幽谷と関羽と蘇双
男は驚愕していた。
目の前に土下座して額を地面にすり付ける女の行動が、彼は理解出来なかったのだ。
この四凶は、服を血で汚したまま男の前に再び現れた。関羽や蘇双を同伴しているのだが、二人は彼女の意思に従って離れた場所で様子を窺っている。土下座した瞬間関羽がこちらに駆け寄ろうとしていたけれど、蘇双が阻んだ。
傷が痛むだろうに、彼女は躊躇い無く身体を曲げた。そしてその状態を維持している。
どうして彼女がそのようなことをしているのか――――。
四凶は、男の母親が死んだ要因が自分にあるからと謝罪したのだ。
ひとまずは頭の冷めた男は、彼女の所為だと断言出来なくなっている。
元々母は身体が弱く、老い先短いと自分でも口癖のように言っていたのだ。死因はただの老衰だと、男でも良く分かっていたことである。
だから、今では彼女には何ら関係の無いことだったと分かっている。
四凶であるからと勝手に難癖を付けたのだから、何かしらの報復を受けてもおかしくはないと思っていたのだ。
けれども、彼女は自分が悪いと言った男の責めを真に受けてしまった。
未だ四凶に対する恐れがあるからか、そのことに罪悪感は浮かばなかった。
その代わりに男の胸に沸き起こるのは純粋な疑問。
何故この女は自分が四凶であることを平然と受け入れているのだろう。否、それだけではない。自分達が蔑視を向けることも、手痛い仕打ちをすることも、至極当然のことだと思っているようだ。
もっと、周囲の蔑みに対して抵抗するかとばかり思っていたのに……。
「お前、は」
「はい」
渇ききった口を開けば、四凶は顔を上げぬまま返事をした。
「何でそんなに平静なんだ。何で、四凶だってことに抵抗をしないんだ?」
「……?」
そこで四凶は顔を上げる。
彼女のかんばせにも驚かされた。
とても不思議そうに男を見上げてくる。
何を言っているのか、意味を測りかねているように色違いの瞳が戸惑いに揺らめいた。
男が何も言わずにいると、
「四凶であることに抵抗したとて、卑しいことに変わりはありますまい。であれば、それは無駄なことかと」
無駄?
無駄だから、何をされても平気だと?
……理解が出来ない。
彼女が今までどのような生活を送ってきたのか、男には推し量れぬ。
されども、彼女の感性が異様であることはその表情から察した。
「……お前、関羽にその目が気持ち悪いから抉り出せと言われたらどうする?」
「抉り出すかと存じます。主を不快にさせる物であれば、不要ですから」
ああ、やはり理解出来そうにない。
「異常だ、お前は」
「はい。そのように教えられて参りました」
吐き捨てるような言葉に、四凶はゆっくりと頷き同意した。
どうして同意が出来る?
どうして表情が変わらない?
どうして悲しそうにしない?
どうして、自分の生まれを悲観しない?
これではまるで、自分に何の価値も見ていないようではないか。
自分自身をただの道具としてしか見ていないのではないだろうか、そう思わせる程に、彼女は自分を生き物として判断していない。
ただただ、男達以上に己を四凶という忌まわしい汚れた存在であると認識している。
「……気持ちが悪い」
唾棄するように言い捨て、男は四凶から離れた。早足に、歩き去る。
その背中を、四凶は揺れる瞳でじっと見つめていた。
‡‡‡
「頭おかしいと思うよ、この人」
幽谷に駆け寄った蘇双が発した第一声は、それであった。
蘇双は幽谷が謝罪した後、自らを刺した男に謝罪に行くのだと知って、呆れながらついて来てくれた。一体彼の中でどんな心境の変化があったのか、疑問である。
関羽は蘇双の言葉に頭を抱えて唸った。
おかしいとは思えないが、関羽も彼女のこの自分に対する考え方には頭を悩ませているところなので、反論が出来なかった。
幽谷の、自分は四凶だから辛い仕打ちを受けるのは当然だという考え方はどうにかして正さなければならない。それは彼女に心を持たせることに一番大事なことであった。
「蘇双……」
「ボクは協力しないからね。面倒臭いから。ってか、関羽でしょ。彼女の保護者は」
「それは世平おじさんも!」
「あの……、私には親はいないのですが」
困惑したように首を傾ける幽谷。
いや、この場合の保護者は親と言う意味ではなくて、監督者というか……。
説明をしようとしたけれど、関羽は途中で止めた。多分、詳しく説明しなければ彼女は理解出来ないだろう。感性が人のそれとは違うのだから、仕方がない。
どうしてこんな風に育てたのか、彼女がいた暗殺一家の人間を恨みたいくらいだ。
あの人もさっき幽谷のこと気持ち悪いって言っていたし……どちらを優先したら良いのかしら。
考え方を是正すれば、円滑に事を運べるかもしれない。
されど、どれだけ時間がかかるか分からないし、その間に幽谷が村を追い出されるかもしれないのだ。関羽も世平も、阻みたいところではあるけれども。
こめかみを押さえ溜息をついた関羽に、幽谷は謝罪してくる。
「え? いいえ、幽谷は悪くはないのよ」
関羽は一瞬きょとんとし、すぐに首を左右に振った。
「取り敢えず……後でわたしが話してみるわ。何とか分かってもらえたら、一気に皆と仲良くなれるかも!」
「無理に一票」
「ええ!?」
やってみなければ分からないじゃない!
そう声を張り上げた関羽に、蘇双はやはり冷たく斬り捨ててしまうのだった。
○●○
この頃の夢主は色々疎い部分があって、それを書くのが結構好きです。
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