それは唐突に現れた。


「ようお前ら! 相変わらず濃いな! 近寄りたくないな!」


 扉を豪快に開け放って部屋に飛び込んできたのは、十五・六程の少女――――のように見えるこの場の最年長者である。
 こんがりと日に焼けた褐色の、発育が少々悪い身体を惜しみ無く晒し、活発な印象を与える彼女は、砂嵐と良く似た、されど色の異なる狐の耳を持っていた。更には、尾骨の辺りから耳や髪よりも少し明るめの赤いふわふわした尻尾が九本。

 恒浪牙と赫平が同じような顔をするのに、泉沈は苦笑を濃くした。
 それから離れた場所では、妙幻も椅子を立って部屋の隅へと避難している。

 この部屋のほとんどの者達が、彼女を不得手としていたのだった。


「伯母様、崑崙までわざわざ……お呼びいただければわたくしが参りましたのに」

「可愛い姪に苦労かける訳はにゃあいかねえよ。本当はうちの息子達も連れてくるつもりだったんだけどな」

「止めろ! あいつら全員連れてきたらこの屋敷が破壊される!」

「ふざけんな。オレがちゃんと躾てある」

「躾てああなってんだろ!?」


 頭を抱えて怒鳴る恒浪牙を泉沈と砂嵐が宥める。

 それを母親のような眼差しで見つめていた少女は笑ったまま、


「長男がしっかりやってくれとるわい。赫平もここにいるんだったら、あいつを連れてくるべきだったな。本当はもっと早くに教えてやろうと思ったんだがな。赫蘭が暫く戻れないって」

「何か遭ったか?」

「忘れてたんだ! いや、悪い!」

「「だろうな」」


 赫平と恒浪牙が声を揃える。
 少女は快活に笑って再び謝罪した。


「……それで、ただ遊びに来た訳ではないのだろう? 甘寧(かんねい)」


 泉沈が二人の頭を軽く叩いて少女――――甘寧に話しかける。
 甘寧は首肯し、妙幻に笑いかけた後恒浪牙を呼んだ。


「婿。お前に一言言い忘れていたことがあってな。それをつい先日思い出したから来たんだ」


 恒浪牙は怪訝に眉根を寄せた。


「言い忘れって……何を?」

「いやな、オレんとこ息子ばっかだろ? だから、娘が欲しくってさぁ」

「それをわざわざ言いに来たのか?」

「いや、言いたいのはここから」


 びしっと人差し指を立て、甘寧は歯を剥いて笑った。


「幽谷と封蘭、オレの娘にしたから」


 間。


「……は?」

「だから、幽谷と封蘭を娘にするって。ああ心配しなくてもお前と違って完璧な肉体を与えてあるから。幽谷の記憶も操作しているし。封蘭は、言うだけで承諾してくれたから問題は無い」

「いやいやいやいやそうじゃねえよ! 何で幽谷の自我が存在してるんだよ、有り得ねえって!」


 きょとん、と。
 甘寧は首を傾けた。何を言っているんだこいつ、とでも言いたげなその顔に、恒浪牙は舌打ちした。

 だが、彼女の返答は更に彼の神経を逆撫でするもので。


「だって消える直前にオレが回収したもの」

「……」


 恒浪牙はひくりと口角をひきつらせた。
 ぶるぶると瘧(おこり)のように身体を痙攣させる彼の様子を瞥見した赫平が、泉沈に目配せして共にその場を離れる。

 ややあって、


「ふ……っざけんなクソババァ――――――!!」


 天仙の怒号が崑崙を揺るがせた。



‡‡‡




 吹き付けてくる強い風が髪を踊らせる。
 頬を容赦無く打つ髪を押さえながら柴桑城の回廊を歩いていると、不意に後ろに気配を感じて足を止めた。

 目を細めて肩越しに振り返れば、そこには見慣れた姿が。
 一瞬だけ眉間に皺が寄ったのは致し方の無いことである。
 向き直れば、好色な笑みを浮かべたその男はこちらに歩み寄り、馴れ馴れしく隣に密着して腰を抱いてくる。


「よう、幽谷。尚香から聞いたぜ。周泰と豫州に行くらしいじゃねえか」

「……」

「……おい、無視かよ」

「……」

「無言で匕首を出すな! 最近やたらおっかねえぞ、お前」


 首筋に当てようとして避けられた匕首を外套の下に隠し、幽谷は無表情に相手を見据える。
 まるで戦場にでもいるかのような、冷徹で隙の無い幽谷の姿に、男は不満そうに唇を歪めた。

 幽谷は目を細め、男を剥がして素っ気なく言う。


「あなたから性的嫌がらせを受けた場合、容赦無く攻撃をして良いと兄に言われております故」

「性的って……ただ抱き寄せただけだろ? つくづく、つれないよな」

「……周瑜殿。何度も言いますが私は魚ではありません」

「何度も言うがそういうことじゃないからな」


 周瑜は呆れた風情で返し、しかし何処か楽しげに笑う。
 手を伸ばして幽谷の頭を撫でようとして、避けられた。

 幽谷は無表情に彼を見、徐(おもむろ)に腰を屈めた。脇を締め、拳を握る。

 途端に周瑜は両手を挙げた。


「頭撫でるのも駄目なのかよ」

「触るな下賤。あなたなどに触られたくもありません。汚れます」

「随分な言い様だな。オレ達の仲じゃねえか」

「どんな仲ですか。私とあなたは赤の他人です」


 淡泊に毒を吐く。だが、その目にはぎらぎらとした苛立ちが見えた。

 男は肩をすくめる。けれどもやはり、けんもほろろな返答しか得られずとも楽しげである。

 ……気味が悪い。
 幽谷は眉根を寄せて周瑜を睨めつけた。
 この周瑜という猫族の男、幽谷が柴桑城を訪れるようになってからやたらと絡んでくる。最近では寝所にまで侵入して寝込みを襲われかけた。兄達が追い返してくれたが。
 幽谷の何が気に入っているのか分からないが、大勢の女性に言い寄られている筈の彼は幽谷の気を引こうと、城にいれば必ず接触してくる。毎回冷たく拒絶しているのに、諦める様子は全く無かった。

 幽谷にとっては蠅よりも五月蠅い存在である。


「では、私はこれにて。出立の支度をしなければなりませぬ故に」


 頭を下げてその場を離れようとすると、周瑜に腕を捕まれて引き留められた。
 舌打ちして振り返れば、彼は打って変わって真摯な顔で幽谷を見つめている。


「まあ待てって。豫州は河北を手中に収めた曹操の支配下だ。お前はその危険性があまり分かってないだろ?」


 絶対に、無茶はするなよ。
 強い口調で言われ、幽谷は口を真一文字に引き結んだ。
 だが、彼女もまた先程の態度とは違い神妙に頷く。

 それに安堵したように笑って、周瑜は幽谷の腕を放す。くるりと背中を向けて片手を振りながら歩き出した。


「周泰も分かってるだろうが、片目は隠せよ。こっちじゃ四霊だが、北じゃお前達は四凶、凶兆だ。人間に迫害される。気を付けろよ」

「……承知しております。ですが、真面目なあなたはいつも以上に癪に障ります」

「……真面目に言ってんだから素直に受け取ってくれよ」


 無理です。
 感情の凪いだ双眸で周瑜の後ろ姿を見、幽谷もまた歩き出した。

 前方を静かに見据える瞳は――――青と赤。冷たい深海と生々しい鮮血を連想させる、色違いの双眸であった。



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