幽谷と張飛と関羽
「なあ、幽谷。女の子が喜ぶ物って、何だ」
「……それを、私にお訊きになりますか」
とある日のこと。
何やら真剣な面差しで幽谷に相談を持ちかけてきた張飛は、賑やかな洛陽の町を歩きながらそう問い掛けてきた。
幽谷は渋面を作って立ち止まった。
「幽谷?」
「……申し訳ございませんが、張飛様もご存じの通り、私は人としての感覚に欠けております故……」
「……やっぱ、そうだよなぁ。幽谷も女心分かんねぇもんな」
謝罪して頭を下げると、張飛は首を横に振った。
「いーっていーって。こっちこそごめんな」
「関羽様に何かお贈りになるのですか?」
「え、そこは分かんの?」
分かる。
張飛があのような顔をして女の子が喜ぶ物と言うなら、それは確実に関羽絡みだ。
姉貴と慕う彼女に贈り物をしたいとは珍しいが、何があったのだろう。
「よろしければ、そのようなことをなさる訳をお話しいただけますか?」
途端に張飛は顔を赤らめた。今更恥ずかしがる必要など無いだろうに、幽谷から目を逸らしつつ、理由を話す。曰く、関羽を喜ばせる為に何かを贈りたいのだそうだ。
彼の力になりたいが、やはり異性からの贈り物で女性が喜ぶ物など幽谷には分からない。
再び歩き出す張飛に従いながら、幽谷は思案する。
張飛は彼女を振り返り、苦笑めいて笑う。
「幽谷、ンなマジで考えなくていーって!」
「しかし……」
「オレなりに考えてみるからさ、ごめんな。分かんねぇこと訊いちまってさ」
背中を叩かれ、幽谷は小さく頭を下げる。
されどふと、脳裏に思い出された記憶。
まだ猫族の村にいた頃だ。
関羽に勧められて始めた木彫り。幽谷自身納得の行く出来に仕上がった物を関羽に贈ったところ、大層喜ばれた。
手作りの物なら、あるいは――――。
「幽谷?」
「何か、お作りになっては如何でしょうか」
「作る? 作るって何を」
「木彫りならば、私がお教え出来ますが……」
張飛は立ち止まって腕組みし、思案する。
やがて、
「頼む!」
「畏まりました」
幽谷は頷いた。
‡‡‡
「あ、幽谷! あの……」
「悪ぃ、姉貴! ちょっと幽谷借りてくから!」
「え? ちょっと、張飛!」
張飛が幽谷の指南のもと、関羽へ贈る為の木彫りを作り始めて早五日。
作業は難航している。
元々木彫りのような細かい作業の苦手な張飛だ、失敗が続いてしまうのは仕方がない。
それでも張飛の熱は覚めることが無かった。ここまで根気よくやる理由は、他にあるのではなかろうか。
「うっし、今日こそは!」
頬を叩いて気合いを入れた張飛は、幽谷が差し出した彫刻を手にし、木材を持った。何度書いても上手くいかなかった張飛に代わり、幽谷が墨である程度の当たりをつけているが、今日は成功するだろうか……。
「ごめんな、ずっと付き合わせちまって。幽谷もやることあんだろ?」
「構いません。その辺りは、ちゃんと調整しております故。どうかお気になさらず」
そう言うと、張飛は眦を少しだけ下げて「あんがとな」と。
「んじゃ、ちゃっちゃと作って姉貴の喜ぶ顔見ねぇとな!」
「はい。ああ、斯様(かよう)に肩に力を入れられてはお怪我をなさいますよ」
「え? ……いてぇっ!?」
「……」
まだ、前途は多難なようだ。
‡‡‡
最近、やたらと張飛と幽谷が一緒にいる。
何かをしているようなのだが、あの幽谷でさえ関羽に教えはしない。張飛と同様、秘密だと頑なに言い張るのだ。
蘇双や関定も知らないのは非常に珍しい。
何だか仲間外れにされたみたいで、どうしても気になってしまう。
「関羽様」
「あっ、幽谷! あの、最近張飛と何かしてるみたいだけど、」
「そのことでお話があるのですが、今お時間よろしいですか?」
関羽はえっとなって目を丸くする。
幽谷は不思議そうにする主人に笑って見せ、そっと手を握って陣屋の中を歩き出した。
「幽谷! 何処に行くの?」
「張飛様のところへ」
何の為に、張飛と何をしていたのか訊ねると、幽谷は「行けば分かりますので」と言って答えてくれない。
幽谷が何処かとても嬉しそうにも見えるから、悪いことではないとは思うが……一体何をすると言うのだろうか。
幽谷は漠然と不安を抱く関羽を、張飛の天幕へと誘った。
中に入ると、いやに緊張した面持ちの張飛が直立不動の姿勢で関羽を迎えた。
「あ、姉貴……!」
「張飛、どうしたの? らしくないわよ、そんなに緊張して……」
幽谷にそっと背中を押されて張飛の前に立つ。彼は関羽の前に拳を差し出した。
「え?」
「手、出して」
「手? えぇと……こう?」
拳の下に、掌を上に向けて片手を差し出した。そこに張飛の拳が乗る。指がそっと開かれ、硬質な物が落ちてきた。
張飛が腕を引く――――。
「……木彫り?」
拙(つたな)い仕上がりの、動物だ。正直、一見では何の動物なのか分からない。
幽谷はたまに劉備に乞われて木彫りをしたりする。だが、幽谷はこのように雑ではない。
なら、これを作ったのは、張飛?
「これ、張飛が?」
「あ、姉貴が……喜ぶかなって……」
尻窄(しりつぼ)みになる張飛に、幽谷が苦笑する。そっと関羽に耳打ちした。
「関羽様がずっと頑張っておられるからと、張飛様も頑張られたのですよ」
関羽の為だけに、慣れないことをして、何とか仕上げたのだった。
関羽は木彫りを見下ろし、ほうと吐息を漏らした。
「……張飛。ありがとう。大事にするわ」
張飛に笑顔を向けると、彼はほうと安堵して破顔した。
「へへ……」
照れたように笑声を漏らす。
しかし、
「ところで、これは何の動物? 馬?」
「……猫だよ」
「えっ」
……まあ、無理もない。
打って変わって落ち込む張飛と、彼に必死に謝る関羽を交互に見、幽谷は小さく笑うのだった。
●○●
ちなみに張飛が作業中に負った怪我は全て夢主が治しました。地がついて駄目になった作品も数知れず。
それでも関羽の為に頑張る張飛なのでした。
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