9.すがるようにキスして




9.すがるようにキスして(趙雲)



「好きだ」


 思いを告げた時、彼女は怪訝そうな顔をした。

 いつも彼女は自分にはこと辛辣である。だが、この場面でもこのような、「思考は確かですか」とでも言いたげな顔をされると、正直こちらも傷つく。

 趙雲は苦笑を浮かべた。


「……聞いてくれていたか?」

「聞いていましたよ。馬鹿ですか。思考は正常ですか」


 ああ、言われた。
 想像通りの反応である。
 少しだけ肩を落として吐息を漏らした。

 彼女――――幽谷が色恋沙汰に興味が一切無いのは分かっている。だが、もう少し真摯に受け止めてくれても良いのではないだろうかと思う自分は勝手だろうか。夢の見すぎだろうか。

 幽谷は彼を訝しげに見上げる。


「話はそれだけですか。世平様に呼ばれておりますので」

「あ、ああ……すまなかったな」


 幽谷は趙雲に頭を下げて颯爽とその場を離れていった。

 その背中を眺めながら、趙雲は目を細めた。

 彼女に恋をしたのは、間違いだったのだろうか。……いや、間違いという言葉は当てはまらないか。
 手の届かない女性に惹かれてしまったのだ。

 だが、幽谷という女性は気高く美しい。そのくせ主に似て自分の身体に頓着無く無茶をするものだから放っておけないのだ。

 最初こそ、彼女の意識下にいるだけで満足していた。

 足りなくなってしまったのはいつからだろうか。
 彼女が自分のものになってくれたら――――そう願うようになってしまったのは。
 彼女が欲しい。
 男としての浅ましい欲望が彼のささやかな恋慕の邪魔をした。

 ともすれば、無理矢理にでも自分のものにしてやりたいという欲求が、幽谷を視界に入れる度に根底から湧き上がる。理性で押しつけてはいるものの、その壁がいつ破壊されるか――――もはや時間の問題であるような気がした。

 自分が他人にこれ程に惹かれ、固執することになろうとは予想だにしなかった。
 これが、とても心地良い感覚で、危うい衝動を孕んでいるものだとは知りもしなかった。

 されども、幽谷は猫族と関羽に篤い忠義を捧げている。彼女らの為ならば、幽谷は命を投げ出すことも厭わない。
 そこに趙雲が入り込む隙は全く無いのである。
 それは、分かっているのだが――――。


「どうしようもないな」


 独白し、彼は長々と息を吐き出した。



‡‡‡




 ふわふわと頼りない世界を漂う。
 ここは何処だろうか。
 確か自分は戦の真っ直中にいた筈だ。こんな世界は知らない。

 剣を振るって、駆けなければならないのに。
 猫族達と共に戦い、勝利を掴まなければならないのに。
 どうして、自分はここにいるのだろうか。
 戻らなければ。
 戻らなければ。

 彼女が、危険だったのに――――。


「――――どの……」


 声が、する。
 馴染み深い声だ。
 それは彼が聞きたかった声だ。
 でも、何故ここに聞こえるのか?

 そこには、自分以外誰もいない。
 だのに、何故声が?



――――そこで、何かに急激に引き寄せられるような感覚に襲われた。



‡‡‡




「う……っ!」


 激痛。
 趙雲は瞼を押し上げて身を起こした。
 胸から腹に駆けて焼けるような痛みを感じ、己の身体を見下ろすと、上半身は包帯に覆われていた。

 そこを撫で、周囲を見渡す。
 何処かの天幕の中だった。薬の匂いが鼻を突く。


「……負傷、したのか。俺は」


 それで、ここに運ばれた、と。
 記憶を手繰った。

 曹操の下、かつて仕えていた公孫賛の弟公孫越との戦に出た。猫族の一員として。
 そして、公孫越へともう少しというところで、幽谷が関羽を庇って数本の矢を受け、崩れたのだ。
 そうして――――ああ、そうだ。
 幽谷に襲いかかった兵士から、自分が彼女を庇った。
 この痛みはその時の傷だ。

 戦の結果よりも何よりも、幽谷が無事なのかどうかが気になった。
 されど傷は深いようで、立ち上がろうとすると激痛が阻んだ。

 すると、その時。


「……お目覚めのようですね」


 天幕に入ってきたのは幽谷であった。
 傷一つ無いその姿に、趙雲は安堵した。

 しかし、何故か彼女の眉間に皺が寄る。


「……」

「幽谷?」

「あなたは馬鹿ですか」

「は?」


 辛辣な言葉に面食らった。
 唐突であった。

 きょとんと首を傾けると、舌打ちが聞こえた。


「幽谷? 馬鹿、とは……」

「馬鹿だから馬鹿と言ったまでです」


 彼女が表に出る程機嫌が悪いとは珍し――――くはないか。いつも、自分と話す時は機嫌が悪い。
 苦笑を禁じ得なかった。

 幽谷は趙雲に冷めた視線を向け続けた。

 しかしふと、彼の胸に手を当て、そこから温かな光を放った。幽谷の、傷を癒す力だ。
 全身から力が抜けるような感覚を覚え、趙雲は吐息を漏らした。劉備や関羽達に力を使っている姿はままに見るが、こうして自分が傷を癒してもらうのは初めてではなかろうか。

 暫くして幽谷の手から光が消えると、そっと離れていった。

 痛みも、無くなった。


「すまない」

「いえ。関羽様に頼まれましたので」


 関羽に頼まなければ、誰が癒すものか。
 そう言いたげな幽谷は、ぎろりと趙雲を睨みつけた。


「私は、誰かに守られる程弱くはありません」


 従って、気を配る必要は一切ございません。
 けんもほろろな彼女に趙雲は緩くかぶりを振って否定した。


「俺は幽谷を弱いとは思っていないよ。ただ、あの時は身体が勝手に動いたんだ。気に障ることだったなら、すまなかった」


 すると、途端に彼女は気まずそうに顔を歪めるのだ。趙雲から視線を逸らし、言いにくそうに口を動かした。


「……別に、気に障りはしていません」

「え?」

「……」


 舌打ち。
 首を傾げれば幽谷は俯き加減になった。

 気に障った訳では、ない?


「幽谷。それはつまり、」

「…………下さい」

「?」

「……っ、約束、して下さい」


 私の為に無理はしないと。
 掠れた声に、瞠目した。
 ややあって、思わず笑みがこぼれてしまう。

 彼女のこと、天幕から逃げられる前にと手を伸ばして抱き寄せると、当然ながら抵抗された。けれでも、趙雲の身体を気遣ってか、強いものではないので、容易く腕の中に収まった。
 抱き締めて分かる。幽谷の華奢な身体。

 この身体でいつも猫族を守っていたのだと思うと、彼女の武に及ばない自分が情けなくなる。


「分かった。約束する」

「……」


 幽谷は押し黙って何も言わない。ただ、縋るようにぎゅっと趙雲の背に腕を回す。
 それを、頬に手を添えて彼女の名前を呼べば、躊躇うようにゆっくりと面が上がる。

 赤と青の眼差しと間近で交差し、くらりと眩暈がするかのような感覚に襲われた。

 薄く開かれたふくよかな紅唇が、趙雲へと近付いた。
 誘われるように、彼は目を伏せ顔を下げる――――。



‡‡‡




「――――と、言う夢を見たんだが」

「下らない妄想を私に話さないで下さい」



●○●

 締めは長々となりそうな気がしたので強制終了です\(^o^)/
 夢落ちでズドンと落としてみました。

 しかし、書いてみてお題と内容がまるで違うと言うハプニング。



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