02:若返り





02:若返り (趙雲)



 幽谷がいない。
 というか、猫族全てが幽谷を隠している、ように思える。

 趙雲はそれを怪訝に思いながら、幽谷の家を目指した。

――――だが。


「ちょっと待って趙雲!」


 趙雲の前に関羽が立ちはだかった。


「どうしたんだ、皆揃って幽谷を隠そうとしているが……幽谷に何かあったのか?」

「なっ、何でもない! 何でもないから! だから今日はこのまま右北平に戻って、ねっ?」


 いよいよ怪しい。
 趙雲は眉を顰めて関羽を丁寧に、しかし強めに退かして早足に幽谷の家に向かった。

 それを関羽が引き留めようと苦心する。全く意味が無いのだが。

 幽谷の家に着いて、趙雲は声をかけた。
 が、返事は無い。

 その代わりにがたがたと何かを倒すような音がする。

 趙雲は不審に思って、扉を開けた。
 すると後ろで関羽が叫んだ。


「に、逃げて幽谷!!」

「関羽っ?」


 逃げろとは、剣呑である。
 趙雲は怪訝に彼女を振り返り、家の奥から聞こえてきた物音にまた振り返った。

 関羽が止めようとするのを避け、奥に入る。

 すると――――。


「な……?」


 その姿を見、彼は絶句した。



‡‡‡




 面妖なものである。
 趙雲は目の前に佇む《少女》をまじまじと見つめた。

 気まずそうに、かつ不機嫌そうに地面を睨む彼女は、色違いの双眸をしている。赤と青の美しい色だ。

 間違えるべくもない。
 彼女はまさに幽谷だった。

 ただ、外見が……十七歳程に見えて髪が腰程まで伸びているだけ。


「関羽、これは一体どうしたんだ?」

「それが、わたしたちにも分からないのよ。朝、幽谷がなかなか出てこなくって、訪ねてみたらこんな姿に……」


 関羽に服を借りたのだろう、女性らしい身形の幽谷は、趙雲から逃げるように離れ、関羽の後ろに隠れてしまう。しかし関羽よりも身長の高い彼女も、この頃は同じ程だったようだ。

 若い見た目は勿論、これも新鮮な光景であった。


「しかし、この姿だと、可愛らしいものだな」

「……」

「ち、趙雲。あまり幽谷を刺激しない方が……」

「刺激……俺は、思ったことを言ったまでだが?」


 関羽は溜息をついた。

 幽谷は、厄介な人物と厄介な関係になってしまったものだと、暗鬱とした気分で思った。
 頭痛を覚え、こめかみを押さえる。

 幽谷は溜息をついた。きっと趙雲を睨(ね)めつける。


「こういうことですから、あなたはさっさとお帰り下さい」

「いや、戻る方法を俺も探そう」

「必要ありません。関羽様、参りましょう」

「幽谷」


 肩に手を置こうとしたがしかし、ぱんと弾かれた。

 さすがにこれには驚いた。
 確かに幽谷は趙雲には冷たい態度を取るが、ここまで拒絶されたことは無い。
 趙雲が困惑して弾かれて痛む手を押さえていると、幽谷はふいと顔を逸らしてしまう。悲しげに見えたのは、気の所為だろうか。

