14
話が次第に女官達の恋愛話に変わって、白熱してきた頃に、周泰が現れた。
気分の悪そうだった彼は、今はもう血色も良くなっている。尚香に隠れ、ほっと胸を撫で下ろした。
女官が扉を開けるのを待って、幽谷を呼ぶ。尚香にもきちんと許可をいただいた上で、だ。
だが、周泰が幽谷に孫権に猫族からの使いが謁見に来ていると言うと、尚香が自分も同行したいと言い出し、半ば強引に周泰の許しを得た。
「尚香様……?」
「呉の命運を決める大事なお話し合いですもの。私も、聞いていたいのです」
「左様でございますか」
……その割には、頬が赤い気がするのだけれど。
気の所為だろうか。
幽谷は何処かうきうきした主を見、首を傾けた。
‡‡‡
尚香は、謁見の間の外で待機させている。
謁見の間には、幽谷と周泰が訪れた時にはすでに呉の主要な文官武官、そして武将達が顔を揃えていた。
客人の席には劉備達の姿もある。好奇の目、蔑視に晒されてもなお、劉備と諸葛亮は凛然としている。圧倒されているのは関羽のみか。
孫権と周瑜、そして甘寧はいない。まだ来ていないのだ。
孫権の座る椅子の側に周泰と並んで待つ。
関羽らの視線を感じた。恐らくは周泰が眼帯をしておらず、四霊の証、色違いの瞳を晒しているからだろう。
狐狸一族はあくまで中立であり、孫権の決定に付き合うのが甘寧の意思である。二人はこれを黙殺した。
暫くすると、一人の兵士がゆっくりと両開きの扉を開け、声を張り上げる。
「孫権様がいらっしゃいました!」
恭しく拱手する兵士の前を通過し現れたのは孫権、そして、周瑜。
周泰と揃って、拱手する。
ちらりと猫族の方を見やると、関羽も劉備も、戸惑った顔で彼らを見ていた、平静なのは、諸葛亮のみだ。
二人は猫族を冷徹に一瞥すると、平伏する臣下の前を堂々と通り過ぎ、真っ直ぐに椅子へと向かう。幽谷と周瑜を見やり、腰を下ろす。
周瑜は狐狸一族とは逆隣に立った。
劉備が立とうとするのを周瑜が手で制した。
「幽谷。怪我は」
「ございません」
「……そうか」
孫権に小声で話しかけられ、幽谷も小声で返す。
彼は小さく頷いた。
周瑜も、穏やかに笑いかけてくる。が、周泰にさっと手で視界を塞がれた。
「……あのな、周泰。安心するくらい良いだろ」
「……」
「無視か」
周瑜は肩をすくめ、苦笑する。
けれどもすぐに表情を引き締めて前を見据えた。
幽谷や周泰も、間を見渡す。
孫権が現れたことにより、空気は一気に張り詰めた。
《彼女》にしてみれば、さぞ壊し甲斐があるだろう。
孫権は言を発さない。まだ、ここに来るべき者を待っているのだ。
驚かぬよう、周囲の様子に気を配りながら――――。
「――――わあぁーっ!!」
「きゃあああっ!?」
……。
被害者は関羽か。
甲高い悲鳴の直後聞こえた少女と男の呵々大笑に周泰が眉間を押さえて孫権に詫びた。
「いつものことだ。むしろ自由でない甘寧である方が、戸惑う」
「確かにな。しっかし、あの子の驚きよう、可愛いねえ。涙目だ」
「……周泰」
「御意」
「発言するだけなら許されても良いだろ!」
幽谷はこっそり吐息を漏らす。
ふと、座す武将達の中でこちらに苦笑を向けてくる老将がおり、軽く会釈した。
「よう、孫権。遅れちまって悪い。寝てた」
「そうか。そろそろ始めたい。良いか」
「おう。蒋欽」
「おうさ」
狐狸一族長兄蒋欽を従え、甘寧は関羽の頭を撫でずかずかと孫権へ歩み寄り、肘掛けに腰掛けた。礼儀も何も無いが、それは狐狸一族が人間の作った枠に収まらないと言う現れだ。
周瑜の側に蒋欽が立ち、劉備ににこやかに頷いて見せた。
それを合図に、劉備が立ち上がり、深々と一礼する。
「……はじめまして、孫権様。わたしは劉備。猫族の長です」
