05:押し倒してみる
05:押し倒してみる(曹操)
――――どうしてこうなった。
幽谷は寝台に両手を縫いつけられ、ぼんやりとそんな疑問を持った。
彼女を、部屋に訪れて早々寝台に押し倒したのは、曹操である。幽谷の両手をしっかりと掴み、秀麗なかんばせを不機嫌にしかめている。
何があったのだろうか。自分には心当たりは全く無いのだけれど。
「……何?」
「……」
問いかければ両の手首が軋む。ああ、これは多分痣になるな。
曹操は答えない。
答えないまま幽谷の首筋に噛みついた。
「いっ」
彼とは何度も身体を重ねている。
が、どうも彼は、人の身体に所有の証として痣を残しておきたいらしい。痕ではなく、痣を。
……まあ、幽谷の性格上そのような行動に移ってしまうのかもしれないが。
そこでふと、心当たりが思い浮かんだ。
もしかして、関羽様達のことかしら。
最近猫族のところにいたから、曹操と会うことがほとんど無かった。
彼はそのことを怒っているのかもしれない。
出来た歯形を舌でなぞる曹操の両手の拘束だけでも解けないかと、なるべく加減をして力を込める、自分の力は加減を間違えれば簡単に殺めてしまうことは十分自覚しているが故の行動である。
が、曹操はそれを咎めるよう皮膚に爪を立てるのだ。
「っ……曹操殿、痛いのだけど」
非難するが彼の力は一向に緩まない。むしろ強まった気がする。
さてどうしようかと考えていると、ふと、ぷつりと皮膚が裂けた。
曹操の頭が埋められていない方の手を見やる。
赤い血が、流れていた。幽谷の手首は勿論曹操の手も汚す赤。
血臭が鼻孔を突き、くらりと眩暈がした。
手首を凝視していると、曹操の顔が上がる。耳朶(じだ)に噛みついた。
「……っ」
ぴくりと身体を震わす。
耳に声無く笑う曹操の温かい息がかかった。
それにすら背筋がぞくぞくする。
「……っ曹操殿、こんな昼間から、っ、何をやって……」
「お前は、自分が誰のものなのか分かっていない」
やっと、声を発した。
腕の力も緩んでほっと息をついた。
曹操の顔が真正面、しかも間近に来る。互いの鼻先が触れ合うまで一寸も無い距離だ。
「誰のものか、なんて……私はちゃんと分かっているつもりよ」
「いいや、分かっていない」
彼の黒の双眸は、怒りの中に僅かな狂気と寂寥を滲ませている。
それを見つめ、幽谷は眉を顰めた。
「分かっていない?」
「……お前は、お前の心の全ては常に私には向かない。お前の意識は、必ず私でなく猫族に向いている」
「それは……、」
否定は、出来ない。
幽谷にとって関羽も猫族の皆も全て等しく恩人なのだ。
だから、猫族が困っている時は彼らの力になりたいし、放ってはおけない。
曹操も、そのことを分かっているとばかり思っていたのだが……。
「曹操殿、私は……んっ」
言葉は途切れる。
曹操に乱暴に口を塞がれてしまったからだ。
さっきよりも更に近くなった曹操の顔に、幽谷は咄嗟に肩を押そうとして腕を持ち上げる。
が、曹操はまた力を込め押さえつけた。
やがて空気を求めて曹操の唇が離れた瞬間口を薄く開くとそこへ彼の舌が割り込んでくる。
ざらついた温かいそれに口内を蹂躙され、全身から力が抜けていった。ざわざわと総身が粟立ち、息苦しさに涙が滲む。
「は……はっ」
ようやく解放されて曹操の顔が離れると、互いの口を繋ぐ銀糸がぷつりと切れた。
荒い呼吸を繰り返す幽谷を見下ろし、曹操は奥歯を噛み締めた。
「お前の心は、どうしたら……」
「曹操、殿……」
その時の曹操の顔は、まるで寂しさに泣く子供だ。泣いてはいないが、歪んだ顔は今にも泣き出してしまいそう。
自分は、猫族から心を切り離せない。大恩があるから。
けれど自分が曹操のものであると、幽谷はちゃんと自覚してもいる。
そして、彼が思う以上に、曹操という男に溺れていることも、口では言えないが分かっているつもりだ。
捨てられてむしろ気が狂(たぶ)るのは、きっと幽谷の方。
初めて知ったこの恋情を向ける相手がいなくなったら、強すぎる想いの熱い奔流(ほんりゅう)に自分は耐えられないと思うのだ。
どうすれば、それは伝えられるのか。
どうすれば、彼があんな顔をしないようなことが言えるのか。
彼女には見当もつかない。
――――だから、ただ。
再び首に歯形を残しにかかる曹操を、子供のような一面を持つ彼の危うい激情をただ黙って全身を以て受け入れるしか無い。
曹操の手が、些(いささ)か乱暴に幽谷の服を剥いでいく。
徐々に露わになる幽谷の肌を、曹操は己の飢えを癒すかのように貪欲に求めた。
幽谷は解放された手の赤を見、その腕を彼の背中へと回す。そろりと、彼の背中を撫でた。
よしやこれが間違っていようとも、幽谷にはこれしか思い付かないのだった。
○●○
最初は暗くなかった筈が最終的に暗くなってしまった……。
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