7.とろけるようなキスをして



7.とろけるようなキスをして(夏侯惇)



 全身が燃えているかのように暑い。その所為で全身に汗を掻き、ぐっしょりと濡れた寝衣が気持ち悪い。呼吸も苦しいし、心臓もずっと忙しない。
 何をするにも億劫で、起き上がることすらも自分の力ではままならぬ。
 気怠さに熱い息を吐きながら、幽谷は滲んだ視界の中に見る己の主に掠れた声で謝罪した。が、咽も腫れているようで、声らしい声が出せなかった。

 けれども相手には分かったようで、彼女は静かに首を左右に振った。額に乗せた布を触り、取り去る。水に浸けて絞り、また額に載せた。ひんやりとした温度が心地良いのは一瞬だ。すぐに体温で温くなっていく。
 幾ら取り替えてもすぐに熱を持ってしまう布を、主は――――関羽は頻繁に替えて甲斐甲斐しく看病した。
 どうせ昏睡状態になって数日もすればけろりと回復するのだし、風邪を移してしまうから部屋を出ていてもらいたいのに、そんな言葉すら満足に出せない。
 主であり友人でもある関羽に苦労をかけてしまうことを申し訳なく思いながら、何も出来ない自分を不甲斐なくもどかしく感じる。


「昏睡状態で数日経てば治るんだろうけれど……出来るだけそうならないうちに治しましょう。もし昏睡状態のまま目覚めなくなってしまったらって不安だもの」

「……ぃ、ぁぇ……」

「あ……無理しなくって良いのよ。今は治すことに専念して。夜になるまでわたしがいるから。その後は、夏侯惇がついてくれると思うわ。薬も恒浪牙さんが用意してくれるって」


 ……要らないのに。
 それよりも関羽や夏侯惇に風邪を移してしまう方が恐ろしい。
 風邪なんて、悪化すれば容易く死んでしまうのだ。恒浪牙の薬なら使わずに置いて、彼女らの為に使うべきである。

 幽谷の意識を繋ぎ止める為に、絶えず優しく語りかける関羽に罪悪感を抱きながら幽谷は潤んだ赤と青の双眸を瞼で隠した。
 襲い来る睡魔に抗わずに、そのまま身を委ねた。

 だが、それが昏睡の兆しではないことは、はっきりと分かっていた。



‡‡‡




 目が覚めると、視界の中に関羽ではなく男性がいた。
 つり目がちな目を伏せて沈黙する彼は、夏侯惇だ。薄暗い部屋の中灯火に照らされ、凛々しい顔は橙を帯びている。
 関羽の言う通り、夜になって幽谷の看病しているのだろう。

 だから、そこまでしなくて良いのに。
 嘆息してのっそりと時間をかけて寝返りを打つ。横臥して見慣れてしまった夏侯惇の寝顔を見上げた。
 手を伸ばそうとして、しかし上手く力が入らずに断念する。

 咽の腫れも未だ引いておらず、声をかけて起こすことも不可能だ。
 この部屋にいれば、風邪が移ってしまうだろうに。風邪を引いてしまえば苦しむのは今度は夏侯惇なのだ。

 風邪の間だけは、彼らには出ていて欲しいのに。
 また吐息をこぼすと、夏侯惇が身動ぎした。
 瞼が震えて押し上がる。


「ん……」


 掠れた声を漏らし、彼は幽谷を捉える。軽く目を瞠って少しだけ仰け反った。


「幽谷……身体はどうだ」

「……ぃえ」

「……ああ、いや、無理して喋るな。お前が話せないのは関羽から聞いている身体が楽かどうか、首を動かして答えられるか」


 楽でない、と首をゆっくりと左右に振って答える。
 夏侯惇はそうか、と幽谷の頭を撫でた。汗でじっとりと濡れているから、あまり触られたくはない。
 額の布が退かされ、手の甲を当てられた。


「まだ熱いな……」


 夏侯惇は幽谷の背中に手を入れて上体を起こさせる。
 片方の手で恒浪牙から手に入れたのだろう丸薬を持って顔を覗き込む。


「幽谷、薬だ。飲めるか?」

「……」


 首を左右に振る。
 それは自分達が風邪を引いた時に使って欲しかった。恒浪牙の薬は、効き目は確かだから。
 そんな意思を込めて拒んだのだが、夏侯惇は単純に体調不良によって自分の力では飲めないのだと認識したらしい。

 唐突に口に含んで幽谷の口に押し当てた。
 舌で唇をこじ開けて苦い丸薬を無理矢理に入れる。
 それからすぐに離れたかと思えば、今度は水である。強引な口移しに幽谷は渋面を作って時間をかけ嚥下(えんか)した。


「ん……っ」


 苦い。苦すぎる。
 良薬は口に苦しと言うが、これはさすがに苦すぎるのではなかろうか。
 顔をしかめる幽谷に、夏侯惇は小さく笑って我慢しろと頬を撫でた。


「苦い分、効果はある」

「……」


 無駄な浪費を。
 そんな抗議を込めて夏侯惇を睨むと、今度はどんな勘違いをしたのか、宥めるように目尻に口付けられた。脂汗が滲んでいるだろうに、繰り返し口付けながら口へと降りてくる。

 触れた唇の温度は分からない。こちらが熱すぎる所為か、長く触れているとまるで自分と彼の唇が溶けて交わっているような、そんな奇怪な感覚に陥る。熱に浮かされているからまともな思考が働かないのかもしれない。

 こんなに接触して、風邪を引いても知らない。責任はとれない。
 心の中でそう言って、幽谷は身を寄せてくる夏侯惇に目を伏せた。

 嗚呼、熱がまた上がったような気がする。



○●○

 風邪っぴき夢主、再び。

 夢主回復した後何故か関係の無い夏侯淵や張飛が風邪を引いたりして。



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