孫権は無言で頷く。
「お初にお目にかかります、孫権様。わたくしは諸葛亮。劉備様の軍師として罷り越しました」
「……ああ」
「本日は、孫権様に劉備軍と呉との同盟を申し込みたく参上した次第。互いの利益のため、ぜひお受けいただけませんでしょうか」
孫権は無言だ。
それを見て、武将の一人が不満の声を上げた。
「同盟のお申し込みと言われてもの……領地も持たない劉備殿と手を組むことにどれほどの意義があるのか……」
「そ、そんな……。でも曹操は、必ず呉も狙ってきます! 一緒に戦わないと、曹操には勝てないわ」
「それはどうかの。その曹操からも、同盟を申し込まれておりましてな」
関羽は顎を落とした。
「そ、曹操が……呉と同盟ですって……!?」
「聞けば劉備殿は十三支……いや、失礼。猫族の中でも極めて危険な存在だとか。はてさて、呉が手を組むべきはどちらか……」
「危険な存在だなんて……そんなこと、ありません……そうでしょう、周瑜?」
「人間を殺すことにあそこまで歓喜しておいて、それを危険でないと思うのか。関羽」
あの時の人間達の反応、忘れてはいまい。
甘寧が口を挟む。
関羽は反論しようとして口を噤み、俯く。
「オレは、アンタたちのことを知ってる。劉備がこの間の長坂でやったことも、この目で見た……」
「あ……」
「だけど、劉備が一生懸命民を守ろうとした姿も見ている。それは、周泰や幽谷の方がオレよりも分かっているだろう。オレには、どっちの劉備を信じればいいのか、正直言ってわからないんだ」
「それは僕を信じられるかどうか、わからないということだね」
周瑜は真摯な顔で肯定した。
そこで、関羽が曹操を信じるのかと問いかけてくる。
だが、これにも周瑜は曖昧な返事だ。
「オレには、人間だとか猫族だとか、そういう色眼鏡はないし。けど、オレがいるこの呉でも、まだそういう見方をする奴はたくさんいる。そういう奴らがどう思うか、だ」
「なるほど。ですが、お歴々はおわかりのはず。曹操の目的は、呉であると」
河北を得た曹操は今や新野、襄陽、そして恐らくはすでに江陵も押さえているだろう。
そしてこの大国呉を潰せば、天下の覇権は握ったも同じ。
同盟と銘打ってはいるが、やることは征服だ。
それを諸葛亮は心得ている。その上で、諸将の前で曹操との同盟を下策と断じた。
呉の武将は、鼻を鳴らす。
「だが、曹操と手を組むのが下策だからといって、劉備殿と手を組むのが上策とも言えまい」
「そうでもありません。なぜなら、曹操が現在もっとも恐れている人物が、二人います。一人は、言うまでもなくそこにいらっしゃる孫権様。そしてもう一人が、我が主劉備であります。呉という国を持つ孫権様はともかく、領土も持たぬ我が主を恐れるには理由があります。それは、猫族を率いる長であるが故」
周瑜のことを知る呉の人間ならば、猫族の身体能力の高さは知っている。それが三百も揃っているのだ。その中で、周瑜に匹敵する者は、何十人か。
「官渡の戦い然り、博望坡の戦い然り。しかも、新野ではわずか数千の猫族が曹操軍五十万を釘付けにしたのです。どう思われますか? これほどの力、味方にしておいて決して損はありますまい」
「だが、しかし。劉備殿が裏切らないと言う保証も、どこにもないしの」
「それに、猫族がおらずとも、我らには狐狸一族がおられる。神の一族が、猫族に劣ろう筈もない」
甘寧が、ちっと舌打ちした。
「こりゃあ、長いぞぉ……」
欠伸をし、後頭部をがりがりと掻いた。
彼女だけが一人、鷹揚で自由だった。
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