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13
※注意
有間がこちらに走ってくる。
その後ろにはティアナと――――闇眼教に誘拐された弟。
目が合った瞬間露骨に顔を逸らされた。気まずげな顔は、兄を拒絶していると言うよりは、どんな顔を見せれば良いか分からない、不安と恐怖の滲んだ表情だった。
遠退いた兄弟間の距離に胸が痛みはしたが、それも安堵に消えた。今は彼が無事ならば、それで良い。
有間達も無事だ。有間の表情がやや強ばっているのは、未だディルクのうちに封じられた竜への本能的な恐怖心の所為だろう。ディルクも、有間とは距離を開けている。
「無事だったか」
「一応はね」
淡泊に返した有間は、ティアナに目配せしてディルクと共に酸与から離れさせると、屈んで、アルフレートにすり寄る錫に似た獣に手を差し出した。
獣は耳をぴんと立て、尻尾を立て彼女の腕を伝って肩に乗る。
頭を撫でられてうっとりと気持ち良さげに目を細める姿は、やはり錫の表情だ。
アルフレートは獣を見つめながら、有間に問いかけた。
「アリマ。その動物は……スズなのか?」
「そ。こいつすねこすりじゃなかったんだ。力を封印されていただけの、雷獣っていう妖。強さはご覧の通り」
酸与を、顎をしゃくって示し、有間は長巻を一回転させて酸与に向かって構えた。
酸与は身体を焦がしながらも未だびくんびくんと痙攣し、起き上がろうとする。だが飛び上がるどころか立ち上がれない様子から、この小さな獣から、相当な威力の雷撃を受けたと予想される。
この隙にと、田中東平が翼の骨を折り、鯨が術で酸与を拘束する。
アルフレートも、有間に退がるように言って剣を握り直し駆け出した。
先程まであれだけ苦戦していた怪鳥の胸を、双剣で一息に貫いた。
ぶしゃ、と吹き出した血が吹き出すと同時に田中に腕を引かれ酸与から引き離される。掴んだままの双剣も同時に抜ける。
赤黒い血が、切っ先から滴った。
「血を浴びるな。里藤は、自身の死を鍵として血液を猛毒に変える術をかけていた。止まるまで近付かぬことだ」
「……ああ。感謝する。タナカ殿」
田中は瞬き一つを返し、双剣を見下ろした。
「もう少し儂が里藤を押さえておれば、ぬしの武ももっと生きたであろうな。魔物もお伽噺だという異国の者に、ヒノモトの妖の相手など到底務まらぬと思うておったが……妖を倒すだけの知識が無いだけか」
アルフレートは首を左右に振った。
「いや……オレの力が及ばなかっただけだ。あなたの所為ではない」
「過小評価は無意味だ。ぬし程でなければ、あれの攻撃を避けながら反撃の期を窺うことも出来なんだ。これは事実であるぞ」
田中は無表情に、しかし断じるように強く言い切った。
――――その直後、激しく咳き込む。
身体を前に倒すそれにアルフレートはぎょっとして巨躯を支えた。
手で塞がれる寸前彼の口から飛び出した黒い液体に、ぞっとする。
服を汚すものと同じ、墨のような血だ。
てっきり妖のものだと思っていたのが、まさか彼自身の吐血であると誰に想像出来たことか。
アルフレートは雪の上に散った黒血を見下ろし、思わず田中の服をキツく握り締めた。
「これは……」
「トウベイ!」
冷たい空気を切り裂くような鋭い呼び声は、弟のもの。
首を巡らせればディルクがこちらに駆け寄ってきている。ティアナも慌てて追いかけていた。有間は、鯨と並んで遠くからこちらの様子を眺めている。
ディルクは、咳の落ち着いた田中の前に回り込み顔色を覗き込んだ。怒っているような、不安がっているような、案じているような――――様々な感情を織り交ぜた顔をしていた。
