幽谷と関羽。
四凶であることを詮無いこととし、そのまま無機質に過ごす彼女は、刺されてもなお四凶だからと納得して受け入れ平然とする。常人とは違う。
彼女は未だ、猫族の中では際立って異様だった。
それ故に案じる者もいないこともないけれど、不気味な四凶に近付く勇気は、誰も持っていなかった。
決まって、幽谷が村を歩くのを物影に隠れて窺うのみである。
幽谷も彼らが怯えることを十分理解しているので、無闇に猫族に話しかけることは無い。
けれど、その日だけは少し違っていた。
「……その犬、腹痛ですか?」
「えっ」
か細い鳴き声を漏らす犬の背中を撫でていた猫族の少年は、ぎょっとして顔を上げた。幽谷の双眸を見るなり青ざめて悲鳴を上げた。それでも逃げようとしないのは、その犬を彼が飼っているからだろうか。
幽谷は少年に頭を下げ、犬の側に屈んで犬に手を伸ばした。
それを少年が払う。
「触るなよ!!」
「申し訳ございません。……では、」
幽谷はその場に屈み込んだまま犬を見やった。
「どうして腹が痛いのか、分かる? 分からないのであれば、いつから痛み出したのかを教えてちょうだい」
友に問いかけるような、気安い声音だ。
少年は怖々と幽谷を見つめ、不可解そうに顔を歪めた。犬と会話しようとしているのは幼いながらも分かるが、犬と話せる訳がない。言語が違うのにどうして言葉が通じようか。
が、幽谷は平然とした風情で、犬の掠れた声に声に耳を傾ける。
数度頷き、「そう」と納得した様子である。
幽谷はそこで少年を見上げ、
「申し訳ございません。触ります」
「え……?」
幽谷は犬に手を伸ばし、腹に手を添える。
犬がぴくりと身体を揺らすが、幽谷の手に安堵したように目を伏せた。
「虫が、いるのね」
「……虫?」
「食べた物の中に寄生虫がいたのでしょう」
寄生虫。
聞き覚えは無いがそれが何なのかは、分かる。
ぞっとする響きに少年は肩を縮めた。
「し、死ぬの?」
凶兆であるにも関わらず、大事な家族の死に狼狽して縋る声をかけてしまう。
幽谷は少年を見上げ、犬を瞥見した。
「薬を飲めば、除去は出来るかと」
「く、薬? 薬って何の? 風邪? 傷?」
打って変わった少年の態度に幽谷は困惑した。不必要に近付かないように立ち上がって距離を保ちながら、
「一度、薬を拝見したことがございます故、恐らくは作れるかと存じますが……」
「作れるの!? じゃあ作れよ今すぐ!」
幽谷は渋った。
作る分には構わない。
構わないのだが……まずは材料を集めなければならないのだ。
それを言ったところで、彼は了承してくれるだろうか。見たところ、この犬は彼にとって余程大事な存在と見える。幽谷が四凶であることも頭から消え失せているくらい必死だ。
彼が感情を荒立てないように、幽谷がどう言おうかと思案していると、
「どうしたの? 幽谷」
「……関羽様」
己の主が声をかけてくれた。
拱手(きょうしゅ)して犬を視線で示すと、関羽は犬の様子に柳眉を顰(ひそ)め、犬の側に屈み込んだ。腹を撫でるとくぅんと鳴く。
「この子、どうしたの?」
「寄生虫が宿っているようです」
「寄生虫っ? 大丈夫なの?」
「薬を作れば、或いは……ですが、」
材料が、と囁くように言えば、関羽は立ち上がって森を指差した。
「森に無いかしら? 私も探すわ。手分けして探せば見つかるかもしれない」
「……分かりません。ただ、必要な物は森の湿った場所に群生している物ばかりだったかと」
「じゃあ、探してみましょう。あなたも手伝って」
「う、うんっ」
関羽が会話に入ってきたことで円滑に事が進む。
幽谷は心の中で安堵して細く吐息をこぼした。
‡‡‡
「……この辺、でしょうか」
危険だからと幽谷が先を歩いて、群生しているだろう場所を見つけた。
そこは崩落したらしい複数の大岩に遮られ、日の光が届かない場所になっていた。重なり合った大岩の合間から雨水が流れ込んでいるようで、少しぬかるんでいる箇所もちらほらと見受けられる。
ここならば、或いは見つかるかもしれない。
曖昧な記憶を頼りに、幽谷はその場に生える草花を見渡した。
「なあ、どれを探せば良いの?」
「……黄色い花の咲いた草、です。まずはそれを探しましょう。黄色い花のある花を見つけましたら、私に見せて下さいまし」
「分かったわ」
寄生虫を殺す薬は、複数の薬草を組み合わせることで成分の変化を起こし、それによって寄生虫の排除を可能にしている。
ただ、配合を間違えると効果を為さない。
薬の調合に長けた人間にしか出来ない芸当だ。
それが自分に出来るか、少しだけ懸念があった。
犬は助けてやりたいが……自分はほとんど毒物を作ってきた。薬は簡単な物を作れる程度だ。
大丈夫、かしら。
心の中で、ぼやいた。
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