幽谷と曹操と夏侯惇と夏侯淵





 曹操が、幽谷を呼び出した。
 理由は、一頭の軍馬の調子が悪いのだが、厩舎の者には原因も分からないが故。
 動物に詳しい幽谷に究明して欲しいのだそうだ。

 呼びに行かされたのは夏侯淵だ。

 沛国礁県は曹操の城。
 その城外に一時的に暮らしている猫族のもとに行く彼は、いつかの夏侯惇のように不機嫌を剥き出しにしていた。
 幽谷の腕を掴み、何も言わずに連れ出して厩舎まで連れてきた。


「待っていたぞ、幽谷」

「……曹操殿。私は何故厩舎に連れてこられたのでしょうか」


 夏侯淵にどんと押しやられ、幽谷は眉根を寄せながら曹操を見上げた。彼の隣には、夏侯惇が仏頂面で立っている。

 曹操は夏侯淵を見やり、幽谷を見下ろす。


「幽谷、お前に馬を診てもらいたい」

「馬をですか?」


 曹操は頷く。

 幽谷は怪訝に眉根を寄せて、夏侯淵を振り返った。


「何故私がそちらの馬を診なければいけないのです。厩舎の者が分かりましょうに……」

「分からぬ故、お前に任せたいのだ」


 この緊迫した状況、一頭の馬でも欠かせない。戦力は万端で望まなければならぬのだ。
 曹操は渋る幽谷の腕を掴んで厩舎の中へ強引に連れ込んだ。

 幽谷は顔をしかめたまま、彼に従う。

 夏侯惇達も、不満を露わにしつつ、後を追いかけた。何も言わないのは、調子が悪いその馬が軍の中でもかなりの駿馬だからだろう。


「この馬だ」

「……はあ」


 幽谷は馬の前に、赤と青の双眸を馬に向けた。

 すると、その馬は数歩退がり幽谷へ首を下ろすのだ。


「な……」

「……気を遣わなくて良いわ。少し身体を触ってみても良いかしら?」


 馬が小さく鳴くのに微笑みかけ、柵を越えて馬の横に立つ。首や背中――――それから腹を触って、はたと気付いて動きを止めた。
 腹を中心的に触り、やがて一つ頷く。

 曹操は黙ってその様子を見つめていた。


「いつ?」


 馬に問いかける。

 馬は幽谷に顔を寄せる。
 途端、幽谷は頷いて馬に頬を擦り寄せた。

 それから曹操達のもとに戻ると、「分かりました」と。

 夏侯淵は胡乱げに見やるが、夏侯惇が曹操の隣に並び、


「何が原因だ」

「その前に、一つ確認をさせて下さい。この馬達が放牧されたのはいつです? なるべくならば、前回、前々回と知りたいのですが」

「確か、一ヶ月前、二ヶ月前に」

「二ヶ月前、……では放牧した時に、交配したのですね」


 馬を見やり、幽谷は一つ頷く。

 それから夏侯惇に視線を戻し、


「彼女、妊娠しています」


 愕然とした。


「妊娠だと!?」

「しかし、発情していた節は無かったぞ?」

「馬はこの時期三週間周期で発情しますから、始まったばかりで妊娠し、見逃していたのでしょう。彼女は来年まで安静にしておくべきです」

「……分かった。妊娠となれば仕方がない」


 曹操は鷹揚に頷くと、厩舎の人間を呼び、妊娠のことを伝えた。
 彼は驚いていたが、曹操が妊娠馬専用の厩舎へ連れて行くように命令すると、すぐに従って馬を連れ出した。

 されど、馬の妊娠に気付かないとは、厩舎の人間を変えるべきかもしれない。
 そう考えていると、ふと幽谷が曹操に頭を下げて厩舎を出ていこうと歩き出した。

 曹操はそれをすぐに呼び止める。


「幽谷」

「何でしょうか。まだ、診るべき馬がいるのですか?」


 曹操は首を横に振った。


「お前は動物と話せるのか?」

「ええ。それが何か?」

「気になっただけだ」

「そうですか。では、失礼いたします」

「まあ待て」


 そんなに帰りたいのか、さっさと歩き去ろうとする幽谷の腕を掴み、曹操は引き寄せる。

 幽谷は胡乱げに彼を見上げた。


「……私が来るべき用は無くなったのでは?」

「折角だ、夏侯惇と碁を打って行け。前に言っていただろう」

「曹操様!」

「……この状況でよくもまあ」


 呆れた風情で幽谷は手を振り払う。

 迷惑そうな態度を隠そうともしない彼女に腹立ちを覚えながらも、夏侯惇は状況を考え、曹操を諫める。

 が、曹操は彼の諫言を受け入れない。

 本来夏侯惇と同じく諫めるであろうと思われた夏侯淵は、幽谷が碁を打てることに驚いているようだった。


「兄者、四凶が碁を打てるのか?」

「……ああ、曹操様と二回程打っている」

「何だって!? 四凶如きが曹操様と碁を!?」


 夏侯淵は幽谷をキツく睨みつけた。

 だが幽谷とて曹操に誘われて碁をやっているだけのことだ。確かに曹操と初めて打った時は久しく打てて嬉しかったけれど、今では碁盤も賜ったし、猫族の皆と打てるだけで十分なのである。


「夏侯惇殿が嫌がっておられますし、私とて洗濯物の途中でございましたので……」

「……俺は別に嫌がってなどない」

「はい?」

「武以外でも四凶如きに劣るなど……俺の矜持が許せん」

「馬鹿ですか?」


 思わず言ってしまう。
 はっと口を噤むが、夏侯惇のこめかみが震えたのに目を逸らした。


「……では、失礼致します」


 自分で言っておいて難だが、面倒なことになりそうだ。
 幽谷は曹操に頭を下げて一目散に逃げ出した。

 夏侯惇の怒声が聞こえたが、聞こえないフリをしておこう。



●○●

 薄く碁ネタの続き。
 馬の妊娠期間は333日間だそうです。

 そしてここで気が付きました。
 複数(ここ)曹操軍ばっかりじゃないかっ!!



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