことなのでしょうか?」


 関羽は自分の発言に気付いて勢いを失う。口を片手で押さえ、たじろいだ。甘寧が笑いながらも呆れているのに、肩を縮めた。


「劉備、お前はまだ子供らしいな。ナメられてるぞ」

「わ、わたし、そんなつもりで言ったんじゃ……」

「関羽。お前、ここでは黙ってた方が良いかもしれねえな? 今のままじゃ猫族の妨害しかしない」


 揶揄するような、軽い響き。
 けれども関羽には刃となって突き刺さる。

 甘寧もただ責めるだけの言葉をかけた訳ではなかった。
 悄然(しょうぜん)と座る関羽に、蒋欽が穏やかな笑みを向けていた。関羽もそれに気付き、蒋欽を見やる。首を傾けるが、蒋欽は笑みを深め肩をすくめるだけだった。

 関羽の言動に困惑した尚香も、孫権に向き直り、頭を下げた。


「お願いします、お兄様。同盟のお話、考えてみてください……」


 孫権は無言だ。問うように劉備に視線を向ける。

 劉備は思案に没頭していた。
 彼を説得する意図も含め、諸葛亮が口を挟んだ。


「尚香様にはありがたいご提案をいただきました。孫呉と猫族が縁戚となれば、まさに鬼に金棒。曹操も、おいそれと手を出してこないでしょう。また、我が主が裏切るなどというご懸念も、これで一掃されましょう」


 さあどうだ、と言わんばかりに強く睨むが如、反対する武将達を見据える。

 彼らは互いに顔を見合わせ、渋面を更に歪めた。
 そこに、


「儂は、この同盟には賛成ですな」


 今までずっと黙りを決め込んでいた老将が立ち上がった。
 白髪に、華奢ながら将軍の気風を備えた雄姿の翁。

 名を黄蓋。
 孫堅の代から孫家に尽くす古参の将である。
 彼の発言で武将達は一気に色めき出す。

 「しかし」黄蓋は彼らを示し、劉備を見やった。


「お恥ずかしながら、ご覧の通り、我が国は一枚岩ではない為にこのような有様。暫し時間をいただきたく存ずる」


 黄蓋が許可を求めて目配せすれば、孫権は頷く。

 劉備に代わって諸葛亮が拱手する。


「承知しました。よいお返事を期待しております」

「ご滞在の間は、ごゆるりと休まれるが良い。呉も、猫族の覚悟、そして猫族の祖への礼儀を弁え、決してぞんざいな結論はせぬと、亡き孫堅様、孫策様に誓おう」


 劉備は、心ここに在らずと言った風情であった。



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