3.わがままってこと。




3.わがままってこと。(夏侯惇×関羽←幽谷)



 暗殺をしていると、様々な人間の裏を見る。

 けれど、ままに、極々ままに人間の不可解な強靱さと見(まみ)えることがあった。

 あれは、政敵の一人娘を出来るだけ惨たらしい様で暗殺して欲しいという依頼だった。
 政敵自身でなく政敵の愛娘という指定は、依頼主が息子に和解の証と求婚させたのをすげなく断られてしまったからだ。こちらから解してやろうと持ちかけたのに矜持を踏みにじられた、なんて政敵の娘にすでに婚約者がいることを知らなかった彼の勝手な主張だった。

 けれど私はただ命じられたことを完遂することが義務。それに元より、私には人らしい情を持ち合わせていなかった。

 私が彼女の部屋を訪れたると、沢山の兵士達が屯(たむろ)していた。
 理由は明々白々。依頼主が必ずお前の一人娘を殺してやると政敵に豪語したのだ。
 しかしながら、政敵も本気にしていた訳ではなく、念の為と施した処置だったのだろう。私にしてみれば穴だらけの脆い土壁だ。一つ殴れば簡単に破壊出来る。

 私は一人娘の寝所を守る兵士達を速やかに密やかに殺し、部屋へと入った。
 それからが、私にとっては初めて見た人間の《恋情》だったのだと思う。
 部屋には一人の男がいた。私の見てくれに血相を変えて剣を構えた男は寝台を背に庇って私を睨みつけた。
 一人娘はその寝台の奥で身体を丸くして震えていた。その時の窶(やつ)れようはもはや病的だった。余命幾許(いくばく)か、ほぼ骨と皮だけの貧相な身体に、艶の無いぼさぼさの髪、窪んだ眼窩(がんか)から落ちてしまいそうな大きすぎる目、潤いを失って色も悪い唇――――仕立ての良いゆったりとした煌びやかな衣装とはあまりにも不釣り合いだった。
 彼女が随分と前から大病を患っていることは見るも明らかだった。

 男は、泣きそうな顔をして私に乞うた。彼女はもう旬日も生きられない。見逃してくれ。彼女を良死させてやってくれ。

 良死――――寿命を全うする?
 病気で死ぬことは、果たして寿命として考え得るのであろうか。
 否、違う。
 寿命は老衰による死だ。
 これは病により不慮の死足り得ない。
 私は無機質に、彼の言葉を否定し、拒んだ。当時の私には、彼の言葉を同意することは出来なかったのだ。

 男は即座に斬り捨てた。任務を完遂させる、その為には彼が邪魔だったから。
 倒れる男を跨いで寝台に上がれば、病魔に冒された一人娘は掠れた声で言うのだ。――――あなたは可哀相な人なのね、と。
 何が可哀相なのか、私には理解が出来なかった。
 そんな私に教えるように、彼女は苦しげに言葉を紡いだ。

 曰く。
 私はまず四凶として哀れ。
 人の形をしていながら人でないのが哀れ。
 そして、……愛することを知らないから哀れ。
 そのどれもがどうでも良いことだった。
 どうでも良かったから、淡泊な返事を返して殺そうとした。

 けれどその時――――男が私の足を掴んだのだ。
 致命傷だった。確実に命を奪う傷だったと確信があった。
 だのに、男は私の足を掴んで、殺させはしないと、彼女は自分が命に代えても守り抜くと言うのだ。
 喘ぎながら、強い力で私の足首を圧迫し、強靱な眼光で私を睨んでくる。

 男の行動は、私にとっては初めての経験だった。
 その時まで、死にかけの身体でありながら、そうまでして対象を守ろうとする人間なんて見たことが無かった。

 ……理解が出来なかった。
 意味が分からなかった。
 その理由が考えられなかった。

 愛するということを知らなかったから。

 私は男の首を刎ねた。それは血の帯を引きながら地面に転がった。私を睨んでいた顔はそのままだ。
 そして、泣き叫んだ一人娘の首も、一瞬で刎ねた。

 その時の私は、何も思わなかった。
 いや、思える筈がなかった。



‡‡‡




 あの頃から変わらないままでいれば、こんな痛みを抱くことは無かっただろう。
 私はいつでも主の呼びかけに応じられるようにという名目で、中庭で仲睦まじく語らう男女を遠目に見つめながら回廊に佇んでいた。そうしながら、胸を、そっと撫でた。

