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17
「……アリマ。少し良いだろうか」
遊び疲れて眠ってしまった錫の身体を撫でながら闇灼山を見据えていると、アルフレートが来た。
日も暮れ、辺りはすでに暗い。戻りの遅い有間達を心配してきたのだろう。
だが、有間はもう暫くここで闇灼山を見ているつもりであった。
無言で身体を横にズラし座る場所を空けてやると、闇灼山に向き合うように腰を下ろした。
そっと差し出されたのは、こんがりと焼けた兎の肉。
「イサ殿からだ。腹には何か入れておけと」
「ああ……うん。ありがとう」
腹は減っていないし、山茶花のグロテスクな逃げ方を見た今食べたいという気分でもない。
が、鯨の言う通り、飯は食べておかなければなるまい。これから、何が起こるか分からないのだから。
有間は肉を受け取りかじり付いた。
と、香ばしい匂いに錫が起きる。肉を見上げて物欲しそうに尻尾を揺らした。
やろうとすると、アルフレートが錫の首根っこを掴んで己の膝の上に載せる。彼の分も用意していたようだ。有間のよりは一回り小さい肉を与えてやった。
錫はそれを嬉しそうに口で受け取ると、四本の後ろ足で器用に太腿の上に立ち、前足で肉を押さえてもしゃもしゃと食べ始めた。もっとがっつくかと思ったが、存外綺麗な食べ方だ。
アルフレートも少々意外だった様子だ。
「前の主人に、よく躾られているようだな」
「そうっぽいね。人の様子にもよく気が付くみたいだし」
左右に揺れるご機嫌な尻尾に触るが、肉に夢中な錫は気にも留めない。
有間はアルフレートに苦笑して見せて己の肉に歯を立てた。
正直、美味しいとも不味いとも分からない。味が認識出来ない。舌の機能がイカレたのではなく、精神的にそんな余裕が無いのだ。
「で、サチェグの身体は平気なの?」
「ああ。術で治癒を早めている上、イサ殿が手当てを施した。本人も問題は無いと言っている」
「そっか。そりゃ良かった」
アルフレートは錫の身体を撫でながら、闇灼山を見据えた。
「あの山で、サザンカが亡くなったそうだな」
「鯨さんから聞いた?」
「独白を聞いてしまったんだ。珍しく、痛ましげにしていた」
「……まあ、山茶花は鯨さんにもよく懐いてたからね。加代と三人で遊んだり、悪戯して鯨さんや他の大人に怒られてたよ」
懐かしい。
もう二度と帰れはしない、まだ楽しくいられた過去。
……今更戻りたいと願ったって、無駄だ。
山茶花も、今はもう気味の悪い化け物だ。
有間は自嘲めいた笑みを浮かべて肉を噛み千切る。咀嚼(そしゃう)も半端に嚥下(えんか)した。広げられた食道の一部が一瞬だけ痛みを訴えた。
「邪眼一族ってだけでさ……皆滅茶苦茶にされた。別に、もうヒノモトの人間を恨む気も無いけどさ、死んだ邪眼まで利用するかね。……あんな化け物にしちまってさ」
反魂は、非常に難しい禁呪だ。
有間もこれについては屍傀儡程詳しくは知らない。降霊術に括られる屍傀儡とは違い、死者を完全に蘇らせる反魂については特に厳しく情報漏洩を抑制してあるのだ。
有間の中にある知識では、ヒノモトの反魂は蘇らせた後も維持させる必要があるらしく、色々と面倒臭いと聞く。
その《面倒臭い部分》で、山茶花に何か異変があったのやもしれぬ。
裏で手を引いている夕暮れの君は……何をしているのか。
「気持ち悪かっただろ。あの時の山茶花。蜘蛛女になっちまっててさ。精神にも、異常が出ている感じがした」
「アリマ……」
「うちもあの姿のあいつは、気持ち悪くて吐き気がしたね。あれじゃあもう、山茶花とは言えない。誰かの勝手で蘇らされた山茶花の、維持が出来なかった成れの果て――――ただの、醜い化け物じゃないか。酸与と、何も変わらない」
同時にそんなことを思う自分が、嫌だった。
何処かで、何とかすれば山茶花が自分の側にいてくれるのではないか、反魂で蘇った彼女と馬鹿をして笑い合えるのではないかと、ほんの少しだけ期待していたのだろうか。
下らない、有り得ない可能性に希望を強引に見出したりして……そんなに自分は脆弱に出来ていたか?
嗚呼、馬鹿らしい。
「もう、あいつは山茶花じゃない。ただの、妖なんだ。……殺しても助けられない」
輪廻にはもう戻れないかもしれない。
妖化した人間は、ほとんどがそうだから。
理(ことわり)を犯して蘇って、それで妖化をした山茶花を、どうして理が受け入れようか。
山茶花は、東平のように消滅するしか無いのだ。
それを、悔しいと思うなんて。
『夕暮れの君』を、こんなにも憎らしく思うなんて。
うちって、どんだけあいつのこと――――。
前髪を掻き上げ有間は嘆息する。
アルフレートはぽつりと呟いた。
「アリマは、サザンカのことが好きなんだな」
有間は軽く目を瞠ってアルフレートを見上げた。
アルフレートは有間に微笑みかける。そうして手を伸ばし、目元を親指で撫でた。
「今にも泣きそうな、苦しげな顔をしている」
「は、」
「無理はしないで良い。本心では、サザンカが大事なら大事と言えば良い。理を守ると言う理由は建前なのだと、オレ達の前でまで隠そうとしなくて良いんだ。ティアナも、イサ殿も、察している筈だ」
アルフレートは背中に手をやり、抱き寄せた。
錫がきょとんと見上げるが、他に動作が無いと分かるとすぐに食事に戻った。
「覚えているか? オストヴァイス城で、オレがお前に言ったことを」
「……」
「ティアナもきっと、オレと同じ言葉をかけたいと思っているだろう。だからこれは、オレとティアナ、それぞれの言葉だと思ってくれ。ヒノモトのオレはは無力で何も出来ないが、せめて、ほんの少しでも良い、虚勢で守ろうとしているお前の心に寄り添わせてくれないか」
「……」
有間は沈黙する。
アルフレートは彼女の背中を撫でて、言葉を待った。
‡‡‡
有間は時間をかけて、ようやっと口を開いた。
「悠久の滝に行きたい」
「悠久の滝?」
アルフレートが身を離そうとすると、それを有間が服を掴んで阻む。
「暫くこのままで。……今はだけで良いから」
有間の声は、僅かに震えている。
今、彼女なりに思案を巡らせているのだろう。
話すか、話すまいか。話して良いのか、良くないのか。
悠久の滝に行きたいのも、ひょっとすると彼女自身の心を整理をしたいからなのかもしれない。
有間は他人に本心を語りたがらない。自己防衛の為もあるだろうし、素直に本心が明かせない性格故の部分もある。
自分の言葉が、ティアナの思いが通じたのなら、今はそれで良いと思おう。
「分かった。……これくらいのことしか出来ず、申し訳ないが」
「いや、良い。……これで十分、落ち着くし」
「……そうか。良かった」
アルフレートは口角を弛める。
頭を撫でてやると自分よりも小さな身体から力が少しだけ抜けたような気がした。
―Y・了―
○●○
今更ですが、恋愛色が入れにくいです。この連載。
だ、大丈夫だろうか……。
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