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※注意



 ともかく、その場を離れて何処かに落ち着こうと言う話を鯨がしていた頃に、彼は闇馬を連れてようやっと合流した。


「無事か、お前ら」

「サチェグ……」


 少し前に別れたサチェグは厳しい面持ちで有間を見やった。
 彼の姿は、凄惨なものだった。
 衣服は所々焼け焦げ切り裂かれ、そこから覗く肌には生々しく痛々しい火傷や裂傷があった。下膊(かはく)の大きく腫れ上がった右腕がだらりと下がって動かぬを見るに、骨が折れている。
 表情にも、いつもの飄々とした色は無い。痛みを堪えているかのように、堅く強ばっていた。
 あの赤目の女との戦いが如何に熾烈なものであったか、その姿から察せられた。

 アルフレートが肩を貸そうとすると、サチェグはやんわりと拒み、「それよりも」とディルクを見やった。


「ここを移動するぞ。あの北肩山(きたかたやま)には、近付かない方が良い。ここから西南に下った山に行く。ティアナちゃんは俺と相乗り。ディルク殿下はイサと。アルフレート殿下は変わらずアリマと。良いッスね?」


 自身の身体の状態が思わしくないのであろう。焦った口調で早口に指示を出す。

 山茶花の異常な様を見てさほど時間が経過していないこともあった。
 アルフレート達はサチェグを気遣うことも後回しにし、ひとまずこの場からの退避を優先した。サチェグにとっても、それが最良の判断だろう。サチェグは異論の出ない彼らに安堵したように吐息を漏らした。


「道案内は俺が。急ぎます。北肩山から一刻も早く離れとかねえと……」


 「了解した」アルフレートは頷いた。先程からぼんやりとしている有間の顔を覗き込み、


「アリマ、馬を操れそうか。無理そうであるならオレが……」

「……、……いや、平気。アルフレートには、闇馬の制御はまだ早いよ。まず闇馬に懐かれてもいないんだから」


 有間は肩をすくめ、ぎこちなく笑う。本人は上手く笑っているつもりなのだろうが、見ているこちらは痛々しい。
 山茶花のおぞましい姿を見て、一番のダメージを受けたのは有間だろう。
 生き返らされ利用されているだけではなく、あのような人外にまで成り果ててしまったのだ。大きな衝撃を受けない筈がない。

 更には山茶花は不穏な言葉を残している。
 これからが有間の性根場になると彼女は言った。有間が最後(フィナーレ)を飾るのだと。


『有間ちゃんが、ちゃんとヒノモトの終焉を決められるように……私が道を守ってあげなくちゃいけないの……』


 有間が、ヒノモトの終焉を決めるなどと。
 では、有間がヒノモトに来たのは、最初から決まっていたことなのか。
 有間もまた、ヒノモトの終焉の為の駒の一つだったのか。
 田中東平のように、敷かれた道筋に沿って生きているだけの――――。

 ぞわりと、全身の穴という穴から噴き出すようなこのどろどろしい感情は、強い嫌悪だ。心の許容量を超えて毛穴からも漏れ出していくような不快な感覚。
 有間や鯨、あまつさえ彼女の実の両親まで、この為に生きていたのかと思うと終焉を夢見た闇の女神が疎ましい。

 アルフレートやティアナ、錫、加えて恐らくサチェグも、この終焉のシナリオの中には含まれていない。いや、有間の《環境の一部》として含まれていたのかもしれないが、ここま出しゃばってはいなかったようだ。
 このまま展開が変わってしまっているのなら、終焉という形も変わるかもしれない。有間が終焉を選ばないという選択肢が、自分達がいることで増えるのだとしたら――――。

 願うだけなら、誰にも出来る。
 自分が変えてやりたいけれど、自分はここでは何も出来ない。ようやっと妖に対抗出来るようになっただけだ。
 サチェグや鯨に従う他に、自分達に出来ることは無いのだろうか。

 アルフレートは一足先に闇馬に乗馬する有間を見上げ、隻眼を細めた。
 サチェグの方へ歩み寄ったティアナを窺うと、彼女もやはり有間を気遣うようにちらちらと様子を見ていた。鯨もだ。

