6.欲望だけのキスをして




06.欲望だけのキスをして



 灯りの点けられていない部屋に入った途端、幽谷は寝台に押し倒された。
 何が、と状況を確かめる前に何かが覆い被さって両腕を押さえつけられてしまう。

 ここは自分の家だ。なのにどうして、人が入っている? いつの間に、侵入されてしまったのだろうか。
 抵抗をしようと力を込めると、それを阻むように口を塞がれた。

 薄く開いていた唇を無理矢理に割り開いてざらついた温かい物が口腔内に入り込んでくる。
 それは歯列をなぞり、上顎を撫でた。奥に逃げた幽谷の舌に先が当たると、強く吸い上げられた。逃げた舌が力に負けて絡め捕られてしまう。


「ん、ぁ……!」


 幽谷は腕を解放してもらおうと、力を込める。
 されど、舌に上顎を撫でられれば背筋を駆け抜ける悪寒のような感覚に力が抜けてしまう。

 ……何故だろうか。
 この感覚に、覚えがある気がする。
 薄く目を開き、凝らして相手を見つめると、彼女は瞠目した。
 と同時に、呆れ果てる。

 幽谷を襲った相手は、彼女の見知った人物であったのだ。


「は……、んぅ」


 幽谷が抵抗を止めると、相手は頬の内側を舌で撫でてゆっくりと身を放した。

 幽谷は目を細めた。


「……何をしているんですか、あなたは」


 くつくつと咽の奥で笑う。両腕が解放されると、腰をそろりと撫でられた。いやらしいその手つきは、随分と前のことだが、昨日のことのように思い出せる。
 幽谷は目を半眼に据わらせた。


「何だ、幽谷。抵抗はもう終わりか?」

「……本気で抵抗してよろしいのであれば、遠慮無く殴りますが」

「そいつは勘弁してくれ」


 相手はいとも簡単に身を離してくれた。

 幽谷は嘆息して、身を起こした。


「……どうして、あなたがこの村にいるのです。――――馬超殿」


 冷たく見やると、相手――――馬超は口角をつり上げた。幽谷の額に口付けて手の甲で頬を撫でた。

 幽谷はその手を払い退け、寝台を離れる。札で火を起こし、灯台を点した。

 馬超も身を起こして縁に腰掛けた。いやらしい笑みは消えない。


「約束しただろ? 迎えに来るって」

「約束と言うか……あなたが勝手に言って勝手に決めただけでは」

「そうだったか? まあ、別に構わねぇだろ」


 いや、構う。

 捜すのに苦労したぜ。
 話を聞かずに笑いながらぼやく彼に、幽谷は吐息を漏らす。

 だが、彼が苦労したのも仕方がないだろう。

 劉備が金眼の呪いに支配され、人間達を恐怖の淵に落とすような事件を起こしてしまった。
 その代償として、猫族は平穏な暮らしと共に辺境へと移住したのだ。もう、かつて親しくした人間達と会うことは許されない。それだけのことを、劉備は――――否、金眼はしてしまった。
 劉備の責任は、猫族皆の責任でもある。
 そして猫族の責任は、幽谷も負う。

 この騎馬民族の馬超が新しい猫族の村を見つけられる筈もなかったのだ。
 それなのに、今彼はここにいる。……人の家に不法に侵入している。


「あなたの執念深さにはいっそ感服いたします」

「褒め言葉、ありがたく貰うぜ」

「何処をどう解釈すれば褒め言葉になるんですか」


 彼は笑声を漏らす。からかっているだけなのだ。

 前も――――反董卓軍の中でも、彼はそうだった。
 少しでも気があると思わせたのがマズかったのかもしれない。といっても、何処でそう思わせてしまったのか、自分でも分からないのだけれど。


「で、ものは相談だが。猫族ごとうちに来るってーのはどうだ?」

「はい?」


 振り返れば、彼の顔からは笑顔が消えていた。真摯な顔で、幽谷に意見を求めている。


「猫族達の噂は、聞いた」

「その上で、そう仰いますか。あなたは」

「一応、猫族の奴らにもここに来る前にその話をした。ま、どんな判断されても、俺はお前をさらってくつもりだがな」

「……」


 正直それは、困る。
 勝手な約束をされたとは言え、猫族を放っておいて異郷に移住する訳にはいかない。

 彼もそれが分かっていて先に猫族に話をしたのだろうが……曹操の意に逆らうことは避けたかった。曹操は猫族に対して態度は柔らかいが、戦闘能力に優れた猫族、そして四凶をむざむざ異郷の地に送り出すだろうか。

 人間の世と一線を画した猫族が再び人と交わることは許されるのだろうか。


「猫族がこっちに来るってんなら、うちのもんには文句は言わせやしねえよ」


 幽谷が迷っていることも馬超は分かっているだろう。
 その上で、説得をしようと――――。


「……私は猫族の側を離れる訳にはいきませんから」

「ああ、分かってる」


 そこで、馬超は立ち上がる。
 幽谷を抱き寄せると、肩口に顔を埋めた。


「あの……」

「この話は終わりだ」

「は?」


 自分で振っておいて何を……。
 そう言おうとした幽谷はしかし、首筋に吸い付かれて片目を眇めた。外套を着ていないのだと、その時になって思い出す。


「馬ちょ――――」

「もう幽谷に言葉重ねても、無駄らしいからな。だったら、もう何も考えずに欲のまま身体を重ねて一夜を過ごすのも悪かぁねえだろう?」

「それはあなただけです。私を巻き込まないで下さい」


 と、寝台に連れて行かれ、簡単に押し倒されてしまう。四凶としての怪力を発揮する暇も無かった。

 幽谷が抵抗することも馬超は楽しんでいた。
 こうなってしまうと、自分の欲が抑えきれなくて無理矢理話を切り上げてしまったという印象が否めない。


「馬超殿! 話はまだ――――」

「それはもう終わりだっつったろ?」

「終わりにしては駄目かと存じますが……んぅっ!」


 塞がれる。
 幽谷は眉根を寄せて馬超の身体を押した。

 けれども、まさぐる手や舌にばかり意識が向いて上手く力が入らない。


 流されるべきではないのに。

 ああ、もう。
 流される――――。



●○●

 流されました。
 馬超の元に猫族も一緒に行くのかは、多分行かないと思います。
 だから夢主も残ろうとするのを皆に説得され、嫁いでいくことに。
 そんな流れになります。



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