04:性別変換





04:性別変換 (蘇双)



 ……。
 ……胸が、無い?
 幽谷は自身の胸を押さえ、さっと青ざめた。

 膨らみが全く無い。まるで、胸板のようではないか――――。

 胸……板?


「……い、いえ、そんなことは……!」


 さっと股間に手をやり、――――顔から色が消えた。

 ある筈のないものが、そこにあった。

 夢であればどんなに良いだろう。いやむしろ夢であってくれ。
 幽谷は咄嗟に側にあった花瓶に手をかけた――――。


 ガツッ。



‡‡‡




 その場は重い空気に包まれていた。
 誰一人として口を開かない。まるで何かに縫い付けられたかのように開けないのだった。

 猫族の数人が揃って、一人の少年――――いや、少女を囲んでいる。少女の周りだけ、張り詰めた空気がある。

 誰かが溜息をついた。

 途端少女が舌打ちする。


「……蘇双。気持ちは分かるが、落ち着け」


 この空気の中、ようやっと世平が少女を咎めた。

 少女――――蘇双は嘆息混じりにぼそりと呟く。


「……分かってる」


 奇異なものである。
 張蘇双と言う人物は、確か性別が男であった筈だ。

 されど蘇双の胸には大きくはないがしっかりと視認できる程の膨らみがあり、肉付きもいくらか柔らかだ。
 元々中性的であったが、これでは女そのものではないか。

 見知った蘇双の唐突な変化に、本人以上に周囲が驚いていた。

 蘇双は《心当たり》があったのか、この状況に腹立たしく感じながらも、そこまで戸惑いは無い。


「で、原因に見当は付いてんだな?」

「うん。ただこれが当たりだとすると被害者はボクだけじゃないと思う」


 世平は眉根を寄せた。


「……どういう意味だ?」

「幽谷も、多分……お――――」


『きゃあぁぁっ!!』


 悲鳴が空気を切り裂いた。


「えっ、今の姉貴!?」


 蘇双は口を閉じ、すっくと立ち上がると真っ先に天幕を飛び出していった。

 張飛達も慌ててそれに続く。

 悲鳴の元である関羽は、一つの天幕の前で腰を抜かしていた。


「姉貴! 何かあったのかよ!?」

「ここって……幽谷の天幕だよな?」

「ち、張飛、関定、蘇双! 大変なの! 幽谷が、幽谷が……!」

「……やっぱり」


 蘇双は嘆息して天幕に入る。

 すると点々と飛び散った血に眉根を寄せた。
 それは間違い無く奥にいる人物のもので。


「……幽谷」


 奥で鎮座し頭を抱える《男》に、声をかける。

 男はびくりと身体を震わせた。血がベッタリとついた頭から手を離し、ゆっくりと上げる。

 その双眸は、赤と青の色違いだった。



‡‡‡




「……やっぱり幽谷も男になってたか」


 取り敢えず世平から服を借り、それを幽谷に着てもらった。勿論怪我の手当てを済ませてから。

 そして幽谷を連れて関羽達と共に戻ると、先に事情を説明していた世平以外は驚倒した。幽谷が逃げようとしたので張飛達が全力で押さえ込んだ。


「男になったとは聞いていたが、その頭の包帯は何だ」

「……混乱のあまり、花瓶で殴ったんだって」

「すいません。関羽様からいただいた大切な花瓶を壊してしまうなどと……」

「気にするのはそっちじゃないだろ」


 世平が呆れたように溜息をつく。


「と、とにかく、原因は分からないの?」

「見当はついてる。……多分張飛の所為だ」

「オレ!?」


 正確には、彼が採ってきた茸(きのこ)。一個しか無かったのだが、食したのは幽谷と蘇双だけだった。張飛に非常に悔しがられたのは記憶に新しい。

 その後、幽谷があの茸を何処かで見たと言い出して、けれど上手く思い出せないのであまり気にしなかった。
 それを話せば、皆揃って幽谷を見やった。


「幽谷、何か思い出せないか?」

「……仙薬の材料だと言うことは思い出せました」


 それ以外は、まだ。
 それを思い出せただけでも良い。

 だが――――。
 世平は渋面を作り腕組みした。


「仙薬だってんなら、俺たちにはどうすることも出来ねぇな……」


 途端に幽谷は肩を落とす。


「……すみません」

「いや、気にするな。取り敢えず今日はそのままで生活してろ。関羽、お前は……念の為曹操のところで何か書簡が無いか調べさせてもらってくれ。頼りたくはないが、事態が事態だ」

「ええ、分かったわ。幽谷、何か身体に変化とかあったら、絶対に知らせるのよ?」

「分かりました」


 関羽は幽谷が頷くのをちゃんと確認して、天幕を出ていく。

 彼女についていけないのが何とも口惜しい。
 幽谷は悄然として吐息を漏らす。

 そんな幽谷を気遣うように、関定が口調を明るくして声をかけた。


「大丈夫だって! 今の幽谷、すっげー美形だし、滅多に無い体験なんだからいっそ楽しんでみろよ。少しは気が楽になるかもだぜ?」


 幽谷はややあって苦笑する。
 確かに、そのように開き直ってしまった方が良いのかもしれないが……。
 あの時ちゃんと思い出していればと罪悪感を感じる上、未だ思い出せない自分に焦燥を感じている。
 とてもありがたいのだけれど、関定の言うようにするのは気分的に難しかった。

 そんな幽谷の心中を察したのか、蘇双が関定に冷めた視線をやった。


「へぇ、じゃあ関定は女になったら楽しめるんだ。女の子好きなのに?」

「それは……ちょっと辛いかも」


 関定は小さく謝罪した。

 幽谷も謝る。


「だが、関定の言うことも一理ある。二人共、あんまり悪いように考えるんじゃねぇぞ。元に戻る方法は、絶対に見つけてやるから」


 世平が幽谷と蘇双の頭を撫でる。

 二人はそれに、一様に頷くしか無かった。



‡‡‡




「……本当、迷惑な話だ」


 あの場は一時的に解散になって、幽谷は蘇双と共に陣屋の中を歩いていた。
 最初こそ、ぐんと上がった視界に戸惑いはしたが、今は慣れつつある。

 幽谷は不満を漏らす蘇双に苦笑を浮かべた。


「ですが、張飛様や世平様が女性になられても、また大騒ぎになりましょう。特に張飛様はお召し物が……」

「……そうだね。それに関羽だったらその張飛が大変なことになっていたかも……」


 そう考えれば、まだましなのかも――――いや、ない。ましじゃない。


「でも、こっちもこっちで大変じゃないか! ボクは女だし、幽谷だって男でい続けるのは嫌だろう?」

「……否定はできませんが」


 幽谷とて、嫌なものは嫌だ。蘇双と恋仲になって、より自分が女であることを自覚し始めた今は、特に。
 幽谷は苦笑を濃くして蘇双の手を握った。

 蘇双は不満そうにしながらも、手は振り解かなかった。
 しっかりと握る幽谷の手は男の硬質なそれだ。対して、蘇双は柔らかい。


「……これじゃあ、守れないじゃないか」


 いつ戻れるか分からないのに……。もしこのまま戻れなかったらどうすれば良い?

 そんな蘇双の様子に、幽谷の苦笑はいつまでも消えなかった。



○●○

 そして結局翌日には元に戻ると言うありがちなオチ\(^o^)/



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