T
────
5
バルコニーに逃げてきたは良いが、中からの視線が五月蠅い。
主にアルフレートへ向けられたものだとは思うが、こちらにもちくちくと感じられる。嫉妬か、女の嫉妬の視線なのか。とんだとばっちりである。アルフレートと自分はそんな関係じゃない。……少なくとも今は。
顔を片手で覆って、有間は手すりに両肘を置いてカトライアの街並みを一望した。
夜の闇に包まれ静まりかえったカトライアの街。微かな明かりはあるものの、普段の活気がなりを潜め、眠り込んだそこは背後の煌びやかな世界とは真逆だ。あの美しい花々の咲き誇る庭園が境界であり門であり、二つの世界が繋がっているのかと思うくらいに――――。
そこまで考えて、ちょっとだけ笑った。
こんな詩的こと考えるのは、あいつくらいだ。自分には似合わない。
「アリマ、どうした?」
「……いんや、らしくもなく幻想的な感想を抱いてね」
まあ、こういうことは前に何度か思ったことがあるけれども。
今になってらしくないと感じてしまうのは、思い出してしまったからだろう。
詩的な思考をした、友達のことを。
今更気にすることも無いだろうに、影響されてたんだと思う自然にと自嘲の笑みが浮かんでしまう。
そう言えば、あいつは歌も好きだったなあ。幼いくせに賢しすぎた彼女は、恥ずかしくなるような歌詞を考えては楽しそうに歌を作って、皆に聞かせて、つかの間の楽しみを一族に与えてくれた。
邪眼一族は、歌が好きだった。
鯨も有間もよく歌っては緊張を紛らわしていた。有間はさほど上手くはないが、ほとんどの者は歌唱力が高く、楽器の扱いにも長けていた。
追われている時も、音楽は一族共通の慰みだった。
あいつにレパートリーには、どんな歌があったんだっけか。
多すぎて全て覚えている訳ではない。けれども作った本人は紙面に書き記してもいないのに全て間違えずに覚えていた。
思い出そうとした有間は、ふと横から視線を感じて思案を中断した。
首を巡らせると、アルフレートが目が合った瞬間に顔の下半分を手で覆い隠して顔を逸らした。
「何さ」
「……いや、今日のアリマは普段とは違ってとても艶めいていて、考え込んでいる姿に見とれてしまったんだ。すまない」
「……あー……」
照れてるのに何でそんな恥ずかしい言葉が言えるのかね。
全身がむず痒くなって、有間は渋面を作り首筋を掻いた。意味の無いことだけれども。
袖で頬を隠し、俯き加減に吐息をこぼす。……まあ、マティアスやエリクよりはましかもしれない。むっつりだけれど。
この冷えた空気でアルフレートの所為で高まった熱を冷ましながら、アルフレートを横目に見る。
……まあ、確かに姿が違うとよく見えたりはするか。いやあくまでも客観的な感想で。断じてうちだけがそう思うのではなく。
自分に言い訳をしながら礼装のアルフレートを眺める。こちらから視線を逸らしている今のうちだけだ。視線が戻ってくる前に街並みの方へ戻した。
それからは、ただ並んで立って、他愛無い問答や下らない雑談を交わすだけ。ままに、恥ずかしくなって初々しく顔を逸らすだけだ。
恋仲という訳ではないが、限り無く恋仲に近いこの二人。
実は会場からマティアスとティアナがもどかしそうに眺めているのを、彼らは知らない。
‡‡‡
顔の前に落ちてきた白い粒に、有間はあっと声を漏らした。
鼻先に触れて一瞬だけの冷たさに微動する。
「雪、だ」
珍しい。
カトライアは温暖な気候の国だ。冬と言えども降雪は滅多に無い。有間もこのカトライアに来てたった二・三回程度だ。どれも積もったことは無い。
手を差し出して雪を取ると、やはり一瞬で消えてしまう。
「カトライアにしてはやけに冷えると思っていたが……やはり降ったか。中に入ろう、風邪を引いてしまう」
「いや、うち元々極寒育ちだから。うちは、もう少しここにいるよ。雪なんて滅多に見れるものでもないからさ」
また雪を手に取り、有間はアルフレートに笑いかける。
アルフレートも寒冷な国の生まれとは言え、大事な身体だ。暖かい中へ入れておいた方が良いだろう。貴婦人達にダンスに誘われると思うと、少々気分は悪いが。
はらはらと舞い降りる雪は、恐らくはすぐに止んでしまうだろう。
雪が止んだら帰るかな、と呟いたその直後、アルフレートが有間を呼んだ。
見上げれば彼は微笑んで自分も残ると告げる。
有間は一瞬固まって、俯いて顔を背けた。
「……物好きだねえ、お宅も」
「元々、こういう場は苦手なんだ。一人で戻るよりも……アリマを独占する方がずっと良い」
……ああ、もう。
有間は何度か深呼吸して、崩された調子を戻そうとした。
それに気付かぬアルフレートは、夜空を見上げ、有間と同じく儚い雪を手に取る。
「邪眼一族は極寒の地で暮らしていたんだったな」
有間はその手を見、目を伏せる。
「……まあね。うちが物心着いた時にはもう本来の故郷ではなかったけど、まだ住み慣れた環境を求める余裕はあったよ。極寒の地を転々として、人間達に抗いながら生きてた。被虐趣味って訳じゃないよ。でも、極寒で極限に苦しい生活しか知らない邪眼一族は、新天地を目指すことが怖かったんだ。本当に生きていけるのか、身体は順応出来るのか……可能性はとても低かったから。まあ、最終的にそうも言ってられなくなったんだけどね」
雪で濡れた手を下ろし、有間は小さく笑った。
「雪を見てるとさ、死んでいった邪眼一族を思い出すんだよね」
「……そうだな。オレも、雪を見ていてファザーンを思い出す」
「あ、いや。そういう意味じゃなくてさ。……この雪みたく呆気無く死んだよなって」
生きていた筈だのに、容易く散らされた仲間の命。
それは、手に触れれば一瞬で消えてしまう雪のよう。
雪は好きだ。でも、同時に怖い。
いつか、自分もこんな風に一瞬で消えてしまう日が来るのではないのかと。自分ではなく、自分の周りの人間がそうなってしまうのではないかと。
ただ懐かしいと、それだけを感じられたら良かったのにね。
苦笑混じりに独白する有間に、アルフレートは手を伸ばす。
その指先が有間の頬に触れる直前――――。
今は昔の物語
記されもしない村の
鬼子と鬼の 悲しいお話
歌が、聞こえた。
.
- 11 -
[*前] | [次#]
ページ:11/134
しおり
←