Y
────

12





 山茶花が悲鳴を上げてその場に倒れ込む。全身を抱き締めて右に左に転がり悶える。
 彼女の身体からは、細い歪(いびつ)な筋の光が一瞬一瞬、至る部位から飛び出す。


 紫電……だ。


 有間は、間の抜けた声で、目の前で山茶花を威嚇し続ける錫を呼んだ。
 彼は、様相を異にしていた。すねこすりであった面影はまだ残っているけれど、全くの別物だ

 異様なのは、その後ろ脚。
 すねこすりの時は前と後ろ合わせて四つ足だった筈だ。
 それが――――後ろ脚だけで四つあるではないか。
 全身からは山茶花よりも大量の、はっきりとした紫電の筋が発生している。

 大きさに変わりは無いが、形の変化した姿は、有間も書物でなら読んだことがあった。


「お前……雷獣だったんだ」


 すねこすり――――否、雷獣は、有間を振り返り変わらぬ鳴き声で応(いら)えを返した。

 弱小の妖かと思えば……それなりには強い妖であったとは、存外である。
 有間は一度深呼吸をして自身を落ち着かせ、山茶花を見やった。

 油断していたところに雷撃をもろに受けてしまったのだろう。彼女は低く呻き、一向に起き上がる気配が無い。
 この隙に――――と、思った瞬間である。


「ああ゛ぁ――――あ゛ア゛ああぁぁぁァア゛ぁァァぁぁアア゛あぁぁぁァァッ!!」


 山茶花が、吼(ほ)えた。
 ぎょっとして思わず後退すると、彼女はまるで蜘蛛の如(ごと)俯せになって――――四つん這いで逃げ出した。


「ちょっ、待て山茶花!!」


 彼女の身に起こった異変に、有間は咄嗟に怒鳴るように止める。

 山茶花は動きを止め、有間を振り返った。

 見えた顔は、亀裂だらけだった。白目は黒ずみ、赤瞳はどす黒く澱み――――おぞましさにたじろいだ有間を嘲笑うように、黒い斑点の浮いた長い舌が、亀裂と繋がって耳まで裂けた口からだらりと垂れ下がる。
 鮮やかな髪も、風に揺れる度に抜け落ちていく。
 べこ、べこ、と音がするのは……ああ、腕が変形しているのだ。
 関節が増え、細くなって、指を失って、脇腹からも新たな《脚》が生えてきて。
 これでは、本当に蜘蛛ではないか。

 誰だ、こいつ。
 有間は戦慄した。
 さっきまで彼女は笑っていた。
 昔の彼女の面影を残して……。

 だのに唐突に、こんな変化をして――――。

 気圧され、有間は更に後退した。

 山茶花はそのまま正面に向き直り、今度こそ、その場から逃げ出した。
 人間としての形を失い、蜘蛛のように逃げていく山茶花を、有間は慄然(りつぜん)として見送る。
 いつの間にか長巻を取り落とし、ティアナに肩を揺すられるまでそれに全く気付かなかった。


「アリマ……大丈夫?」

「あ……うん……平気。大丈夫。ちょっと驚いただけで」


 有間はティアナにぎこちなく笑いかけ、屈んで長巻を拾い上げた。ついでに、錫も片手で持ち上げる。害意の無い相手だと、その紫電は影響しないらしい。
 錫をティアナに任せ、その奥に佇むディルク王子を一瞥する。何も言わずに歩き出し、彼の脇を通り過ぎる。


「ティアナ、戻ろう。酸与のことが気になる」

「ディルク殿下は、」

「連れて行け。田中東平もそこにいる筈だ」


 ティアナの言葉を遮り、ディルクは言う。
 有間はこれにも言葉を返さなかった。ただ、ティアナに目配せをして急ぎ足に歩き出す。

 ディルク王子は何かを言おうとしたが、すぐに止めた。ティアナを先に行かせ、彼女に続いた。

 ティアナの腕の中で錫が気遣わしげに鳴く。
 彼の頭を撫でてやりながら、ティアナは有間の後ろ姿を見つめる。
 今の彼女の心中を想像したって分かる筈もないけれど、何か声をかけたかった。

 有間の背中はそれを堅く拒絶している。
 彼女の中で整理する為の沈黙を、無言で求めている。



‡‡‡




 鳥型の化け物は、とかく戦いにくい。
 斬りつければ飛翔して上空へ逃げてしまう。かと思えば特有の能力で鳴いて心を乱し、猛スピードで降下して突進してくる。上手く回避しても巻き起こる風で体勢を崩され、最悪巻き上がった小石や枝で身体は容赦なく裂かれた。

 アルフレートは二の腕に突き刺さった枝を引き抜き、雪の上へ放り捨てた。
 周囲には弱小の妖の死骸が転がっている。
 酸与の妖気に惹かれ、彼の意のままに人間を害さんと襲いかかったモノ達だった。それらを斬り捨てながら、酸与の攻撃も裂けながら、鯨だけでなく田中と連携して酸与と戦わなければならない。
 人間相手なら、まだ楽だと、心の中でぼやく。


 さんよ、さんよ。

 さんよ、さんよ。


 その鳴き声は、まるでこちらを嘲笑うかのよう。
 いや、実際嘲笑っているのかもしれない。未だ里藤杵吉の自我が残っているとすれば、彼なら有り得る話だ。

 酸与にも勿論傷を負わせている。けれども致命傷は一つも無い。身を捩ったりして、自ら急所を外させるのだ。
 しかもそれは全て田中、鯨によるもののみ。
 アルフレートの剣撃を酸与は重点的に避けていた。他は受けても良いが、アルフレートの剣だけには決して掠りもさせてはならないと分かっているのだ。

 サチェグの術をかけられているから。

 サチェグが調整に調整を重ねて完成させた術は、少し斬るだけでも即座に妖を滅する程の強力なものだった。失礼な話だが、鯨がこの剣を見て忌々しそうに舌打ちしたのだから相当なものだ。
 無論酸与程の大妖ともなれば掠った程度では死ぬことは無いだろうが、それでも酸与はこれを脅威と認めたのだった。

 自身の剣に対する怯えを確かに感じているからこそ、アルフレートは焦る。
 脅威と認定されたアルフレートであるが故、酸与にしつこく狙われる。鯨や田中がフォローしてくれるが、それでも周囲の妖達の襲撃で完全ではない。
 自分が、どうにかして酸与を仕留めなくては!


 さんよ、さんよ。

 さんよ、さん――――。


 ふと、酸与の声が途中で途切る。
 かと思えば酸与が山の方へ首を巡らせ、六つの目を見開いた。

 瞬間、雷撃。


「――――ッ!!」


 苦しげな醜い悲鳴を上げ、酸与の身体は崩れ落ちる。
 突然の攻撃にアルフレートは咄嗟に酸与の見た方向へ目を向けた。

 だが、それよりも早く、足にすり寄ってくる毛玉が。


「すず……?」


 反射的にその名を呟いたが、姿を視認して眉根を寄せる。

 少し、錫に似ている。
 だが――――後ろ脚が四本とは、どういうことだ。

 尻尾を振って愛嬌を振ってきている――――という風には一応見える――――恐らくは妖であろう獣に、アルフレートは反応に困った。

 そんな彼に、


「アルフレート!!」


 田中と合流する前に別れたティアナの声がかかった。



.

- 81 -


[*前] | [次#]

ページ:81/134

しおり