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 その後は、幸いにも曹操軍に襲われることも無く、無事江夏へと辿り着くことが出来た。
 けれども道程のさなかも、江夏に入ってもなお、猫族を取り巻く空気は殺伐としていた。至る所にひび割れがあり、ともすればそこから広がって取り返しがつかなくなる程に悪化してしまいそうだ。
 新野の人間達も猫族、特に劉備への恐れを罵倒に乗せて吐き捨て、狐狸一族と共に発ってしまった。狐狸一族すらも信用出来ない者も、猫族に同行する筈もない。
 生き残る為の旅路で、信用した『十三支』の長にあの無惨に殺されるなんて、嫌だろうから。

 劉備は、ほとんど孤立に近い状態だった。劉備との接し方が分からない猫族は劉備に近付きたがらない。
 辛うじて関羽や張飛達、恒浪牙と幽谷が側にいるだけだ。

 そんな暗い状態に不審を抱いただろうに、劉キは江夏にて猫族を暖かく迎えた。

 つかの間の休息。
 しかしながら、それもほんの一時のこと。
 襄陽が曹操の手に落ちたとなれば、江夏も安全とは言えないのだ。
 それに、曹操は恐らく江陵も押さえている筈。猫族が江夏に逃げ込んでいることも、曹操は予測していることだろう。

 江夏防衛に加え、奪われた土地を取り戻すには、彼らはあまりにも脆い
 南の強国呉、そして呉に協力的な神の一族の力は、何としても欲しい希望だった。

 では、必ず同盟を結ぶ為に誰が行くのか。


「――――僕に、行かせて欲しい」


 劉備は、自ら申し出た。


「劉備様……。いかに重大な役目とはいえ、長である劉備様が自ら呉に出向かれるというのは……必ずしも呉が友好的に迎えてくれるとは限りません。劉備様が自ら赴くには、あまりにも危険です」

「それでも……それでも、僕は行きたい。僕のせいで、こんなことになってしまったんだ。新野の民は去ってしまったし、猫族のみんなも……今では、僕を恐れるあまり話しかけてくれることもない。けれど……せめて、せめて猫族の長としてできるかぎりのことをしたいんだ。それが、最後の務めとなってもいい」


 決然と言う劉備に、恒浪牙が「良いんじゃないですか」と鷹揚に口を挟んだ。


「むしろ、行った方が良いと思いますよ。少なくとも伯母上は、あなたが来ることを想定しているでしょう。多分この問答も予想してるかと」


 封統は共に呉に戻るが、幽谷と恒浪牙はそのまま劉備の側に控える。
 だが劉備が呉に行くのならば二人も同行することになる。……無論、あくまで甘寧の意に添わぬ、猫族寄りの発言等はしないが。


「諸葛亮お願い。劉備の気持ちが少しでもわかるのなら、汲み取ってあげて」


 関羽も、諸葛亮に頼み込む。

 されど諸葛亮はなかなか了承しない。


「しかし……」

「諸葛亮……お願いだ」


 諸葛亮は無言で劉備を見据え、ややあって長々と嘆息した。


「わかりました。仕方ない。では私と劉備様、そして狐狸一族とで行きましょう。……それに護衛として、あと一人」

「ああ、それは関羽さんにお願いしましょう」


 恒浪牙がね、と関羽に微笑みかける。
 関羽は一瞬驚き、大きく頷いた。諸葛亮を見やって、もう一度。


「……いいだろう。お前ならば、いざというときも劉備様をお守りできる」

「呉では、幽谷は私は皆さんの側に立つことは出来ませんからね。呉に入った後は私達は金眼の監視役と、心得なさいね。関羽さんも、そのつもりで」

「はい。何があっても、絶対にわたしが劉備を守ります」

「まあ……そうなるかどうかは劉備殿の言動で決まるのですがね。金眼の力を暴走させて孫家の方々を傷つけない限りは、そこまで構えなくても大丈夫ですよ。劉備殿も、気をしっかりと持って臨みなさい」

