幽谷と関羽と夏侯惇と夏侯淵





「……よし! これで洗濯物は終わりね」

「ええ。次は、ご飯の支度でしょう?」

「うん」


 本日は快晴、風もさして強くもなく温暖で快適な気候である。

 ここ数日、黄巾賊討伐の出陣命令は無い。比較的穏やかな生活を送れている。
 風にはためく洗濯物を満足そうに眺める関羽に微笑み、幽谷は籠を持った。この天気なら今日中に乾きそうだ。


「じゃあ、私は籠を置いてくるから、関羽は先に準備をしておいて」

「ええ。わか――――」

「こんなところにいたか。おい、そこの十三支の女達!」


 唐突だった。
 曹操軍の兵士が一人、息を乱してこちらに走ってきたのだ。

 幽谷は片目を眇め、そっと右目を懐から取り出した眼帯に包む。


「えっ? わたしたち?」

「お前達以外に誰がいる! 洛陽近くに黄巾賊の残党が現れた」


 瞠目。


「民に被害が出る前に討伐しろとの曹操様のご命令だ。すぐに出撃しろ!」

「わかったわ! 幽谷、行きましょう!」

「御意。関羽様は世平様達に急ぎお知らせ下さいませ。関羽様の武器は、私がお持ちいたします」

「ありがとう。じゃあ、後で合流しましょう」



 互いに頷き合って、それぞれ別方向に駆け出す。

 幽谷は関羽が寝泊まりしている天幕に駆け込み、偃月刀を持って出た。

 それから陣屋から少しばかり離れた場所で自分の暗器――――匕首の切っ先に左腕の腕輪の毒をほんの少しだけ塗りつけた。幽谷しか解毒剤を所持していない、即効性の強力な種類を。

 それから、関羽に連れられた、すぐに出られる猫族の者達と共に、兵士に従って戦地へと向かう。

 兵士の言葉の通り、洛陽の目と鼻の先で彼らは衝突していた。
 世平達とは別れ、関羽と幽谷は戦地深くまで入り込んだ。

 黄巾賊は木々の影に隠れては石を投げつけ、曹操軍を攪乱しつつ戦っていた。が、あまり効いてはいないようだ。
 それというのも、それすらものともしない将達がいるからだ。


「しまった!」

「夏侯淵! 今だ、いけ!」


 とある黄巾賊の攻撃を軽々といなした剣を逆手に持つ将――――夏侯惇が声を張り上げる。

 そこへ心得たとばかりに夏侯淵が斬りかかった。


「ぐはっ!」


 袈裟斬りになった黄巾賊は、傷から脈に合わせて血を噴き出しながら後ろに倒れた。
 ぴくぴくと痙攣する彼を冷たく見下ろし、夏侯淵は鼻で一笑する。


「束でかかってきてこの程度か。黄巾賊ってのは、やっぱり烏合の衆だったってところだな」

「くっ……! 漢帝国の犬がいい気になりやがって!!」

「余裕でいられるのも今のうちだぞ!」


 憎々しげに、黄巾賊達が吐き捨てる。

 だが夏侯淵はそれらを負け犬のなんたらとでも思っているようだ。より嘲笑が濃くなった。


「オレと兄者を相手にして勝てると思っているのか? 笑わせてくれるぜ」

「夏侯淵、油断はするなよ。一人一人の力は大したものではないが数が多い」

「わかってる! 兄者とオレの二人でかかればこんな連中ひとひねりだぜ!」


 意気揚々と剣を構え直す夏侯淵に、夏侯惇は薄く笑う。それから同時に地を蹴った!
 見事な連携を見せる二人に関羽が圧倒される。


「……ねえ、幽谷。わたしたちが来た意味があるのかしら」

「そうですね。では帰りましょうか――――」


 と、朗らかに言いつつ、彼女は外套の裏から飛ヒョウを取り出し、それを二つばかり夏侯惇の背後すれすれに投擲(とうてき)した。
 すると、夏侯惇はそれを察して前に一歩出る。そして幽谷を睨み、不意に上がった悲鳴に目を瞠った。


「あ!」


 関羽も気付く。

 彼らのすぐ側の茂みに、黄巾賊が二人潜んでいたのだ。飛ヒョウにも毒を塗りつけてあるから、悲鳴を上げた直後にも絶命している筈だ。

 だが、その茂みの他にもまだ飛び道具を持った黄巾賊は多数隠れている。


「女、四凶!! どうして貴様らがここにいる!?」

「黄巾賊が現れたっていうから来たの。それよりも気をつけて! そこの茂みにも敵が潜んでいるわ」

「茂みから俺達を撃つ気か。卑怯な手を……!」


 夏侯惇は舌打ちする。

 関羽の存在が黄巾賊にも認識され、忌々しそうに顔を歪められてしまった。


「よりによって十三支まで現れるとはな!」

「ここは一旦引くぞ!」


 彼らの行動は早かった。茂みに隠れていた者達も立ち上がって慌ただしく逃げ出していった。

 夏侯淵が追おうとするのを夏侯惇が止める。


「待て、夏侯淵! 罠という事も考えられる。深追いは禁物だ」

「兄者! だが奴らをこのままにするのは!」

「……でしたら、」


 自分が行きましょうか。
 その方が手っ取り早いと、そう言ったが無視された。


「幸い、俺たちの倒した奴らの中にもまだ息のある者が残っている。そいつから根城を吐かせればいい」


 ……ならば、ここで終わりか。
 幽谷は関羽の袖を引いて、夏侯淵達に何か言われる前にとその場を立ち去ろうとした。

 されど、


「四凶、一応礼だけは言っておく。貴様のお陰だと認めたくはないが、撃たれずに済んだのは事実だからな」


 棘は多いが、人間に礼を言わるとは思わずに、幽谷は足を止めて夏侯惇を振り返ってしまう。

 されど、夏侯惇は「だが」と続ける。


「黄巾賊の残党程度、俺と夏侯淵だけでも十分に倒せた。貴様らの出る幕はないということをよく覚えておけ」


 つまり、出しゃばるな、と。
 幽谷は左目を眇めた。


「……私は、戦功を立てたいと戦場にいるのではありません故。関羽様が猫族の皆様や劉備様を守る為に出陣なさるのであれば、私は関羽様をお守りする為だけに出陣するだけです。ですので、夏侯惇殿のお言葉は覚えましても、関羽様と私に守りたいものがある限り、私はあなたの意思には従えません」


 幽谷にとっては戦功よりも自身の命よりも、関羽や関羽の愛する猫族が大事。
 夏侯惇達と戦功を競うつもりなどないし、彼らも自分達の働きを意識する必要は無い筈だ。
 それを言うと、夏侯淵に詰め寄られた。


「四凶!! 貴様、黙って聞いていれば生意気な口を――――」

「待て夏侯淵。黄巾賊はこの地を去った。行くぞ」

「え……あ、兄者!」


 夏侯淵と同じ反応をするかと思われた彼はしかし、幽谷を一瞥すると洛陽の方へと歩き去っていくのだ。
 夏侯淵は戸惑うように夏侯惇の背中を見つめると、きっと幽谷を睨めつけて彼の後を追いかけた。


「幽谷」

「私たちも、帰りましょう」

「うん。あのね、幽谷」

「はい」

「幽谷のことは、わたしが……ううん、わたしたちが、守るからね」


 幽谷は目を瞠った。
 かと思えば、ふっと笑って、


「ありがとう」


 と。

 関羽は、綺麗に笑った。



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 桃園ネタです。
 しかし結局関羽ちゃんが良いとこ取りかも。



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