幽谷と曹操と夏侯惇
※幽谷と夏侯惇(碁ネタ)の続き
幽谷は曹操の屋敷を訪れた。
夏侯惇の伝言を聞き、碁を打ちに来たのだ。ただ、今日は用事が多いので一局だけなのだが。
それでも、相手が猫族の敵であるにも関わらず、幽谷は浮き足立っていた。
昨日も世平と一局打った。世平も久し振りに碁を打てて喜んでいた。まあ、曹操に贈られたというのは気に食わなかったようだが。
機嫌良く回廊を歩いていると、夏侯惇に呼び止められる。
「おい、四凶」
「夏侯惇殿」
幽谷は足を止めて彼に頭を下げる。
「本当に碁を打ちに来たのか」
「そうですが……もしやあれは、嘘だったのですか?」
「違う。確かに曹操様より預かった言伝だ。自分の身も弁(わきま)えずにのこのことやってくるお前の神経が理解出来なくてな」
「ですが、身分の高い方の誘いをぞんざいに断れば失礼となりましょう。人間の世界ではそうだったと認識しておりますが、違うのですか?」
幽谷は首を傾げる。
夏侯惇は返答に詰まった。彼女の言うことは、間違ってはいない。
だが幽谷は人じゃない。不吉な四凶だ。夏侯惇としては、あまり彼女を曹操に近付けたくはないのだった。
「四凶、貴様は自分が四凶であることを自覚しているのか?」
「ええ。私は饕餮です。けれど、私は四凶という名前ではありません。幽谷という名前がございます」
「誰が呼ぶか!」
「ですが、この洛陽では四凶であることをなるべく隠さねばならないのでは? それで民が混乱してしまっては、曹操殿の身分にも関わってくるかと存じますが」
また返答に詰まってしまった。人間と対する時の彼女には感情の起伏が全くと言って良い程無いので、抑揚無くずばずばと言われると余計にこちらが苛立つ。本当に気に食わない。
歯噛みする夏侯惇を眺めていた幽谷はふと、廊下から外を、空を見やった。日の高さを見、すっと目を細める。
「ああ、急がなくてはなりません。夏侯惇殿、申し訳ありませんが、失礼致します」
「なっ、おい! 話はまだ――――」
幽谷は歩き出す。夏侯惇の言葉など全く聞いてはいなかった。
実際、本日幽谷は予定が詰まっている。曹操と一局だけ碁を打った後劉備のもとを訪れ、それからすぐに買い出しをして、陣屋に帰れば張飛と組み手、それから関羽と洗濯物の片付け――――偶然が重なって密集してしまったのだった。
張飛には明日に回せないかと相談してみたが、見事にごねられた。明日は彼も用事があるらしかったから、仕方がないと時間を調整をすることで無理矢理入れた。
故に、今日は迅速に動く必要があるのだ。
曹操の部屋に着いた幽谷は声をかける。応(いら)えを待って扉を開けた。
丁度碁盤を持っていた曹操は彼女を見るなり口角をつり上げる。
「待っていたぞ」
「昨日の碁盤並びに本日お誘い下さり、ありがとうございます。ですが、今日は予定が詰まっておりまして、一局のみでお許し下さい」
「分かった」
幽谷を招き入れ、碁盤を挟んで座らせる。
黒の碁石の入った小箱の蓋を取り、碁石を手に取った。
曹操を見やれば、彼は笑みを消し、真剣な眼差しで碁盤を見下ろしていた。
‡‡‡
碁を打っていると、夏侯惇が曹操の部屋を訪れた。
兵士の中に病で倒れた人間がいるそうだ。幸い人に伝染するものではないらしいが、大事を取って一旦休みを与えたいとのことだった。
曹操は考えるまでも無く許可を出した。
「良かろう。隊の編成はお前に任せる。良いな」
「はっ」
そこで、彼はちらりと幽谷を一瞥した。ぐっと眉間に皺が寄る。
幽谷は彼に頭を下げた。
すると、曹操が不意に思い付いたように言うのだ。
「そうだ、夏侯惇とも一局打ってみるか。柔軟な攻め方をするお前の、私以外との対局にも興味がある」
「は?」
「曹操様!?」
ぎょっと幽谷と夏侯惇が曹操を凝視する。
曹操は面白がるように二人を眺める。
「そうしよう。また後日で良い。打ってみろ。私の前でな」
「そ、曹操様! お戯れを……」
諫めるように呼ぶが、曹操は聞き入れない。
「日は追って知らせる」
「あの……勝手に決められては困るのですが」
「お前の予定に合わせる、それで文句は無かろう」
いや、ある。
大量にある。
幽谷は勝手に決めて話を終わらせる曹操に口角をひきつらせる。
……そもそも夏侯惇がここに来たから、曹操が妙な思い付きをしてしまったのだ。
そう思うと夏侯惇が恨めしくなって、つい彼を睨みつけてしまった。病で倒れた兵士は勿論彼にも非が無いことは、頭の片隅では分かっているのだが。
夏侯惇はその視線に顔をしかめる。反論しようとしたが、ここが主の私室であると踏み留まり、頭を下げて部屋を辞してしまった。
「何をしている。続きをやれ。今日は時間が無いのだろう?」
「……はい」
その涼しい顔に飛ヒョウを投げつけてやろうかと、一瞬本気で思った。
●○●
碁ネタの続き。
また続くのかも……。
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