「はい」


 恒浪牙は幽谷に歩み寄り、そっと耳打ちする。


「呉に着いた後も、恐らくはあなたは劉備殿の監視役になると思います。そのつもりで」

「はい」


 幽谷が頷けば、側にいた封統がぼそりと物騒な言葉を吐く。


「面倒臭い……今のうちに殺してしまえば楽じゃないか」

「一応、伯母上の盟友の子孫な訳ですから……」

「黙れクソ天仙。死ね。肥溜めに顔突っ込んで窒息死しろ」

「お前少しは丸くなれよ。生まれ変わって一皮剥けて良い人に変わってろよ。辛辣の程が悪化しなくて良いんだよ。そんでもうちょい言葉遣い改めろ」

「ぼっちは黙ってろ」

「俺はぼっちじゃねえよ!!」

「恒浪牙殿。口調が戻っています」

「……おっと、失礼」


 言いつつ、舌打ちして封統を睨めつける。

 劉備も関羽も苦笑混じりだ。


「……じゃあ、僕は先に戻るから。殺戮兵器の側にいて殺されるなんて嫌だからね」

「そ、そんな言い方……」

「何が違うのさ。……ああ、兵器だったらあんな風に楽しまないか。根っからの狂人じゃなきゃああはならないよね。ごめん。今のは僕が悪かった、言い方を変えよう。精神異常者? 快楽殺人狂?」


 馬鹿にしきった笑みに、張飛が激昂する。胸座を掴んで締め上げた。


「おいオメー!! その言い方止めろよ! 劉備は化け物なんかじゃ……」

「お前らはこの狂人のことを心の中じゃ化け物と思ってるからそうなってるんだろ? 狐狸一族の長は劉備に対して甘いけど、僕は今のうちに殺してしまった方が世界の為だと思うけどね。金眼に完全に取り込まれればこいつは必ず関羽以外の十三支も殺す。関羽以外どうでも良いからね。塵芥(ちりあくた)程度にしか思っていないんだよ。だから、本気で守ろうと思ってる訳じゃない。存外、あそこでお前らも殺してしまおうとでも思ってたんじゃないのか?」

「劉備がそんなこと思ってる訳ねーだろ!? 勝手なこと言ってんな!!」

「獣化して董卓軍兵士を殺しまくった化け物が何言ってんだよ。てめえだって自我が無かっただけでそこの化け物と同じ穴の狢(むじな)じゃん? 理性の無い獣になって衝動のまま人間の命を斬り裂いたくせに」

「な……っ!」

「結局十三支は化け物なんだよ。元人間? そんなのもう関係ないだろ。本能のまま、欲望のままに人間を虐殺しまくっといてさぁ!」


 張飛は絶句する。
 封統は口角を歪め、張飛の頭を鷲掴みにして押し剥がした。
 もう片方の手を彼の顔に向けようとして――――恒浪牙に掴まれる。


「お止めなさい。封統こそ、復讐の獣に成り下がるつもりかい? 君だって劉備殿と同じかそれ以上の人を殺してきた筈だ」

「……」


 封統は忌々しげに舌打ちし、恒浪牙の手を振り払う。張飛を軽く蹴り飛ばして足早に広間を後にする。
 恒浪牙は首筋を撫で苦笑した。


「すみませんね。あの子、十三支と人間に対する憎悪は異常な程でして」

「相当なもののようだけど……何があったの?」


 蘇双の問いかけに、恒浪牙も複雑そうな顔をする。言うべきかどうか悩んでいるようだ。
 けども肩をすくめ、


「昔、猫族からも人間からも、殺されかける程の迫害を受けていたんですよ。あなた方の先祖は封統を殺そうとして、両親をも殺しています。理解はしなくても良いのですが、どうか、そのことをお忘れ無きよう。このことは、伯母上の方から咎めていただきますので。百年間の憎悪ですんで改善はされないと思いますけど」


 猫族は絶句した。
 恒浪牙がさらりと告げた事実に、驚愕する。


「で、でもそんな話誰からも……」

「そりゃ、話したくないでしょうよ。結局は同族も殺している訳ですからね。百年前に、仲間内で揉み消されてしまいましたよ。猫族も元は人間。異質なモノを恐れ排除せずにはいられないと言うことです」


 苦笑混じりに言うのに、劉備は痛ましげに顔を背ける。恒浪牙は一瞬、彼を見た。


「幽谷。申し訳ないけれど封統を見送ってきておくれ。ちょっと、心配だから」

「分かりました。……失礼します」


 幽谷は拱手し、猫族の様子を気にしながらも、恒浪牙に促されて部屋を出た。



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