幽谷と関羽と張飛と関定と蘇双と世平





 幽谷が、刺された。
 刺したのは老婆の息子だ。
 老婆が死んだことを四凶の所為だと彼が騒ぎ立てたのは三日前のこと。まだ、幽谷のことを見当違いで恨んでいたらしい。

 腹部を深く抉られた幽谷は、さすがに痛みに呻き、その場に崩れ落ちた。ぼたぼたと赤い血が地面に斑点を作る。

 周囲は、行き過ぎた息子の行為に愕然とする。幽谷と鼻息荒い息子を交互に見比べ、しかし、誰一人として動かない。


「幽谷!!」


 彼女を抱き起こし、関羽は息子を見上げた。もう、彼の悲しみになど構ってはいられなかった。ふつふつと心の奥底から沸き上がる怒りが血流に乗って全身を駆け巡った。


「こんなの酷過ぎるわ!! ただ、ただ人間とは違う姿で生まれただけでこんなこと……! 人間がわたしたちを蔑むのと同じじゃない!」


 感情に任せて関羽が怒鳴ると、息子は鼻白んだ。二人からよろよろと離れて剣を取り落としてしまう。その時になって、己のしたことを自覚したのだろう、両手を見下ろして茫然自失と立ち尽くす。四凶と言えど、幽谷は人間だ。命ある生き物だ。


「お、れは……!」

「……」

「幽谷、しっかりして!」


 幽谷は傷を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。関羽を呼んで首を横に振り、くるりときびすを返した。
 ふらふらとまろびながら歩きつつ、何処かへと行こうとする。猫族の人間は彼女を避けるように、道を作った。

 だが、それを誰かが肩を掴んで引き留めるのだ。


「待ちなよ」


 蘇双だ。
 それから関定と張飛も駆け寄ってくる。


「……何でしょうか」

「怪我、まさかそのままにするつもり?」


 関羽が駆け寄ると、蘇双は彼女を一瞥し、視線を幽谷の怪我に移した。


「関羽。早く手当しないと、やばいよ」

「え、ええ……」


 本当は、幽谷は水をかければ怪我は治せる。
 それを彼らは知らない。知らないから、彼らの目を憚(はばか)る為にもここは一応手当をしておくべきか。
 関羽は幽谷の身体を支えつつ、小声で彼女にだけ聞こえるようにその旨を話した。
 幽谷は微かに首を縦に動かした。


「ここからならオレん家が近ぇ。早く行こうぜ!」

「え、でも……」

「良いって良いって。今は非常事態だろ? じゃあ蘇双、オレは先に行ってる。幽谷のことは任せたぞ。張飛は世平を呼んでこい」

「お、おう!」

「ああ、分かった」


 関羽とは逆の方を支え、蘇双は幽谷を促した。

 関羽は戸惑うばかりである。
 彼女に同情的だった関定はともかく、蘇双は幽谷を四凶と毛嫌いしていた筈だ。
 だのに何故か、今、幽谷を支えている。
 何故?
 ちらりと蘇双を見やってもその表情からは分からないが、それでも気にならずにはいられなかった。


「……っ」

「あっ、幽谷。大丈夫?」

「ええ……ご迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳ございません」

「良いのよ。それよりも、早く怪我を手当しなくちゃ」


 されど、急ごうにも幽谷の身体にあまり負担はかけられない。血が流れるのは危ないことだけれど、苦痛に顔の歪む幽谷に無理をさせたくないという気持ちもあった。

 ゆっくりと、歩調を幽谷に合わせて関定の家に至ると、待ってましたとばかりに関定が三人を招き入れ、自身の部屋へ通した。幸い、彼の家族は留守だった。張飛と世平はまだ来ていないようだ。

 一旦男衆は部屋の外に出て、関羽が幽谷の服を脱がせて傷の具合を診る。
 深いが、貫通はしていないようだ。腹の辺りは一応の防護をしているのだが、偶然にもその隙間に剣は突き刺さった。身動ぐ程に血が溢れ出し、痛みに幽谷は呻く。