「お前の身体に何が遭った」
田中はディルクを見下ろし、くっと口角をつり上げた。苦しげでも、穏やかな笑みを浮かべる。ディルクの頭へ手を伸ばそうとして己の手が黒く汚れてしまっているのに下ろしてしまった。
「なに……時が来ただけよ。役目を終えたが故に」
まるで長い労役を終えたかのように安堵した彼の顔は、何処か誇らしげだ。
そのままアルフレートに支えられながら座り込むと、ごぼりと黒血を大量に吐き出す。
ディルクの顔は堅い。感情を表に出すまいと、必死に堪えているのが、兄の目にも分かった。
「夕暮れの君よ……この田中東平ら、屍傀儡(かばねかいらい)の役目を終え、根の国に戻ります。この大罪人、短き命を再び賜りましたこと、心より深く感謝申し上げます」
田中は天を仰ぐ。
微笑み――――。
ひゅっと息を吸った。
ざんよ゛、ざんよ゛。
ざんよ゛、ざんよ゛。
心臓が跳ねた。
澱んだ声が、聞こえる。
それは、聞こえる筈のなかった声だ。
アルフレートは双剣を構え、酸与に向き直る。
が、酸与の執念は想像以上に強く――――素早かった。
自ら噛み千切ったのだろうか。首の付け根で強引に切断された酸与の生首が、蛇の如く這いずって飛び上がる。
アルフレートが双剣を構えた時にはもう、それはディルクに向けてあぎとを開いて躍り掛かっていた。
ディルクが口を開けた瞬間――――。
田中が咆哮する。
立ち上がりながらディルクの頭を掴んで後ろに引き、自ら前に飛び出した。
がぶり。
無数の牙は頑強な太い首を捉える。
‡‡‡
「トウベイ!?」
尻餅をついたディルクが悲鳴を上げる。
東平は首を噛む酸与の首を剛力で剥がし、
「里藤よ。その執念深い質(タチ)の悪さが、儂は好かぬ。男ならば潔くせい」
冷淡に言い、両手で顔を潰す。飛び散った血肉が身体にぶつかり流れ落ちていく。
彼は長々と嘆息し、その場に仰向けに倒れた。いつの間にか接近していた鯨がディルクを東平の背後から離す。
それからもがき逃れてディルクは側に膝をついた。
「おい! 僕はまだお前の大罪を聞いていないぞ!! それに、言いたいことは山程ある!」
「……」
東平は目を伏せた。
そのまま終わらせるつもりなのか、――――否。
「……愛しい子供を、守れなんだ」
「何……?」
「長男は、丁度ぬしと同じくらいでな。ぬしのように灰色の髪を持っておった。儂の代わりによく兄弟の面倒を見てくれて……」
いや、長男だけではないか。
儂にとっては、子供達が誇りだった。
儂に似ず、母親に似て……他人を思いやり、己の弱さを知り、明るく前に進む強い子供達が、何よりも勝る儂の宝物だった。
東平は、懺悔するように語る。
「宝を守れず……儂は鬼に堕ちた。鬼に堕ち、子供を殺した者達を殺し、それを楽しんだ。あいつが……迅間(はやま)が止めなければ、儂は……儂は……罪を罪と思わぬまま……人でなく――――」
「……タナカ殿?」
アルフレートの呼びかけに、東平が重たげに手を伸ばせば、ディルクがそれを握る。
「お前は……ずっと僕を自分の子供に重ねていたのか」
東平はせせら笑った。
「……否。ぬしのような臆病者は儂の子ではない。恥ずかしい勘違いをされたものだ」
「な、」
「精々人らしく醜く足掻いて、強く在れよ。竜に負けて罪を重ねぬよう」
東平はしっかりとした口調だった。
されども、ディルクの手を強く握った直後――――。
一瞬で砂と化したのである。
東平は問いには答えたものの、結局、ディルクに言いたいことを言わせなかった。
ディルクは、宛先の無い悔しさを、口の中で力の限り噛み砕く。
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