幽谷と劉備





 洗濯物を干していたところ、背後に気配を感じたかと思うと、ぎゅっと抱きつかれた。
 誰か、なんて考える必要も無い。
 幽谷は口角を弛めて視線を下に落とした。


「如何なされましたか、劉備様」

「へへっ」


 劉備は笑うだけで、何も言わない。

 幽谷は彼の頭を撫でて、洗濯物に戻った。


「関羽様達と、お花を摘みに参られたとお聞きしておりますが、何か嬉しいことでもございましたか?」

「うん! あのね、幽谷のお花を見つけたの!」

「私のお花ですか?」


 劉備は頷いて、幽谷から離れた。

 再び手を止めて、劉備を振り返る。
 屈んで目線を合わせれば、劉備は懐を探って、二輪の花を取り出した。
 赤と青。幽谷の目と同じ色だ。
 幽谷は、目を瞠った。


「これが、私の花……でございますか?」

「うん!」


 劉備が大きく頷く。

 今まで虐げられ、恐れられてきた四凶の幽谷。
 それを、花と同じと思われるなんて思わなかった。

 幽谷は劉備の手を握り、小さく礼を言った。


「ありがたき幸せにございます。劉備様」

「えへへ……!」


 劉備ははにかむ。


「二輪共、押し花にしても、よろしいでしょうか?」

「うん、いいよ。関羽と張飛もね、いっぱいお花とったの! みんなのおへやにかざるの!」

「左様にございますか。きっと、皆さんもお喜び下さいましょう」


 劉備から花を受け取り、大事に胸に持つ。


「ねえ、押し花一緒につくってもいい?」

「はい。ですがその前に、洗濯物がまだ残っております故、お手伝い願えますか?」

「うん!」


 笑う劉備に、幽谷もまた、微笑んだ。



‡‡‡




 その日の夜、幽谷は村から離れた場所で一人、望月を仰いでいた。
 関羽達はもう寝静まっている。こっそりと抜け出してきたのだった。

 今日はどうも、寝付きが悪かった。
 劉備の持ってきた花のことが脳裏に残って離れなかったのだ。
 彼がくれた花はどちらも可憐で愛らしかった。

 忌み嫌われてきた自分の目が、どうしてあのような美しい花に例えられてしまうのか。自分の身体は汚らわしい。四凶そのものだから、忌まれてしかるべきなのだ。

 なのに、劉備だけじゃなく猫族は皆幽谷に優しい。最初こそ疎まれてはいたが、今ではそんな過去など面影すら無くなっていた。

 ここにいると、安らぐ。それは本当だ。
 だけど不安にもなるのだ。
 自分がここにいて良いのか、四凶として、災いをもたらしてしまうのではないかと。

 こんな自分が失いたくないと願うなんて、思いも寄らなかった。初めて知った。

 このまま、彼らと共に生きても良いのか……。

 幽谷はほうと溜息をついた。

――――その時である。


「……幽谷?」

「! ……劉備様!」


 眠たげな声に振り返れば、目をこすりながら劉備がよたよたと歩いてきていた。

 幽谷は慌てた風情で彼に駆け寄り、屈んで視線を合わせた。


「劉備様、このような夜更けに一人で歩いてはなりません。もし獣に襲われでもしたら――――」

「……幽谷、どっか行っちゃうの?」


 瞠目。
 幽谷は抱きついてくる劉備に絶句した。


「あの……」

「幽谷、ぼくたちのこと嫌いになったの? 幽谷がいなくなったら、ぼくも、関羽も、世平も、さびしいよ……」

「そ、そんなことは……私はただ、眠れないのでここにいただけですが」

「……ほんとう?」


 ぎゅっと腕に力を込めてくる劉備に、幽谷は困惑したように眉根を寄せた。この場合、どうしたら良いのだろうか。


「あの、劉備様……」

「……」


 劉備に離れる様子は無い。
 ……困った。これ以上劉備をここにいさせる訳にはいかないし……。


「……分かりました。では、私と共に村へ戻りましょう。それでよろしいですね?」

「……一緒にねる」

「はい」


 これは、素直に従っておいた方が良さそうだ。
 彼女は苦笑混じりに頷いた。立ち上がって、手を繋ぎ村に向かって歩き出す。

 劉備は力強く幽谷の手を握る。まるで、逃がすまいとしているかのようだ。


「劉備様、私は逃げませんよ。猫族の村から離れることもありません」

「……やだ」


 劉備は頑なだった。


「……幽谷は、みんなの仲間だって、関羽がいってたもん」


 ぼそりと呟く。

 幽谷は目を瞠った。


「……、な、かま、ですか……。仲間だと、そう、仰って下さるのですか」

「うん」


――――口角が弛むのを止められなかった。
 嬉しい。
 彼の言葉が無性に嬉しかった。
 ならば、私はここにいても良いのですか?
 心の中で、そう問いかけた。口で問うのは恐ろしかった。

 幽谷が笑ったのに、劉備もようやく安堵に微笑んだ。かと思えば、欠伸を一つ。


「……早く帰りましょうか」

「うん」


 こくんと頷く劉備の手を、幽谷は少しだけ強く握り直した。



○●○

 翌朝家に夢主がいないので関羽が騒ぎます。
 時期は序と第一章の間です。



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