Y
────

14


※注意



「お前は……僕を散々化け物扱いしたくせに、今更人のように在れと言うか」


 静かに、ディルクは言った。
 表情は依然堅いままだ。
 泣きそうなところを必死に抑え込んでいるのが分かる。

 有間は鯨を見やり、田中東平であった砂の山を見つめた。

 屍傀儡――――反魂と似て非なる、最上級の禁呪の一つだ。
 死者を傀儡として呼び出し、己の道具として意のままに操る禁忌の呪術。
 その傀儡は人ではなくなり、呼び出された死者の魂も救済は無く、役目を終えると同時に消滅する。転生も許されない。
 体内に流れる黒血は屍傀儡の最大の特徴だ。黒血を流しすぎると身体が動かなくなる。また、損傷により身体に限界が近い、または術者から与えられた役目を果たし終える頃になると、黒血を吐く。
 最後はあのように砂と消えてしまう。
 人間を道具に変換して使役し転生をも破壊する、人道的に問題のある呪術であった。また、非常に高度で、高位の術士でも成功率は限り無く低く失敗すれば命は無い。

 そんな禁呪を行う人間が、いるということ。
 山茶花――――ではないか。
 有間は周囲を見渡した。

 大妖との熾烈な戦いで荒らされた雪景色に、人影は全く見受けられない。
 その場を動こうとしないディルクをアルフレートとティアナに任せることにして、有間は周囲の様子を窺うことにした。鯨も、同じく別方向に歩き出す。

 暫く歩けば足下に錫が並んだ。


「……夕暮れの君、ね」


 度々耳にするその名前に、有間は顔を歪めた。
 屍傀儡は救われない。魂はそのまま消滅してしまう。
 役目を終えれば根の国に戻れると騙され、術者の思うがままに動いていた。
 ……哀れな男だと、思う。

 利用されるだけ利用され、救われずに無と消えた。

 その夕暮れの君は、一体何者なのだろう。
 何を目的に暗躍しているのか。
 屍傀儡を成功させる程の腕前ならば、山茶花を蘇らせたのも恐らくはこの人物だろう。

 ……物凄く、ぶん殴りたい。
 拳を握り、有間はふと足を止めた。

 錫が唸り出したからだ。


「錫……? どうし――――」


 刹那である。


「――――」


 鉄同士が擦れ合うような音が聞こえた。
 それが声だと分かったのは、それから暫く経ってからのことだ。
 頭上を通過する影を認め、長巻を構える。

 見上げて――――目を剥いた。


「な……っ」


 雪を飛ばして着地したそれは、真っ直ぐ酸与の方へ駆け寄る。
 それはまさしく、蜘蛛だ。

 頭部に真っ赤な毛を生やした、女郎蜘蛛。

 錫が唸るのに、咄嗟に長巻を握り直す。
 だのに、身体はそれ以上動けなかった。

 声が震える。


「さ、ざんか……」


 君だって、言うのか。
 なんて――――《      》。


 赤い毛をした女郎蜘蛛は、酸与に食らいつく。
 鯨達が気付き女郎蜘蛛へ攻撃しようとするがそれよりも早く尻の下辺りから無数の子蜘蛛が生まれ、それぞれに群を成して突撃していく。

 反応が遅れた有間へ向かってきた子蜘蛛の群は、錫が紫電で全て燃やしてくれた。


「っぁ、あ……ああ、ありがと。錫」


 その場に屈み込んで頭を撫でると、錫が案じるように見上げてきた。
 山茶花のおぞましい姿に動揺が隠せない。
 何故、あんな姿になっている?
 何故蜘蛛なんだ。
 何故……人間の姿を保っていられなかった?


「錫、お前はアルフレート達を守ってやって。うちは大丈夫だから」


 頭を撫で、立ち上がる。目を細め、長巻を握り直した。
 今、あいつは酸与を食らうのに夢中になっている。
 なら、今のうちに殺してしまえば――――。

 そう思った矢先である。
 女郎蜘蛛が、こちらを振り向いた。

 山茶花の、顔で。

 ひくり、咽がひきつる。
 酸与の血でべったりと汚れた顔で、くちゃくちゃと肉を咀嚼(そしゃく)しながら、山茶花は笑う。
 一歩、後退してしまった。
 駄目だ、逃げるな。
 殺せ。今のうちに。
 山茶花がただの化け物でいるうちに――――。


「ねエ……有間チャん」

「ぇ……」

「どうシて……変わってルの? こんな展開、無カッたのニ」


 女郎蜘蛛が、《立ち上がる》。
 ぼきぼきと骨を鳴らし、大きく跳ね上がる。骨が折れ、或いは伸び、形を変えていく。八本の足は、内側の四本を身体の中に引っ込んだ。
 堅く毛に覆われた身体も、柔らかい真白の肌に変わっていく。

 おぞましく身体を変えていく山茶花に、有間は戦慄した。
 カチカチと音がする。
 何の音だ――――ああ、うちの手か。
 うちの手が震えて、長巻が音を立てているのか。

 錫が足下で唸っているのを、足で制す。襲いかかろうとするが、何が起こるか分からない気がした。……いや、その変化に恐怖を抱き、刺激したくなかったのだ。

 恐怖に震えながらも目を離せない有間の前で、女郎蜘蛛は全裸の少女へと変わった。
 真っ赤な髪が、足下の雪にまで被さる。
 山茶花……。


「ねえ、どうして、要らない人達がいるの。ねえ、どうして展開が変わっているの? どうしてあの竜が私の物になっていないの? どうして竜の王子様が死んでいないの? ねえどうして? どうして? どうしてどうしてどうして?」

「山茶花……?」

「私、見たの。本当の終焉を見たの。こんなんじゃなかったよ。どうしてこんなことになっているの? これじゃあ駄目じゃない。駄目だよ。ちゃんと夢通りに進ませなきゃ」


 山茶花が歩み寄ってくる。
 錫が有間の前に飛び出して紫電を迸らせた。

 山茶花は錫を見下ろし忌々しそうに顔を歪めた。


「そう……お前もいなかったわ。どうしてこんなにも変わっているの? 変わっちゃいけないのに。これじゃあ終焉が来ないかも知れないじゃない。駄目だよ、そんなの。有間ちゃんの大事な性根場なのに」

「うちの、性根場……?」

「そうだよ。有間ちゃんが、最後(フィナーレ)を飾るの。だから――――変えちゃいけないのに」


 山茶花は、ティアナ達の方を見やる。鯨が子蜘蛛を始末したようだ。
 こちらに駆け寄ろうとするアルフレートが鯨に制されている。
 山茶花はちっと舌打ちした。


「あいつら……消さないと。もっともっと変えられてしまうわ。そうなったら、ちゃんと終焉が迎えられない」

「っ、待て! 山茶花!」


 制止の言葉を、彼女は聞かなかった。

 鯨が身構えた瞬間彼女は高く跳躍した。
 狙いは鯨ではない。ティアナ達、異国人だ。

 間に合わない!


 再び山茶花を呼ぼうとした、その刹那。


「ぎゃあっ」


 横合いから迫った一矢が、山茶花のこめかみに突き刺さった。
 どしゃ、と彼女の身体が落下する。



.

- 83 -


[*前] | [次#]

ページ:83/134

しおり