幽谷と関羽と子供達





 元気になった犬を眺めつつ、幽谷は安堵した。
 記憶を手繰りながら、また自身の身体で試しながら、徹夜で仕上げた薬は果たして効果を成したようだ。
 歓喜に踊る少年と、それを遊んでくれるものと勘違いして側を走り回る犬の騒々しい声が村に響く。

 関羽が隣でくすくすと笑っている。少しばかり髪が乱れているのはあの犬に飛びかかられたからである。人懐こい故に、人によく飛びつく癖があった。


「元気になって良かったわね」

「はい。……薬が、効いてくれたようで」


 徹夜して仕上げたことを知っている関羽は笑みを苦笑に変えて幽谷の顔を覗き込んだ。
 一時薬の調合を誤ってしまって昏睡状態に陥ったこともあり、犬に薬を届けるのは自分だけで十分だから休んで欲しいと言われたけれども、任務を受けたのは幽谷である。自分が行かなければならないと、頑なに譲らなかった。
 強固な幽谷の態度に、関羽は仕方なく、側を離れないようにして少年のところまで付き添ったのだった。


「帰って休みましょう」

「……不調はもう、無いのですが」

「駄目よ。あなたの大丈夫は信用出来ないもの」


 両手を腰に当てて少しばかり前のめりになって睨め上げる。

 幽谷は困ったように首を傾けて瞳を揺らした。案じられることは無いのに、関羽や世平はしきりに幽谷の体調を気にし、彼女の代わりに管理したがった。本当に大丈夫であっても、まず信用されない。未だにそんな扱いに慣れていなかった。

 むうっと叱りつけるような眼差しで見つめられ続け、幽谷は気圧されたよう渋々と頷いた。

 すると、彼女は目に見えて安堵する。真綿のようなふんわりとした微笑みに変わる。
 この関羽という少女は、ころころと表情が変わる。笑い方にも起こる顔にも様々な種類があり、多彩だ。正直、今まで見たことが無いような娘である。
 幽谷の手を引いて家に帰ろうとする関羽は、しかし少年に呼び止められた。


「どうしたの?」

「関羽姉ちゃんじゃねえよ。そっちの四凶に言いたいことがあるんだ」

「四凶じゃないわ。彼女は幽谷よ。飼い犬を助けてもらっておいて幽谷に酷いことを言うのなら、わたし達はこのまま帰るわ」


 きつく咎めると、少年は頬を膨らませて唇を突き出した。


「仕方ないじゃん。俺、幽谷の名前知らなかったもん。大人は皆みんな四凶ってしか呼ばないし」


 幽谷を見上げ、少年は歯を剥いて笑った。


「ありがとな、幽谷! お前良い奴なんだな」

「……はあ。あの、」

「決めた! お前は今日から俺の子分だからな!」

「え?」

「……はあ」


 思いがけない言葉に驚く関羽の横で、曖昧な相槌を打つ。投げやりにも聞こえるが、何もぞんざいに聞いている訳ではない。突拍子も無い科白に、反応に困っているのだった。
 が、少年は満足そうに頷くと幽谷の腕を掴んで何処かへと引っ張っていった。自然、関羽の手から幽谷のそれが離れていく。


「あ、ちょっと待って。何処に行くつもりなの?」

「遊ぶんだよ。幽谷は子分なんだからな、親分と一緒に遊ぶのは当然だろ? 劉備様と張飛も誘って隠れん坊するんだ!」

「だ、駄目よそんなの! 幽谷は徹夜して薬を作ってくれたのよ。今日はちゃんと休ませてあげなくちゃ」


 勢い良く駆け出そうとした少年は関羽の制止に足を止めてこちらを振り返った。


「そうなの? ふーん……」

「分かったでしょう? だから――――」

「じゃあ、俺達がお前んちに遊びに行くよ。家の中で遊べられたら良いんだろ?」


 「劉備様達を呼んでくるから!」などと言って、少年は犬と共に走り去っていった。

 幽谷は関羽を振り返り、どうすれば良いのだろうと答えを求めてくる。
 関羽もまさかそう来るとは思っていなかったのか、少年の後ろ姿を見つめ戸惑うように頬に手を添えて首を傾けた。