 手拭いで血を拭きながら関定が用意してくれた水を少しずつかけていけば、やがて血も止まる。若干ではあるが、浅くなったと思う。
 別の手拭いを濡らし、それを絞らずにぺたりと傷に張り付けた。そうして血を拭っていた手拭いを晒せば水は一瞬で赤に染まった。
 それを痛々しく見下ろし、幽谷の怪我に視線をやる。


「これで少しは治ると良いんだけど……ちょっと、そのままでいてね」

「御意のままに」


 桶を持って立ち上がった関羽は、早足に歩いて扉を少しだけ開け、関定を呼んだ。赤く染まった水の溜められた桶を差し出し水を換えるように頼む。

 関定は水の色にぎょっとしたが、すぐに了承してくれた。


「怪我の具合は?」

「思ったより深くはなかったから、何とか、血は止まったわ。……でも、暫くは安静にさせないと駄目ね」


 まだ終わっていないからと扉を閉めた関羽は幽谷に駆け寄って手拭いを剥がす。蘇双にはああ言ったけれど、やはり傷はまだ深い。


「仕方ないわ……。幽谷、今日は普通の手当をするわね。また今度、皆の目を盗んで水をかけに行きましょう」

「はい」


 幽谷が頷くのに一言謝って、関羽はまた新しい手拭いを持った。



‡‡‡




「関羽! 幽谷の具合はどうだ?」


 部屋を出ると、世平が幽谷の顔色を見ながら問いかけてきた。張飛や関定もその後ろから不安そうに幽谷を見つめている。

 それに、関羽は頷いて見せた。


「血は止まったし、薬も塗っておいたわ。それと、幽谷が自分でなんだけれど、一時的に縫合もしたの。だけど、暫くは安静にさせておかないと開いてしまうかもしれない……」

「そうか……。悪いな。俺がその場に居合わせてりゃ、こうなることも無かっただろうに……」

「ううん。世平叔父さんの所為じゃないわ」


 幽谷を振り返れば、彼女は壁に寄りかかって立ち、世平にこうべを垂れていた。

 血で赤く染まった服が何とも痛々しい。


「……あの人のことは、こっちで何とかするから、彼女は暫く外出は控えた方が良いと思うよ」


 蘇双が言うのに、世平が驚いた。目を瞠って甥を見下ろす。


「蘇双、お前……」

「……一つ、気になることがあるから」


 彼はぼそりと呟くように言って、くるりときびすを返す。


「ボクは、あの人のことを見てくる」

「待て。それなら俺も付き合う。……張飛、幽谷を俺の家まで運んでくれ」

「分かった。関定、すまなかったな」


 関定が「構わねぇよ」と片手を振るのに苦笑めいた微笑を浮かべた世平は、そのまま足早に止まらずに歩き去ってしまった蘇双を追いかけた。

 張飛が幽谷に近付いて、顔色を覗き込んできた。


「大丈夫か? 幽谷」

「はい。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません。張飛様、関定様、関羽様」


 後で、蘇双様や世平様、それにあの方にも謝罪しなければなりませんね。
 顔を上げた幽谷は独白するように言う。

 それに、一同はぎょっとした。


「あの方って……おいおいおい、まさかお前刺した奴にも謝るつもりじゃないだろうな!?」

「私が四凶であるが故、あの方のお母上の寿命を縮めた可能性も高いでしょう。なれば、償いはすべきかと。……勿論、償い切れぬ罪だと自覚はしておりますが」


 関羽がぐにゃりと顔を歪めた。俯いて、瞑目する。

 張飛と関定は、困惑し顔を見合わせた。



○●○

 猫族との騒動はまだ続きます。

 一年で仲良くなれる訳ないよねってことで、本編の方でちまちまっと訂正入れてます。



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