 それからどうしてそんなに離れたいのか、趙雲から逃げるかのように関羽の腕を掴んで歩き出した。


「幽谷!」


 勿論趙雲は追いかけようとしたが、それを背後から肩を掴んで阻む者が在った。

 世平である。


「世平殿」

「今は追わないでやってくれ。あいつも、かなり精神的に参っちまってるらしくてな」


 「俺の家で詳しく話す」と、彼は趙雲に背を向けて歩き出した。

 趙雲は柳眉を顰めるが、世平の申し出を受ければ幽谷の先程の行動の意味を知ることが出来るかもしれない。

 趙雲は小さくなっていく幽谷と関羽の姿を見やり、世平の後に続いた。



‡‡‡




――――嫌な記憶しか無い。
 この《十五歳》の頃の自分。
 最も嫌なことがあった年なのだ。この姿自体疎ましい。

 幽谷は一人家の奥に座って何度も溜息を繰り返していた。
 今でもあの感覚を、嫌悪感をはっきりと覚えている。

 何度も繰り返していたのに、《最初》だけははっきりと覚えていた。
 関羽にも猫族にも、趙雲にも見られたくなった。

――――こんな汚い自分の姿など。

 幽谷は溜息をつく。

 すると、


「幽谷? いるんだろう?」

「……!」


 幽谷は珍しく、大袈裟な程に身体を震わせた。
 また窓から逃げようとすると、扉が乱暴に開かれ、趙雲が飛び込んでくる。

 窓に手をかけていた幽谷は足をかけ飛び出そうとする。

 が、


「待ってくれ幽谷! そのままで良いから話を聞いてくれ」

「……」


 幽谷は手に力を込める。けれど、その手足は、微動だにしなかった。

 趙雲は彼女に逃げる様子が無いことに浅く吐息を漏らし、口を開いた。


「世平殿から話を聞いた。何から言えば良いか分からないが……その姿で十五歳だとは驚いた」


 直後、幽谷の肩がかくんと下がった。
 それ以外に言うべきこととか、訊くべきことがあるだろうに、何故それを言うのか。


「その年の頃についても聞いた。だから、関羽達はお前を隠そうとしたんだな」

「……」

「そこまでして俺に見られたくなかったとは……察することが出来ず、すまなかった。俺はやはり、まだまだ未熟者だ」


 衣擦れの音がして、肩越しに振り返ると、彼はこちらに頭を下げていた。
 ……真面目すぎる。

 話を聞いたのなら、気味悪がれば良いのに。
 どうして彼はそんな風に考えられる?

――――解せない。

 この十五歳の頃に、自分は操を失った。女であることを、初めて暗殺に利用したのだ。


「……私は、」

「幽谷?」

「私は、一人だけではない。色んな人間と関係を持っています。あなたはそれが疎ましくないのですか」


 視線を窓の外に向けて、問いかけた。

 彼の答えを聞きたいのと、聞きたくないのと。
 二つの相反する感情が胸の中でせめぎ合う。

 幽谷は奥歯を噛み締めた。


「俺は……そんなことを考えたことは無かった」


 ただずっと幽谷の傍にいたい、それだけだった。


「世平殿の話を聞いても、幽谷を汚いとは思えない。だが――――」


 趙雲が近付いてくるのに、幽谷は動かずにいた。
 彼女の腹に趙雲の手が回る。

 後ろから、抱きすくめられた。


「その傷を、俺では癒してやれないのかと思うととても悔しい」


 幽谷は窓の桟から手を離した。その手を趙雲の手に添える。


「趙雲殿……」

「すまない。俺がお前を絶対に守ると言ったのに、俺は過去から守れていない」

「……真面目すぎる」


 そう呟いたのは、自身の心中を隠す為だ。
 本心では、嬉しかったのだ。
 彼が、軽蔑していないことが。
 全身から力が抜けると、趙雲は更に力を込めた。首筋に顔を埋めて、肌に口付けを落とす。


「ん……」

「……惜しいな」


 こんなに若くなければ、抱かれた過去を塗り替えてやれたかもしれないのに。
 今の幽谷では、壊してしまいそうで恐ろしい。

 仕方なく鬱血痕を残すだけにしておいて、幽谷の身体を反転させる。

 意外にも、抵抗は無かった。
 いくらか幼いかんばせを間近に見下ろす。上目遣いに見上げられる。
 趙雲は自身の胸が早鐘を打つのに気付き、幽谷に気付かれる前にと、些(いささ)か乱暴に彼女の唇を己のそれで塞いだ。啄(ついば)むようなそれに、幽谷は拒絶するようなことは無く、すっと目を伏せた。

 長い間、趙雲は幽谷を離さなかった。
 また彼女が逃げると思ったのもあるが、それ以上に、彼女を安心させたかったのである。

 幽谷もまた、もう彼から逃げようとは、しなかった。
 そっと趙雲の背に、己の手を回す――――。



●○●

 私が力尽きました。
 たまにはと思って女らしいこと考える夢主を書きたかったんですが……力尽きました。



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