 痛い。
 痛んでいたんで仕方がない。
 傷をした訳でもないのにいたいのはとても苦しかった。

 けれど、その痛みの消し方が、私には分からない。


「幽谷」

「……曹操殿」


 振り返れば、書簡と竹簡を抱えた曹操殿が、丁度側を通りかかったようだ。
 中庭の男女を見て、目をすっと細めた。それから私へと視線を戻し、


「手伝え」


 と。

 それが彼なりの気遣いであることは、労るような眼差しから察せられる。

 けれど私は、それをかぶりを振って拒んだ。
 拒まなければならない。
 だって私はあの片方の――――関羽様の部下だ。いつでも彼女から何か用事を請け負えるように、彼らを邪魔しない程度の距離を保って控えておかなければならない。
 そのように言えば、彼は呆れたように片眉を下げた。


「いつか壊れるぞ」

「いいえ、壊れません。壊れては、関羽様をお守り出来ませんから」


 断じる。そうやって、自分にも言い聞かせる。

 曹操殿は細く吐息を漏らして私の頭を書簡で叩いた。

 その時だ。


「幽谷ー!」


 関羽様に呼ばれた。
 私は即座に反応して、曹操殿に拱手し足早に関羽様の前へと移動する。その隣の――――夏侯惇殿には、目を向けないようにして。


「何かご用ですか」

「わたし達、これから見回りも兼ねて遠駆けに行ってくるわ。幽谷は城に残っててくれて構わないから、」


 そこで、彼女は意味深に曹操殿へと視線を向けられた。


「曹操と上手く、ね?」

「……はあ」


 ……ああ、そういうこと。
 的外れな勘違いだ。
 私は苦笑して、何も言わずにおいた。何を言ったとて、関羽様が私の言葉を信用なさるとは思えないから。

 それに、言えない。
 私が、誰を想っているかなんて。
 主を裏切るようなことは絶対に言ってはならないのだ。

 私は関羽様の部下。関羽様に絶対の忠誠をあの滝で誓った卑しい四凶。

 だから、何があっても。


「……では、主をよろしくお願い致します」


 夏侯惇殿に、目を合わせないように拱手すると、彼は暫し沈黙した後、


「ああ。だが……幽谷、」


 俺を避けていないか?
 訝しむように夏侯惇殿に問われ、私は声に詰まる。

 早すぎず、間を空けすぎず、私は平静を装って答えた。


「関羽様が要らぬ心配をなさいます故に」

「ちょっ! 幽谷ったら……!」

「……では、関羽様。くれぐれも、見回りを兼ねた遠駆け程度でお怪我などをなさいませぬよう」


 関羽様に笑いかけ、私はその場を辞する。
 曹操殿は、私を待っていた。哀れな者を見る目で。

 私はそれを甘んじ、「手伝います」と短く。


「……損な性格だな、お前は」

「損だとは思いません。……呪いやも知れぬと思えば、納得も出来ます」


 呪い――――そう、これは呪いかもしれない。
 かつて殺した男女の。
 であれば私はそれを受け止めて、彼らの望むように苦しまなければならないのだ。

 関羽様の場所が私であれば良いなどと、恐ろしいことを考えたこともある。
 だがそれは愚かしくも汚らわしい私の我が儘だ。
 私如きの我が儘で、主を不幸にしてはならない。悲しい顔をさせてはならない。この忠義を、さまよわせてはならない。

 私は関羽様の部下。
 だから、些末な我が儘には、蓋をする。
 蓋をして、この呪いと共に生きていく。隠して、隠して、隠し続けて。
 それが、私の選択したこと。

 歩き出した途端、強い風が吹く。
 その風に乗せられて、あの一人娘の、嘲笑うような声が聞こえた。


 本当に可哀相な人ね、と――――……。



●○●

 書き方変えてみました。

 夏侯惇×関羽←夢主ってな感じで、夢主の好きな人は夏侯惇です。
 曹操は飽くまで忠義を優先する夢主に呆れてたり心配してるだけで、夢主が好きだとか、そんな感情は無いです。

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