Z
────







 ほかにはなにもいりません。

 わたし、みんなといっしょにいたいんです。

 だいすきなみんなといっしょに、わらってたいんです。

 それいがいにはなにものぞみません。

 だから、めがみさま、めがみさま。

 いまからそこにいくので、わたしのおねがいをきいてください。



 それは、遠き過去に打ち捨てられた筈の、ささやかな願い。




‡‡‡




 三日かけてサチェグが動けるようになったのを待って、有間は闇紺山の悠久の滝へ行きたいと願い出た。理由は、言わずにだ。

 鯨は大した理由も無いのなら無闇に闇眼教の総本山の疑いのある場所に近付くべきではないと反対したが、アルフレートも一緒に頼んでくれて、サチェグがすぐに折れた。あの滝でディルクの身から僅かに漏れる竜の気配を消す、そのついでだということだった。有間の様子を察した彼が取って付けた用事だ。完治した訳ではない彼に気を遣わせて、申し訳なかった。
 ただ、長居は出来ない上、錫とアルフレートを護衛に必ず側に置いておけという条件付きだ。

 サチェグの気遣いに感謝しつつ、有間は彼らと共に闇灼山を回って南の闇紺山、その中腹へと闇馬で強引に登る。あまりもたもたと行動出来ないからと、ティアナ達にも断ってのことだ。……到着した時の憔悴振りには、サチェグ以上に申し訳ないと思った。

 鯨が山の様子を確認する間に彼らを休ませた。入念に調べて戻ってきた彼の話では、闇眼教の本拠らしい建物があったが、無惨に破壊されていたとのことだ。生きている人間も、山茶花の姿も無く、食い散らかされたような腐乱死体がごろごろと転がっていたという話だが……彼らを食ったのは、妖ではない。恐らくは――――……。

 悠久の滝へと続く山道を登った。幸い、ヒノモトでも有名な観光地であった場所だから、舗装された道は広く、とても歩きやすい。
 今はもう人っ子一人いないが、妖の姿も滝に近付くに連れ極端に見られなくなっていった。悠久の滝と言う聖域が、まだ無事である証左である。闇眼教の本拠も、滝の近くに建てられていると言う。

 三つ並んだ真っ赤な鳥居を抜け、有間は眼前に広がる飛瀑の滝を見据えた。

 闇紺山は、人が入れるのは中腹までだ。それ以上の侵入は堅く禁じられている。人間の気配が近付きすぎると、姫神が怒りこの山のみならず付近の山々まで噴火させると昔から信じられていたが故の不文律である。

 隣に並んだティアナが驚嘆の声を上げて悠久の滝を見入る。

 天に突き出す山頂から流れ大量の聖水は、白衣を幾つもの虹で飾り、有間達の前に広がる湖の水面を殴る。轟音が心臓を震わせる。
 滝の中間程に、大きく突き出した岩があった。
 それは滝の中から一糸纏わぬ姿で現れたような妙齢の女性を象(かたど)り、見る者の目を惹いた。


「綺麗……これが、アリマの言っていた悠久の滝なのね」

「あの岩は、この地を守護していた姫神が、紺色の髪をした鬼神をこの湖の底に封じる為に楔となった果ての姿だ。姫神の像に向けて三日三晩願い続けると望みが叶うという伝説がある」


 ティアナの言葉に、鯨が静かに説明する。その目はやや悲しげだ。

 有間は鯨を一瞥し、思い出す。
 そっか。三人の約束は、鯨も知っているんだったっけ。基本、鯨が三人の面倒をまとめて見ていてくれたから。
 どうして有間がここに来たいと言い出したのか、彼は感づいているだろう。このこともあって反対したのだ。

 三人の約束の場所と言うことは、山茶花にとっても印象深い場所であると言うこと。

 すなわち、彼女もここに来る可能性が高い。

 それでも、有間はここに来たかった。
 滝に願いを叶えてもらうなんてロマンチックで不確定な下らないことなんてしない。

 ただ、うちは――――。


「アリマ。大丈夫?」

「……うん。その辺歩いてくるよ」

「私も行くわ。サチェグさんは休んでて下さい」

「休む……って言うか、ディルク殿下の竜の封印を強化しておくわ。殿下、スズ。アリマのことよろしく〜」

「ああ」


 アルフレートの肩の上で、錫が尾を振って任せろと言わんばかりに鳴いた。
 鯨もサチェグの手伝いをするつもりらしく、その場を動かなかった。言葉をかける代わりに、アルフレートに拱手(きょうしゅ)した。

 ティアナは有間に笑いかけ、促してくる。
 有間は肩をすくめて湖の畔(ほとり)を歩き出した。


「ティアナ、転んで湖に落ちるなよ」

「アリマこそ」

「よっしゃ落とす。凍えてしまえ」


 軽口で返すとティアナはくすくすと笑いながら、「お断りです」と。

 滝を見上げ、山頂を見澄ました。


「下から見上げていると、飛沫が霧みたいになって、本当に天まで伸びているみたいね」

「まあ、元々天まで続いていたのが、姫神が神を喰らいたがった鬼神が登るのを阻む為に折ってしまったって話だしね。この滝を流れる水は、本来は天に捧げられる聖水だったんだってさ」

「だから、聖域ということか。だが、名の悠久とは?」

「それは至極単純な理由。姫神が永遠にこの山を守ることを神々に誓ってあの像になったって伝説から」


 像を見上げながら、アルフレートは隻眼を細める。


「ここからでは小さくしか見えないのだが……今にも動き出しそうだな」

「本当。満足そうにも見えるし、寂しそうにも見えるわ」


 ティアナは祈るように両手を組んで目を伏せる。
 彼女が目を開けるのを待って、


「三日三晩祈り続けないと願いは叶わないよ」

「分かってる。でも、少しだけでもお願いしておきたかったの」

「何を。安産祈願?」

「違います! アリマやイサさん達と無事に帰れますようにって」


 有間は一瞬だけ動きを止める。呆れた風情で溜息をつき、ティアナの頭を小突いた。抗議されても何も返さずに歩き出す。

 ティアナは不満そうな声を上げつつも、暫くすると力強く、有間を諭すように言うのだ。


「絶対に帰るわ。皆で」

「……」


 有間は、やはり言葉を返さない。



.

- 87 -


[*前] | [次#]

ページ:87/134

しおり