幽谷と関定と張飛





 生き物はいつかは死ぬものだ。
 母の胎より生まれ、成長し、老いて行き、死する。
 当然のように幾星霜(いくせいそう)と無限に繰り返されてきた世の理。

 では、その中に自分は組み込まれているのだろうか?
 卑しい四凶は何からも排除されるべき穢れである。
 そんな自分が、世の始まりから続く理の中に受け入れられているのだろうか。
 受け入れられていないとすれば、自分は死なずにこのまま卑しい身体で途方も無い年月を経ていくのだろうか。

 ……いや、いや。
 そんなこと考える必要は無かった。
 そんなことどうでも良いのだった。
 考えたって詮無いことなのだ。
 なすがまま、されるがままに生きていれば良い。
 今までがそうだったのだから。

――――今はそれよりも、眼下にある巣を救わなければ。



‡‡‡




 張飛と関定は、談笑しながら森を歩いていた。
 最近誰それがどうしただの、昨日の食事が異様に辛かっただの、他愛もない話だ。この穏やかな村、変化の無い日常では、自然と話題が限られてしまうことは仕方のないことだった。


「それでさー、何でかオレが姉貴に殴られたんだぜ? 何にも悪いことしてねーってのに」

「その場にいたこと自体が駄目だったんじゃねえの? たまたま間が悪かったとか」

「えー、絶対そんなんじゃなかったって!」


 断じる張飛に関定は苦笑を浮かべる。張飛にとってはそうでも、実際はそうではなかったのかもしれない。劉備が関羽の側で眠っていれば、喧(やかま)しい張飛はまず追い出されたりもするしのだし。それがたまたまだったとしても、だ。
 一見酷い扱いのように思えるが、それも関羽が張飛に気を許しているからだ。……彼の望むような関係とは遠いけれども。

 関定はぐちぐちと不満を漏らす張飛の背中を軽く叩き――――ふと左手の断崖の上に幽谷の姿を見つけた。
 ずっと高い位置にいる彼女はこちらに背を向けるように立って、何かを見下ろしている。その肩には大きな鷹が停まっていた。
 何をしているのだろうかと、足を止めて目を凝らす。


「んあ? 関定?」

「張飛、あれって幽谷だよな?」

「ん? あ……マジだ。何してんのあいつ。鷹乗っけてっけど――――」


――――刹那である。
 鷹が飛び立ったかと思えば幽谷が前に倒れた。そのまま姿が見えなくなる。

 関定はぎょっとした。

 幽谷が倒れた方は確か、深い谷になっている。落ちれば如何に四凶の彼女とて無事では済まないことは必定である。

 ……まさか誰かに死ねと言われでもしたのか!
 有り得ない話ではない。関羽がそう言っていたと人伝に伝え聞いていれば、あんな行動をとってもおかしくはない。幽谷は、関羽には絶対服従だ。それに関羽の仲間である猫族を誰も疑いはしない。
 同じことを考えていたらしい張飛と顔を見合わせ、ほぼ同時に駆け出した。

 幽谷のいた断崖へは岩場の急な斜面を登らなければならない。突き出た岩を掴みながら、足を載せながら、急いで断崖を登る。

 そうして頂上に辿り着いた彼らは――――顎を落とすのだ。


「え……あれ?」


 そこには、何事も無かったかのように幽谷が佇んでいたのだ。先程とは違う方の肩に鷹を停まらせて、その腕に小さな鷹の雛鳥が何匹もさえずる巣を抱いて。
 幽谷は関定達を見るなりこてんと首を傾けた。


「……何か、ご用でしょうか」

「……イイエ」


 肩透かしを食らったかのような心地だった。



‡‡‡




 幽谷曰く。
 鷹に、強風に煽られて巣ごと落下してしまった子供達を助けて欲しいと頼まれたのだそうだ。今年が初めての産卵だったようで、巣作りの場所を見誤ってしまったのだろう。

 それにしても、幽谷が動物と話が出来るなんて知らなかった。そう言うと、「申し上げておりませんので、それは当然のことかと」などと抑揚に欠けた答えが返ってくる。


「……けど、どうやって助けたんだ?」

「落下して凹凸を掴みながら巣を拾い上げ、そのまま登って参りました」


 平然と言ってのけているが、関定達には無理だ。
 凄まじいばかりの身体能力を見せつけられ、関定は苦笑するしか無い。その隣で、張飛は心底驚嘆しているようだが。


「それで、関定様達は私に何かご用でもございましたか」

「いや、お前が落ちるとこ見たんで慌てて来たんだよ。死ぬつもりなのかと思って心配したんだぜ?」

「……心配、で、ございましたか」


 幽谷は緩く瞬きし、


「それは、人に抱く感情でございましょう」


 心底不思議そうに言うのだ。

 関定は虚を突かれた。
 自分のことを人だと認識していないとは関羽から聞いていた。
 その時はてっきりそう言う風に思い込もうとしているが故のことだとばかり思っていたのだが、この顔から見ても本心からそう思っているようだ。これは筋金入りだ。

 きょとんとする幽谷に、嘆息も何も出てこない。ただただ、彼女を《哀れ》と思う。

 そのように教え込まれ、自分自身それが真実だと認識し――――苦痛すら当然の報いだと受け入れる。それが当たり前の生活になってしまった彼女はもはや、人の枠から逸脱している。……否、逸脱させられている。
 こりゃ、簡単には変わらねえなあ。
 心の中でぼやいて、幽谷を呼んだ。


「その話はもう良いわ。問題はその巣、何処に置くつもりだよ」

「今からそれを探すつもりでございました」

「あ、そう。んじゃあオレらも探すわ。人では多い方が良いだろ? それに、この辺の地理はオレらの方が詳しいだろうし」

「お心遣い、感謝致します」


 断ること無く、彼女は頭を下げた。
 そうして関定達が今まで歩いていた方角の縁に立ち、躊躇いも無く飛び降りる。咄嗟に下を見下ろせば危なげ無く着地して歩き出していた。


「……うわー……」


 ……彼女には、永久に勝てそうな気がしない。
 幽谷に、関羽以上の脅威を感じて口角をひきつらせた。
 幽谷を見ていると、自分の中で何かがすり減っていくような、そんな気がした。



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