幽谷と張遼





 片目を隠して、幽谷は兌州の町を歩いていた。
 泉沈が星河と共に屋敷から消えたのだ。関羽がそれに気が付いて幽谷に相談し、取り敢えず屋敷内を関羽、兌州の町中を幽谷が捜索することにした。

 雑踏の中を隈無く見渡し、黒の猫耳をした少年の姿を捜す。

 だが、門の近くになって泉沈ではなく、剣呑な別の人物を見つけた。見つけてしまった。


「なるほど。教えていただき、ありがとうございます」


 女性が異様に集まっている場所がある。
 その中心には、日の光に輝く金の髪の青年が見えた。

 幽谷は、思わず足を止めた。


「そんな、お礼なんていりません」

「そうそう、あたしたちこんなことでお役に立てるなら大歓迎ですから!」


 女性達は皆一様に色めいて頬を赤らめる。うっとりと青年を見上げていた。

 幽谷はすっと目を細めた。
 あの青年には面識がある。……関係は非常に剣呑だが。

 金髪に、たおやかな佇まい。おっとりとした雰囲気。
――――呂布の腹心、張遼だ。
 大方関羽と同様、兌州の動向を窺いにきたのだろう。


「それで、旅人さん! 今日はいつまでお話し出来るの? 旅人さんのことも教えて欲しいなぁ」

「私のことですか? 困りましたね、お話し出来るようなことは何もないのですが……」


 ここは彼を兌州から追い出すべきだろうか。
 張遼を注視しながら、そっと外套の裏に手を入れた。


「えー! 残念。旅人さんって、本当に秘密主義なのね。そんな神秘的なところも素敵だけど!!」


 ……いや、止めよう。
 何となく、近付いたら要らぬ恨みを買いそうだ。

 女性はとかく、恐ろしい。幽谷があの場に入り込んで彼女らの邪魔をしたら、厄介なことになりそうな気がした。

 それに、兌州の動向を探るくらいならば、別に関羽に危害を加えられる心配は無さそうだ。

 幽谷は張遼に気付かれる前にと、その場を離れた。
――――の、だが。


「おや、こんなところでお会いするとは。何をしているんです? 饕餮さん」


 ……気付かれた。
 幽谷は足を止めて、ゆっくりと振り返った。

 すると、女性を連れて張遼が近付いてくる。正直、女性達の敵意の眼差しが痛いので来ないで欲しい。


「えー! この変な人、旅人さんの知り合いなの?」


 不意に一番若いと思われる娘が張遼の袖を引いて気を引こうとする。

 彼女に張遼の意識が向いた瞬間、その場から駆け出した。



‡‡‡




 閑散とした場所に至って、幽谷は足を止めた。
 今日はこのまま帰ろう。関羽に危害が無いだろうが、張遼と接触するところを夏侯惇達に見られ何かを勘ぐられたら面倒だ。

 泉沈達を見つけられなかったのは非常に残念ではあるが――――。


「どうして逃げるのですか、饕餮さん?」

「……」


 何故、こんな声が聞こえる。
 幽谷は目を半眼に据わらせて、声のした方を振り向いた。

 そこには、やんわりとした真綿のような微笑み。


「……どうして追ってくるのです」

「何となく、です」

「馬鹿にしているんですか、あなたは」

「いいえ。ですが、さすがは饕餮さんです。とてもお速いですね」


 また逃げようと身を翻したが、その前に張遼に腕を捕まれた。
 胡乱に振り返れば、「お久しぶりです」と。


「関羽さんはお元気でしょうか?」

「あなたには関係ありません」

「そうですか。ではどうして貴女がこの兌州にいらっしゃるのですか? 確か、幽州に移住なされた筈では?」

「そんなことまで、すでに知られていたのですね」


 手を振り払って外套の裏に手をやれば、彼は鷹揚に頷いた。


「私が幽州を訪れた際、猫族のみなさんが右北平のはずれにある奥地に移住したとの情報を仕入れたのです。私は呂布様の名で各地を巡り、その地の情報を集めてはその調査結果をご報告しているので」

「私がこの兌州にいることも呂布に伝えますか」

「ええ。義務ですので。饕餮さんも、間者としてここにいらっしゃるのですか?」

「あなたにそれをお教えするとでも?」


 幽谷が冷たく拒絶しても、張遼は微笑みを崩さなかった。ゆったりとして、「曹操殿とは通じておりませんので、ご安心下さい」などと見当違いなことを言ってくる。曹操には、もう知られているのだから、通じていればこちらの事情など知っている筈だ。


「申し訳ございませんが、呂布の手の者と話すつもりは毛頭ありませんので」

「そうですか。では、私も貴女への挨拶も終わりましたので、これで失礼致します。――――関羽さんにも、よろしくお伝え下さい」


 一礼し、彼は幽谷に笑いかけると、くるりと背を向けた。

 幽谷は寸陰黙り、歩き出した彼を呼び止めた。


「……待って。犀煉は今も呂布のところに?」


 彼は足を止め、肩越しに振り返った。


「犀煉殿ですか? 彼なら、私と同じく間者として国を回っています」

「そうですか。ありがとうございます」

「いいえ」


 張遼は会釈して、今度こそ幽谷が走ってきた方向へと歩き去っていった。

 その背中を睨みつつ、幽谷は憎らしげに呟いた。


「よろしくお伝え下さいなんて……関羽様のこと、知っていたのね」


 大方、猫族の様子も一緒に調べたのだろう。
 隠す意味など、無かったのだ。

 幽谷は舌打ちし、曹操の屋敷へと戻った。



 泉沈達が戻ってきたのは、夕方になってからであった。
 何をしていたのかと思えば、兌州近くの山で星河と一緒に日向ぼっこをしていたらしい。



○●○

 やっと張遼との番外編が書けた、って感じですね。

 これは第五章でのお話です。幽州から戻ってきてから、ですかね。



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