幽谷と関羽
如何な長の言葉であろうと、四凶である幽谷が、そう早く猫族の村に馴染むことは無かった。受け入れられることもまた然りだ。
関羽や劉備の見えないところで出て行けと罵られるし、子供達だって怯えて家に逃げ込む。
本当にここに居座って正解だったのか……幽谷は毎日のように考えていた。
『ねぇ、幽谷。四凶でも心を持って良い――――いいえ、四凶なんて関係ない。あなたは人だわ。心を持つのは当たり前のことよ』
『……じゃあ、まずは自分が人だって思うようになりましょう』
『大丈夫よ、私も手伝うわ。だから、もう死のうとしないで』
関羽の言葉が脳裏に蘇る。
本音を言えば、嬉しくなかった筈がない。
だが自分の所為で彼女が猫族の中で立場を危うくさせているのかと思うと、とても申し訳なく思う。
幽谷は、いつもいつも、なるべく猫族の目に触れないよう動いている。彼らを不快な気持ちにさせたくないし、子供達を不安無く外で遊ばせてあげたいからだ。
けれど関羽は、彼女がどんなところにいても、必ず見つけてしまう。
隠れるのは、得意である筈なのだが。
この日彼女は村から離れた林にいたのだが、関羽はやはり現れた。
「幽谷! 今日はここにいたのね」
「……」
幽谷は無言で頭を下げる。
しかし、ふと、関羽の手にある包みに気が付いて首を傾げた。
「それは……」
「お菓子を作ったの。良かったら食べて!」
「菓子……?」
「あ、もしかしてお菓子を知らない?」
「いえ、存じてはおります。ですが今まで食したことは無いので……」
怪訝そうに包みを見る幽谷に関羽は笑った。包みを開いて、未だ温かいそれを幽谷に持たせる。
「食べてみて。自分で言うのもなんだけど、とても美味しいんだから」
「はあ……では、」
関羽に軽く頭を下げて、菓子を口に近付ける。されどそこで一旦離してしまった。
悩むように思案してから、やがて意を決したようにかじり付く。
ふわり。
甘い香りが口内に広がった。
幽谷は初めて口にするそれに目を剥いた。
「……甘い、ですね」
甘い。
初めて感じる味ではないだろうか。
今までものを味わって食べたことの無い幽谷は、吟味するように咀嚼(そしゃく)し、それを甘いのだと認識する。自分が甘いという味覚を、識(し)っていたのには驚いたが。
嚥下(えんか)し、更に菓子を頬張る。
それを、関羽は微笑ましそうに見守っていた。
「……美味しゅうございました」
「良かった。じゃあ、また作ったら幽谷にあげるわ。劉備達にもあげなくちゃいけないから今日は一つしかあげられないけど、また今度、一杯食べられるくらい作ってあげる。そうしたら、張飛達と一緒に食べましょう」
関羽は、いつも幽谷が猫族に溶け込めるように心を砕いている。
自らが猫族と人間の混血だからだろうか。幽谷が溶け込めないことに、誰よりも心を痛めていた。
そのようなことをしなくても良いのに。
関羽が猫族で孤立してしまうのは、絶対に駄目だ。彼女の純真に生きる姿を見ていて、とてもそう思う。
されど、幽谷にはどうすれば良いのか分からない。どのようにして彼らと向き合えば良いのか、どのように立ち回れば関羽が皆と仲良くしたままに出来るのか。人付き合いというものに全くの無縁だった幽谷には、皆目見当も付かなかった。
「じゃあ、日が暮れる前にはちゃんと帰ってきてね」
「はい。ありがとうございました」
関羽は幽谷に笑いかけると、包みを戻して小走りに村の方へと戻っていった。
それを見つめながら、ふと、近くの茂みに気配を捉えた。
そちらに視線をやれば、茂みがざわついて大人の拳程の石が幽谷めがけて飛んできた。
石は幽谷の脇腹に当たった。
「これは……?」
瞬間、茂みから一人の少年が飛び出してくる。
猫族の、少年だ。
彼は鍛錬用の木刀を持って幽谷に襲いかかった。
幽谷は避けなかった。
腕を盾にして、少年の渾身の一撃を受け止める。
ぼきり。
……ああ、折れた。
避けると思っていたのだろう。少年は幽谷の骨が折れた音を聞くと途端にたじろぎ、後退した。
腕が曲がるのを見せまいと腕を下に垂らすと、少年はひっと声を上げた。だが何が彼を焚きつけているのか、震えながらも幽谷に怒鳴るのだ。
「か、関羽姉ちゃんに近付くな! 関羽姉ちゃんは、化け物のお前なんかと仲良くなんかするもんか!」
幽谷は口を開いたが、すぐに噤んだ。
何も言わずに、少年に頭を下げて林の奥へと歩き出す。
口内にはもうあの甘さは残っていなかった。
代わりに、苦々しくて不快な感覚が、口から下へ嚥下するかのように広がった。
ずうんと、胸を重たくする。何となく、苦しいような気もした。
それが苦痛であることを、幽谷はまだ知らないでいる――――。
○●○
うっすら続きそうな気がします。
夢主が来たばかりの頃です。
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