 有間は今、何を思っているのか。
 取り繕われたかんばせから、窺えそうでなかなか見えなかった。



‡‡‡




 北肩山から西南に十里走った場所に在る山には名前が無い。

 東西に長く広がる高原を挟んだ南に聳(そび)える山には闇灼山(あんしゃくざん)、更に南に三里行った先の山には闇紺山(あんこんざん)という連なった名があるのだが、直線上に結ばれた筈の山には、人々からの通称すらも存在しない。ただの『山』だ。
 昔には正式な名称があったのではないかと言われていても定かな説でないその山は、かつて有間が山茶花や加代と約を交わした場所であった。

 それから西に逃れ、また東に戻り闇灼山に落ち着いて――――山茶花が潰されて死んだ。

 山の中腹にある洞窟に身を隠した五人を残し、有間は錫を連れて外に出た。山全体に結界を張っているから、妖に襲われる心配も無い。
 山茶花も、暫くはこちらに接触はすまい。

 サチェグの傷がある程度癒えるまで、ここで身を潜めることとなっていた。

 有間自身の為にも、それが良いと思う。
 頭がぐるぐるとして気持ちが悪い。
 山茶花のこと、彼女の言った言葉――――そして山茶花に対して思ってしまったこと。
 全てが綯(な)い交ぜになって、頭痛を催してしまう。

 膝の上で眠る錫の身体を撫でながら、有間はこめかみを押さえた。


「……『気持ち悪い』」


 気持ち悪い。
 ……気持ち悪い。
 有間はあの時、山茶花に対して心底そう思った。全身で拒絶した。

 山茶花は死んでいる。だから、殺さなくてはならないと思っていたくせに――――気持ち悪いと厭悪(えんお)して、恐怖し、そんな自分を酷く疎ましく感じている。
 割り切っていたら、こんな感情を抱かなかったかもしれないのに……。

 有間は顔を上げ、前方に小さく見える闇灼山を見やった。

 その向こうには闇紺山がある。闇眼教の総本山と言う噂もある、今の自分達には危険な場所だった。

 闇紺山に、悠久の滝という飛瀑の滝がある。滝に向かって三日三晩叶えたい願いを念じ続けると滝に宿る姫神が叶えてくれるという伝説があった。
 悠久の滝を観に行こうって、三人で約束したっけな。
 三人で交わした約束は数多ある。
 その中でも、山茶花はこの約束を殊更(ことさら)大事にしていたように思う。

 闇灼山へ逃れる道中でも、闇灼山から悠久の滝が見えないか加代と話していた。狭間でいた鯨に、やんわりと否定されて残念がっていたっけか。


「まさか……な」


 その約束の為に反魂に応えたって……訳はないだろ。
 どんなに大事にしていた約束でも、子供なりに叶いっこないって分かっていたじゃないか。山茶花も、加代も、自分も。
 反魂に応える程のものとは思えない。

 吐息を漏らし、有間は錫を見下ろした。
 錫はずっと有間の側を離れない。主の心中を察して寄り添っているいるつもりなのだろうか。
 有間の式になってから、さほど時も経っていないと言うのに。

 何となく濡れた鼻を摘んでやると、くしゅっとくしゃみをして驚いたように跳ね起きた。つぶらな瞳できょとんと有間を見上げてくる。


「あんたの前の主人は、お人好しだったんかねぇ……」

「きゅう」


 鳴かれたとて何を言っているのかさっぱりだ。
 有間は苦笑してわしゃわしゃと頭を乱暴に撫でくり回してやった。

 錫は遊んでくれるものと勘違いしたようだ。腹を見せて六本の足をバタつかせる。手を止めるともっともっとと前足を振っておねだりする。
 これが、酸与を焦がした雷獣というのだから驚きだ。


「じゃれの延長で雷を出すなよ」


 両手で脇を擽ってやり、遊びに付き合ってやる。

 そうして、一時だけでも全てを忘れたかったのかも、しれない。



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