「ええっと……まあ、休みながら遊べるというのなら、構わないわね。念の為に蘇双や関定も呼んでおきましょう」


 もう止めるにも止められない少年を見送り、関羽は幽谷の手を引いた。
 取り敢えず、今は幽谷の身体を休めることの方が大事だ。
 展開に付いていけないでいる幽谷と共に家に戻り、彼女を床に座らせる。家事に取りかかろうとすると幽谷は手伝おうとした。当然、それは即座に切り捨てた。手伝ってもらったら休みにならない。

 気まずそうな、落ち着かない幽谷に苦笑しながら、関羽は家事を一つ一つ済ませる。

 その間に、家に喧々囂々(けんけんごうごう)とした集団が彼女らの家に飛び込んだ。


「幽谷ー!!」


 一番に幽谷に飛びついたのは劉備である。
 遊べると聞いた故かとても機嫌が良い。

 少年や張飛もその後ろに続いていた。他の子供達も大勢一緒だ。

 それを見て、蘇双達を呼んでこなくては、と関羽は手を止める。
 けれども一番後ろにその蘇双と関定がいたことに、ほっと安堵する。呼びに行く手間が省けた。これなら、幽谷に無理をさせるようなことはしないだろう。

 蘇双達に無理をさせないように声をかけ、関羽は洗濯物を干しに家を出た。



‡‡‡




「まさか、幽谷があんなことになるとは思わなかったよ」


 洗濯を干していたところに、蘇双が現れた。
 彼は意外そうに家の方を見ながら、関羽の隣に並ぶ。


「猫族の子供の子分になるなんて」

「そうね。幽谷自身、まだよく分かっていないみたいよ」

「見ていて分かる」


 さっきからずっと幽谷は困惑してばかりだそうだ。ままに劉備に付き合うことはあるけれど、大勢の子供に囲まれ無邪気に遊びを強要されることなど恐らくは初めてなのだろう。ままに関定や張飛が助け船を出して、やっと上手く混ざれているという風らしい。


「でも良かったわ。子供達が幽谷のことを好きになってくれれば、すぐに馴染めると思うから」

「……まあ、劉備様が幽谷のことを気に入っている時点で、さほど悪く見ていない人もいないこともなかったからね。ただ、お婆さんのことと幽谷があんなんだから話しかけられなかっただけで。……まあ、《あの人》は暫く幽谷には近付きたがらないだろうけど、軟化はしてるみたいだ」


 今の姿を見れば、少しは見方が変わるんじゃない?
 淡々と言う蘇双に、関羽はちょっとだけ笑った。


「蘇双みたいに?」


 途端、彼は虚を突かれたような顔をした。


「だってあなた、最初はあんなに警戒していたじゃない」

「……そりゃあ、間抜けな姿を見たからね」


 言い訳がましく、彼は言った。
 蘇双がいつの間にかこんな風に慣れてしまっているのだから、きっと子供達みたいに猫族の皆も笑って寄ってくるようになってくれる。

 幽谷が人になる為に、まずはわたし達と仲間にならなくては。
 きっとなれる。猫族の中に、凶兆だって言われている彼女でも混ざれる筈だ。
 そう、信じたい。

 関羽はばつが悪そうな蘇双に笑いかけ、洗濯物を示した。


「折角だから、手伝ってもらえない? 皆にお菓子を作りたいの」



○●○

 これにてこの話は終わりです。
 続編を始める為に急ピッチで書きましたが、完全に仲間になるまでを書くつもりではなかったです。
 また、この話の中で猫族の子供に「子分にしてやる!」と言わせたかったので、書けて満足しています。


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