5.今は夢見るだけで
5.今は夢見るだけで(趙雲)
双子の姉は四凶として生まれた。
四凶は凶兆。直ちに殺さなければならない。
……だが、父は何を思ってか赤子を殺さずにおいた。自身は勿論家族も会わずして、女官達に世話させた。
気が狂ったとしか言いようが無い。
夏侯惇ですら、実父の真意が全く分からなかった。
ようやっと分かったのは、夏侯惇から遅れて曹操軍に配属された、その日である。
夏侯惇の父の姿はそこには無く、ただ一人、父よりの文を携えて洛陽をの屋敷を訪れた。姉の名を聞いた時ひやりとしたが、四凶の証、色違いの目は右目に眼帯を付けることで隠していた。
四凶として飼い殺しにされるのかと思われていた実の姉はしかし、相当な武力になるらしいと曹操に迎えられた。
夏侯惇は、実はこの時初めて双子の姉を目にした。
自分とはまるで似ていない――――否、それどころか父にも母にも似ていない彼女に、彼は姉弟の情よりもまず、嫌悪が先に立った。
ただただ、気持ちの悪い存在でしかなかった。
何故父が彼女を生かしたのか。
それは四凶の人並み外れた身体能力にあった。
父が一体何処でそのような情報を得たのかは謎だけれど、確かに姉の武は曹操軍の誰をも凌駕する凄まじきものであった。
いつもは存在を知らせない程に気配の薄い彼女が、戦闘ともなれば途端に嵐になるのだ。
彼女には、夏侯惇ですら及ばなかった。足下でも遠いくらいだ。
曹操もこれには驚き、同時に彼女の存在を気に入った。
それからは側に召し抱えるようになり、季節が二つ程巡った頃には閨(ねや)にまで呼ばれるようになった。
曹操のお気に入りの女は、四凶。
その事実に文官や武官、夏侯惇など武将達が一様に不安を抱いた。曹操の身に、災いが降りかかるのではないかと。
弟である夏侯惇の言葉であれば届くであろうと彼女を咎めたが、彼女の言動に驚かされてしまった。
『命令だから夏侯惇様には従えない』と――――そう返したのだ。
双子の弟に対して《様》を付け、まるで奴隷であるかのように振る舞っていた。おまけに、父親ですら《様》付けだ。
どうしてそのように言うのかと問えば、さも当然だと言わんばかりにそう教えられたと素直に返答する。
父は、彼女を娘としては育てさせなかったのだ。あくまで武力として、奴隷として育て、それを曹操に献上したのだった。
それを平然と受け入れている姉も、正気とは思えなかった。感性が狂っている――――否、狂わされている。
やはり同情はまるで浮かんではこないが、彼女の周囲を取り巻く不穏なモノに僅かな恐怖を抱いた。
双子の姉は、人としての感情を持っていない。無表情に命令に従い、感情も無く主君に身体を開き、恐怖も躊躇いも無く容易く他者の命を奪う。
これはもう……化け物じみた完全な人形だ。
曹操の夜伽の相手をさせる訳にはいかない。
夏侯惇は即座に主君に諫言した。
けども、彼は耳を貸さない。姉の何に執着しているというのか、姉を放さぬと言って聞いてくれないのだ。
四凶の女の何処に、そんな魅力があるのだろう。皆目見当も付かない。誰もが理解に苦しむ。
そんな中――――その命令のままに従う四凶の女が、他の男を愛するなんて、誰が予想し得ただろうか。
‡‡‡
「幽谷」
化け物の名を、あの男は気安く呼ぶ。
そして化け物は嬉しそうに頬を紅潮させて男を振り返る。だが、彼女は笑い方を知らない為に頬が赤いだけの無表情だ。
そんな不気味な幽谷に、されども男は人の良い笑みを浮かべて、気味悪がる様子も無く対等の友人のように対するのだ。
「少し歩かないか? 話をしよう」
「……分かりました。丁度手が空いていますから」
「そうか、良かった」
化け物――――幽谷が人間の男を愛するとは、思いも寄らなかった異変である。更なる災厄を呼び寄せるのではないかと、夏侯惇も気が気でない。
あの男もそれが分かっているだろうに、どうしてあのように平然と接することが出来るのか。彼の感性を疑ってしまう。
幽谷の手を引いて歩いていく男の後ろ姿を見送りながら、夏侯惇は目を細める。
「……理解に苦しむな」
独白し、きびすを返す。
――――微かな胸の痛みに、気付きもせずに。
‡‡‡
夢を見てきた。
何度も何度も違う夢を見てきた。
子供として両親に甘えること。
双子の弟と従兄弟と三人で戦場を駆け抜けること。
人間の娘として自身を着飾ってみること。
女として一人の異性を愛すること。
叶うことは有り得ないと分かっていながら、私は下らない夢で壊れそうな自身を繋ぎ止めてきた。それだけが、《私》を保っていられる唯一の方法だった。
いつか、そうなれるかもしれないと願ってはいない。無駄だと分かっているから。ただ現実から一時だけ逃げるだけのこと。……嗚呼、実に下らない虚しい足掻きだ。
だけど、きっと私はこれからも色々な夢を見て、現実からつかの間の逃避をするのだろう。
どれも叶わなくて良い。
欲しいのはほんの少しの時間の逃げ道。
叶う筈がないと分かっているから、叶わなくて良いのだ。
だって、私は凶兆なのだから。
「幽谷? どうかしたか」
「……いいえ。趙雲殿はつくづく、奇怪なお方だと……」
「ん……そうか?」
小さく頷けば、彼は――――趙雲殿は不思議そうに首を傾ける。
彼は自然だ。いつも自然体で、四凶の私を対等の人間として扱う。汚らわしいとか、不吉だとか、四凶だと知っていても構わずに笑顔を向けてくれるのだ。
とても、優しい人。曹操軍にはいなかった人。
だからこそ、私は彼に惹かれたのかもしれない。
けれど、この距離感で良い。それ以上の歩み寄りは無駄だ。
この思慕は叶わない。
幾ら夢に見たって夢は夢。叶うことは絶対に無い。
だって、私は四凶。
凶兆に幸福は、寄ってくる訳がないのだ。
仮に、何か一つの夢が叶ったとしても、すぐに壊されてしまうに違いない。
何も望まない。何も願わない。何もかもを諦める。
その代わりに、私は虚しい虚しい夢を見るのだ。
夢を見て、私は《私》を繋ぐのだ。
○●○
趙雲→←夢主でありながら、夢主←曹操でありながら夢主←夏侯惇でもある変な相関図。
夏侯惇の双子の姉として生まれてたらどうなるかなーと考えてたらこんな関係に。
曹操が夢主に執着してそうな……。
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