4.泣いても救われないならば…




4.泣いても救われないならば…(張遼)
※死ネタ注意!



 消えていく。

 消えていく。

 消えていく。

 消えていく。

 消えていく。

 大切なものが、掌から落ちていく。
 張遼は手を伸ばして、物言わぬ女性の頬に触れた。

 あの美しい赤と青の双眸は堅く閉じられた瞼に阻まれ見ることは出来ない。
 真っ赤に熟れていた唇も、凍えるように紫になって瞼同様キツく閉ざされている。
 舞うが如くしなやかに動き敵を殺していった肢体は、硬直して関節も曲がりはしない。

 ……死んでしまったのだ。彼女は。
 殺したのは自分だ。呂布の命令だったから、従って殺した。
 彼女も、それを甘んじた。むしろ、死ぬ直前に張遼に微笑んで礼を言った。

 彼女は、呂布が言うには《病気》だったらしい。
 元々仙人達が己らの道具として作り出した存在に芽生えた自我は、病原菌として本来あるべき姿を侵し、蝕んでいった。
 病気が長続きするものであったなら、呂布も気に入った彼女を殺そうなどとはしなかった。張遼に下知を下すまでずっと彼女のことを惜しんでいた。

 けれども。
 許されざる彼女という自我に抑圧された本来の力、そして本来器を使役する筈だった存在は呂布にとっては大きな脅威であった。確実に自分の命を奪う程の力を持っている。
 《覚醒》に苦しむ彼女の存在を惜しむことはつまり、自ら死を引き寄せるということに他ならない。

 《覚醒》が訪れれば自身が死ぬということを、彼女も理解していた。

 ……だから。


『最期はあなたに殺される……とは、贅沢な終わり方ですね』


 彼女は幸せそうに笑って、その死を受け入れたのだ。

 張遼は彼女の遺体を抱き上げた。
 彼女の身体は冷たいだろう。だが、張遼には分からない。この土人形の身体には死の体温を感じられない。
 彼女と話していた時に感じられた温もりも、擽ったさも、何もかも。

 感じられるのは痛みだけだ。
 痛みなど感じる身体ではないのに、胸の中を鋭利な刃物に突き刺されるかのように痛んで痛んで仕方がない。


「嗚呼……どうしてこんなにも痛むのでしょう。幽谷さん、あなたにはお分かりになるのでしょうか」


 問うたとて詮無きことだ。
 彼女は死んだ。彼女以外にこの場には誰もいない。張遼の問いに答えられる者は誰一人としていないのだ。
 それでも、張遼は答えを求める。自身では導き出せない答えを他者に求める。


「私にとって、あなたといる時間は呂布様といる時とも、戦場にいる時とも違っていました。身体が軽いような、足が地面に着いていないような感覚になり、心がとても温かくなり、何かで全身が満たされていき――――不可思議な感覚ばかりでした。これが、関羽さんが仰っていたような、人の感情というものなのでしょうか」


 頬を撫でて、彼女の顔を見下ろす。
 ただ眠っていただけならば、どんなに良かっただろう。

 だが、胸をべったりと汚した血が、張遼に事実を突きつける。お前が彼女を殺したのだと。

 嗚呼、胸が痛い。
 誰かに助けて欲しい。


「……幽谷さん。あなたは私に仰いました。私を愛していると。人を愛すると言う気持ちがどういったものなのか、私には分かりません。これが、愛する気持ちなのでしょうか。こんなにも、痛いものなのでしょうか。だとすれば、あなたはずっとこの痛みに耐えて、ずっと私に笑いかけて下さったのですね」


 なんて、優しい女性なのだろう。
 こんな呂布に使役されるだけに作られただけの土人形を、苦しい思いをしてまで愛していると笑って告げていたなんて。
 これが愛すると言うことだとすれば、自分は彼女を愛していたことになる。彼女と自分は、お互いを想っていたことになる。

 ……寂しい。


「……寂しい? 私は、今寂しいと思いました。あなたのことを愛していたのかもしれないと思った時、とても残念だと感じました。……分かりません。人の愛する気持ちというのは、どういったものなのでしょうか。どうか、教えて下さい、幽谷さん」


 呼びかけて、張遼はああ、と思い出す。


「……そうでした。あなたはもう、亡くなっておられるのでした。私が、あなたを殺めたのでしたね」


 もっと沢山、彼女と話していればもっと早くに分かったのだろうか。
 もし、同じ気持ちであると分かっていたら、彼女は喜んでくれたのだろうか。
 痛い。痛い。痛い。
 胸が痛い。苦しい。

 張遼は目を伏せた。
 その時、彼の目から何かが落ちる。
 それは彼女の頬に落ち、顎へと伝い落ちた。

 泣いている。
 泣けない身体の自分が、泣いている。
 何故だろう。
 問おうとして、口を噤む。彼女に問うても、無駄なのだ。

 するべきことはまだある。
 《覚醒》が完全になる前に彼女の遺体を呂布の言う通りに処理しなければならないのだ。

 止まらぬ涙をそのままに、張遼は幽谷の身体を抱き上げる。


「幽谷さん……あなたが四霊でなければ、こんなことにはならなかったのでしょう」


 胸が痛くて痛くて仕方がありません。
 泣きながら、張遼は遺体に助けを求めた。

 自身の心を、把握出来ぬままに。



○●○

 題名からぱっと思い浮かんだのは張遼の死ネタでした。曹操や夏侯惇辺りで書こうと思っていたんですが……。(・・;)

 張遼さんで、『泣いても救われないならば…いっそ最後までその感情は分からない方が良い』といった感じで書いてる……つもりです。


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