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 下らぬ舌戦は続く。
 所詮は諸葛亮の、暖簾に腕押し。呉の家臣は、曖昧でぞんざいな返事ばかりを返すのみ。内心を隠しもしない彼らに、さすがの幽谷とて退屈で、苛々した。
 甘寧は器用にも肘掛けに座って腕組みしたまま居眠りし、すでに話を聞いていない。

 手応えも無い徐々に徐々に、劉備と関羽の顔も不安の色が滲み出ている。諸葛亮は根気良く話を続けていた。
 されど、劉備には未だ諦めの色は無い。未だ食い下がろうという強い意志が、金色の瞳に浮かんでいた。

 と、外で中の声を聞いていた尚香が、僅かに扉を開けて幽谷を手招きする。
 それに気付いたのはどうやら周泰と幽谷のみのようで、周泰に視線で促され幽谷はこっそりと扉の外へ出た。

 何か用かと思えば、ぐっと腕を掴んで中に強引に押し入る。何も言わずに大股に歩いて孫権へと歩み寄った。


「あ、あの……尚香様……」


 困惑に主を呼ぶが、がっちり掴まれた腕は放されない。緊張のあまり爪が幽谷の腕に食い込んでいる。痛くはないが、こんなにも緊張しているのであれば、何も自ら間に入らなければ良かったのでは……と、主のことを案じた。


「………………尚香。どうした」

「あの……お兄様……少しよろしいですか?」

「尚香。大事な客人の前だ。ひかえろよ」

「……どうしても、お伝えしたいことがあるんです」


 そこで、幽谷の手が解放される。
 幽谷は彼女の一歩後ろに立ち、周瑜と孫権に目配せした。
 尚香とて己の立場を弁(わきま)えている。その上で彼女は立ち聞きだけでは済まさなかった、それ程の意図があるのだと、幽谷は無言で二人に訴えた。

 劉備が尚香を見、驚いた様子で目を丸くしている。

 尚香は劉備に微笑み、恭しく一礼した。……また、頬が赤らんでいる。


「……尚香。私の妹だ」


 孫権が紹介すると、関羽が劉備以上に驚いた。
 どうやら、彼らは尚香と面識があるらしい。尚香を呼んで問うと、後で話すとはにかんで答えた。
 その幼くも整った愛らしい顔は、孫権と再び向き合った瞬間にきゅっと引き締められる。


「尚香。用件は何だ」

「お兄様……呉は、曹操軍とではなく劉備様と手を組むべきですわ」


 途端、呉の武将の一人が卓を叩いた。


「なっ!? 突然なにをおっしゃるのですか! 尚香様はご存知ないのです! 曹操という男の恐ろしさを! 曹操が本気になれば、我が国はたちまちつぶされてしまうのですぞ!」

「確かに曹操軍との同盟を断れば、どんな攻撃をされるかわかりません。でも、だからこそ呉は劉備様と手を組み、共に曹操を倒さねば……」


 熱を入れて語る尚香に、幽谷は戸惑うばかり。
 頬は赤いし、必死の様子だし……茶会の時は普通だったと思うのだけれど。
 首を傾げていると、周瑜と周泰が怪訝そうに幽谷に寄ってくる。孫権のもとまで連れて行かれた。


「どうしたんだ、尚香のやつ」

「……幽谷」

「いえ……私には何とも。兄に呼び出されるまでは普通に過ごしていらしたと思うのですが……孫権様は、」


 かぶりを振って否定される。
 四人揃って尚香を見やり、首を傾げ合う。


「そ、そうは申されましても、尚香様。そもそもこの劉備殿が、信用できるお人とは限りますまい」

「いんやぁ、少なくともお前達よりは信用出来るぜー」

「「「!!」」」


 ぎょっと甘寧を見る。

 ……。

 ……。

 ……寝ている。
 寝言だろうか……いや、その割には何とも丁度良い寝言だ。
 周泰の腕を引いて視線で問うと、周泰は眉間に皺を寄せて蒋欽と目を合わせていた。

 尚香はどちらか分からぬ甘寧の様に苦笑いをした。


「それは大丈夫です。私は、劉備様が信用できる方だとわかります」

「なっ! なにを根拠に申されておるのです!」

「まだ味方でもない相手のところに赴かれている。それはつまり、命をかけて交渉に臨まれているということ。そんな危険を冒してまで、劉備様はこうして自らこの国にいらっしゃったのです。……いいえ、そもそも猫族のご先祖は甘寧様の盟友。私たちはその覚悟だけでなく、私達にご助力下さる甘寧様の御心にもお応えすべきでは?」


 真っ直ぐな言葉をぶつけられた武将は反論しようにも言い澱む。


「それに私は劉備様がお優しくて、信頼できる方だと知っています。……私は先ほど助けられたのですから」

「え」


 助けられた……先ほど。
 それはつまり、幽谷が戻ってすぐの、僅かな供で出掛けていた時のことだ。
 責めるように尚香を見てしまったのは、仕方がない。

 尚香は幽谷に頭を下げて素直に謝罪し、劉備の方へ歩み寄った。慌てて幽谷も追いかける。


「……またお会いできて嬉しいです。あの時は本当にありがとうございました」


 劉備は依然困惑して言葉を返せないでいる。

 それに構わず、尚香は武将達を見渡した。


「劉備様は見ず知らずの私にも親切にしてくださいました。きっと呉とも良い関係を築けるわ」

「尚香様、これは呉の重要な問題です。そう易々と結論は出せません」

「そんな……そんなに信用できないと言うの?」

「曹操と戦うことになるのですぞ。大群で攻められたときに、いきなり寝返るなんてことをされたら堪りませんからな」

「左様。我々としては、いざという時に裏切らないという保証がないと……」

「保証……」

「そうです保証です。呉と劉備軍がより強い関係を持つための条件とでもいいますか……そう、例えば双方に血縁者がいるとか……」


――――パンッ。
 不意に、誰かが手を叩いた。

 甘寧だ。


「そうだ、思い出した!」


 場に似つかわしくない声に、皆が怪訝そうに見る。本人はそれを気にした様子も無い。「いやー、今思い出せて良かったわー」などと脳天気に笑っている。

 周瑜がうんざりした風情で甘寧の頭を叩く。


「あのな、甘寧。アンタ何の為にここにいるんだよ」

「ん? いや、趙雲ってのが合流したのかなと訊きに。あと諸葛亮の立ち回りを観察――――とついでに劉備と関羽の観察?」

「出て行け」

「断る。……で、劉備。趙雲って男は、まだか?」


 甘寧は何処かうきうきとして劉備に歩み寄る。

 困惑しっ放しの劉備は混乱が極めて、ぎこちなく首を左右に振るのみだ。


「何だ。……暫定一位は諸葛亮ってことかー」

「……甘寧。何の話をしている」


 孫権は唯一、平常なまま問いかける。

 甘寧は実にあっけらかんと答えた。


「幽谷の婿候補」

「え!?」

「はあぁ!?」

「……はあ」


 周瑜や関羽達が驚くのに、幽谷本人は淡泊な反応だった。

 周泰がこめかみを押さえ、蒋欽が苦笑混じりに、それぞれ孫権に謝罪した。



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