2.内緒でキスして



2.内緒でキスして(顔良)



 幽谷が袁紹の下に就いたのは他ならぬ関羽を守る為である。
 彼女は今、袁紹に《飼われて》いる。自覚は無い。袁紹を信じきって、愛していた筈の今は亡き趙雲への想いすら忘れかけている。
 更に袁紹に依存しきった関羽は、幽谷のことも、猫族のことすらも。

 それでも自分はきっと、忠誠を尽くすだろう。たとえ認識されずとも、彼女が笑顔で暮らせるのなら、構わない。
 たとえ袁紹に歪ませられていたとしても。

 きっと猫族がどうなっていたか知れば、関羽は壊れてしまうだろうから。


「幽谷、軍には慣れた?」

「ええ、皆様良くして下さるので何とか」


 そして今日も、彼女を守る為に幽谷は嘘をつく。


「では、私はこれで失礼致します」

「ええ、袁紹様の為に頑張って」

「御意のままに」


 幽谷は頭を下げ、関羽の私室を後にする。



‡‡‡




 幽谷の扱いは、およそ人間に対するそれではなかった。
 鍛練中でも身体を斬りつけられ、殴打され、身体中に傷があった。関羽に知られないように隠すのも一苦労であった。


「……大丈夫ですか」


 壁に寄りかかって歩いていると、背後から不意に声をかけられる。

 足を止めて振り返ると、そこには淡い微笑を浮かべる中性的な青年の姿があった。

 幽谷は彼を頭を下げた。


「今日もまた、酷くやられたようですね」

「……ええ、まあ」

「大丈夫ですか。また私の部屋で手当てでも?」

「いえ、何でもありません」


 幽谷の心配をするのは、顔良だけだ。彼が何故幽谷に構うのか分からないが、何度も接触してくる。そこに袁紹のような裏は無い。だからこそ対応に困るのだ。


「幽谷」


 手を持ち上げられてぴりりとした痛みが走る。指が折れているのだ。

 水に浸ければ治ると関羽によって袁紹に知らされてからは、暴力はより悪化した。
 赤紫に変色して腫れてしまったそれを労るように撫でた。


「私の部屋においでなさい」

「しかし……」

「私のことならお気になさらず」


 幽谷の手を優しく引いて、そっと自分の部屋へ導いた。

 部屋に招き入れられ寝台に腰かけると、顔良は水を持ってくると言って幽谷を一人残して退出した。

 幽谷は細く吐息を漏らして、外套を脱いだ。
 また、彼の世話になってしまうなんて……。
 顔良が幽谷に優しくしてくれることは、周囲には隠している。と言ってもそれは幽谷に限ったものであって、顔良に隠そうとする気は全く無いようだ。曰く、才ある武将として対等に接しているだけだという。
 毎日ではないが、こうも頻繁に世話になっていては周囲にバレやすくなるし、迷惑になるのではないか。それを考えると本当に申し訳なく思う。

 だが、袁紹軍の辛辣な扱いは幽谷にはどうしようもない。ただただ耐える以外には何も出来ぬ。


「関羽様……」


 耐えていられるのは関羽がいるからだ。彼女がいる限り、幽谷は彼女を守る為にその命を賭す。
 彼女が、自分の存在を忘れてしまったとしても。

 幽谷にはもう、関羽しかいないのだ。



‡‡‡




「さあ、服を脱いで、水を。床はいつもの通り、濡らして構いません。私は背中を向けてしますから、終わった際には声をかけて下さい」

「……いつも何から何まで、本当にありがとうございます」

「いいえ、同僚として当然のことをしたまでですから」


 顔良は微笑を湛え、幽谷に軽く一礼して背中を向ける。

 幽谷は彼に背を向けて手早く衣服を脱ぎ、傷付いた肌に水をかけていった。なるべく床を濡らさぬようにと気を付けた。


「幽谷。一つ訊いてもよろしいですか」

「はい」

「どうしてあなたはやり返さないのです?」


 あなた程の武人ならば力で捩じ伏せるなど容易いことでしょうに。
 確かに、四凶としての力を示して畏怖させれば、暴力は減るかもしれない。
 だが、そうなると――――。


「いつか、」

「いつか?」

「いつか関羽様が私のことを完全にお忘れになった時、その話に怯えられてしまったら……私はもう忠誠を尽くせなくなるでしょう」


 今の幽谷にとって関羽への忠誠こそが生き甲斐だった。
 その彼女に怯えられて距離を取られてしまったら……きっと、自害しようとするだろう。自分の命に価値が無くなってしまうのだから。

 彼女に恐れられることが、何よりも悲しい。

 拳を握ってそれを胸に当てた。目を伏せて関羽の姿を思い出す。幽谷が極度の音痴だと言うことすら忘れてしまった大切な、たった一人の主……。


「幽谷」


 顔良の声は間近に聞こえた。
 驚いて振り返ろうとすると顔の両脇から手が伸びて幽谷の身体を抱き締めてしまう。


「が、顔良殿っ? 何を、」

「今のあなたはとてもいじらしい。一人で抱え込む姿は、痛々しくてこちらの胸が締め付けられてしまいます」


 肩に口付けると細いそれは跳ね上がった。


「な……!」


 ぎょっと顔良を振り返った瞬間、彼女の身体を反転させて押し倒す。

 幽谷は目を剥いて彼を見上げた。驚きに言葉も出なかった。何故彼は自分を押し倒したのか、そればかりが頭を埋め尽くす。


「顔良殿、これは一体……!」

「私は愚かな男です」


 さらりと顔良の首に巻かれた青く細長い布が幽谷の滑らかな肌を擽(くすぐ)る。
 幽谷は思わず身動いだ。しかし、肩を掴まれ押さえ込まれてしまう。強引に押し退けようとしても治りきっていない怪我が邪魔をした。

 顔良は淡く、儚げに微笑む。


「袁紹様に知られては、きっと咎められてしまうでしょう。――――四凶を愛してしまったなどと、あの方が許すとは思えません」

「な、」


 顔良の顔が接近する。
 幽谷は咄嗟に顔を逸らして避けた。何故彼がこんなことをするのか分からない。愛してしまったなんて、そんなこと有り得ない。四凶は人間には蔑まれている。


「……っ」


 耳朶を噛まれた。濡れた舌が耳の形を辿る。その音が鼓膜を、頭を容赦無く犯していく。

 何故、何故。
 疑問は消えない。


「止めて、下さいっ」

「あなたは四凶だと言うのに気高く、美しい。穢(けが)れなど全く感じさせない。だからこそ、私は惹かれたのかもしれません」

「……っ」


 身体が震える。
 顔良が酷く恐ろしく思えてしまう。今の彼は、幽谷の知る顔良ではない。

 一人の、男だ。


「んっ」


 顎を掴まれ無理矢理上向かされ唇が重なる。啄(ついば)むような口付けの雨はやがて深くなっていく。

 彼の胸に手を当てる。押して抵抗するが、ふいに青い布が左脇の下にある痣を掠めて身体が大きく跳ねた。
 それに気付いた彼は今度は手で痣を撫でる。

 口付けは止まない。
 舌の所為か、手の所為か。
 身体がじくじくと熱くなっていく。脳が茹(ゆ)だってしまいそうな程に。

 ようやく解放されたかと思うと、


「これは、私達だけの秘密です」


 と。

 嗚呼、駄目だ。
 流されてしまう――――。

 何故彼はこんなことをするのだろう。
 何故私は――――こんなに恐いのに、嫌じゃないのだろう。
 分からない。

 駄目だ。
 駄目なのに。



 流される。



○●○

 暗いです。ものっそ暗いです。
 何故敢えての顔良なのかと言えば、何かぶわっと来たんです。こう……ぶわっと。しかしこんなに暗くなるとは思いも寄らなかったです。ここは本編に全く関係が無いので好き勝手に書けるので本当に自由に書いてます。

 夢主も結構精神的に来ています。関羽がここではあんな感じなので。

 続きもちょこっと頭の中にあるんですが、書いたら私が泣く。多分泣く。
 でも浮かんだからには書いておきたいですよね。

 近々小ネタにupするかもです。



.

- 47 -


[*前] | [次#]

ページ:47/60