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 結界のうちに戻ってきたアルフレートは。出る前とは面構えがまるで変わっていた。
 引き締めたような顔には覚悟が滲み、心強い光が隻眼に宿っている。まるで捲土重来――――失いかけた自信を取り戻したかのような変わりようである。
 やはり、サチェグがアルフレートに妖への対抗策を与えたのだろう。邪気を払って妖を完全に殺せない外国人用に、彼の双剣に術を施したのだとは双剣自体から感じる気配で分かった。

 サチェグは明日到着すると言い、出立の時点で防寒するように言い置いた。
 一晩夜を明かし、夜明けと共に闇馬で出立した。

 闇馬で道を急ぐうち、防寒した格好では暑苦しく感じられた気温も、段々と寒く感じられるようになった。
 急激に下がっていく気温に、息も白く変わり、鼻腔から入る空気が上咽頭まで冷やし乾燥させた。

 昼を過ぎた時、雪もちらつき始めた。
 雪原を走り抜け道を急ぐ。


――――けれども。


 不意にサチェグが己の術で構築した無機物製の闇馬を止めた。


「先に行ってろ!!」


 怒号を受けて闇馬を止めると、視界の端を通過した影にぎょっとする。
 それは黒い髪をした女だった。

 今までに数回見た女――――黒髪赤目の女。

 彼女は妖気と間違える程のおどろしき殺気を放ってサチェグに襲いかかった!
 闇馬の首がぼきっと折れ、雪に沈む。赤目の女の足が踏み砕いた。

 サチェグが馬から飛び降り袖から短剣を取り出して、赤目の女に投げつけた。


「サチェグ!!」

「何故来た!! 何故暁の言葉の通り傍観に徹さなかった!? 其は不要ぞ!! 我らが母の夢に其は要らぬ!!」

「知るか馬ー鹿!! 暁にも言っとけ馬ー鹿!! 俺ァ俺らしく生きることにしてんだよ!! 傍観してやってたのはたまたまそんな気分になっただけだ!!」


 サチェグはに片手を振って早く行けと暗に急かす。

 有間は女を一瞥し北の方角を見てから鯨を見やった。彼はすでに闇馬を走らせようと手綱を握り直している。


「アリマ。ここは彼に任せよう」

「……その方が良さそうだ。アルフレート。一気に走らせるから、ちゃんと口閉じとけよ!」


 有間は力一杯腹を蹴りつけた。



‡‡‡




 逃げるように、必死に闇馬を走らせた。
 逃げているつもりはないが、何となく、有間にはそう思えてしまう。
 何だろう……あれを、あの女をあのまま放置してはいけないような気がした。彼女がどんな存在なのか、明確なことは知らないのに。

――――いや、そんなことはどうでも良い。
 今はとにかく急がなければ。

 北へ、北へ、北へ。
 嘗(かつ)て邪眼一族が生まれ、暮らしていたという山がある方向へ。


 さんよ、さんよ。

 さんよ、さんよ。


「……っ、アリマ!!」

「まじかよ、ここにいやがった……!」


 酸与。元里藤杵吉。
 有間は鯨を呼んだ。

 鯨は心得たとばかりにティアナに耳打ちする。彼女は唇を引き結んで大きく頷いた。

 速度はそのままに、乱れる精神を理性で抑え込みながら、足を止めずに進む。嫌な予感がした。急がなければいけないような気がする。
 まさか、本当に――――ディルク王子がいるとか?
 山茶花相手に嫌な予感とか、する筈がない。急いだ方が良いなんて、手遅れにならないうちと逸る訳がない。

 奥歯を噛み締め、彼女は天を見上げた。


――――飛翔する、怪鳥を見た。


「酸与……」


 近い。
 恐らくはこの先は崖になっているのだろう。雪原の地平線から不自然に飛び出したそれは、遠目から見ても分かるくらいに血塗れだ。誰かと戦っているのだろう。それがディルクの竜でないことを祈りたいものだ。

 先の無い雪原の端から躊躇いも無く飛び降り、難無く着地する。
 そのまま走り抜け、遠くに見える小さな影に目を凝らす。

 近付いていく――――見える。


「あいつは……!」


 五大将軍の一人だ。
 坊主頭で、筋肉隆々とした大男。
 名は確か――――東平(とうべい)。田中東平だ。
 何故あいつがここにいて酸与と――――なんて、その疑問の答えは記憶の中にあった。
 そうだ、オストヴァイス城にいた時、机に入っていた新聞記事。あれに、田中東平がディルクを保護した後軍との連絡を絶ったとの記述があった。

 ということは、この近くにディルク王子がいる可能性も高い。

 鯨は闇馬を止め、有間を呼んだ。飛び降り酸与に向けて駆け出す。
 有間もそれに応じて闇馬の足を止める。アルフレートを呼ぶと、彼は応じるように飛び降り鯨の後を追いかけた。

 特に示し合わせた訳ではなかった。
 ただ、自然と自分がやるべきことが分かっていた。
 ティアナを闇馬から降ろし、錫を持たせ彼らとは別方向へ向かう。闇馬はその辺に放置していても問題は無い。その辺の妖すらも平気でぺろりとする動物だ。おまけに、腹が立つ程にハイスペックなサチェグが術をかけ妖を浄化する気をまとわせている。


「ティアナ、うちらはディルク王子を捜そう。この近辺にいる可能性が高い。雪で動きづらいだろうけど、急ぐよ」

「ディルク殿下が――――分かったわ!」


 ティアナが頷くのを視認し、すぐに駆け出した。
 近くの森に飛び込む。



‡‡‡




 それは突然のことであった。
 錫が不意に甲高い鳴き声を上げたかと思うと、ティアナの腕から飛び降りて、有間の横を通過した。


「あ……待って、スズ!!」

「あの馬鹿こすり!」


 今は追いかけっこしてる場合じゃないってのに!!
 悪態をついて追いかける。

 彼を追いかけるうちに、段々と錫に導かれているように思えてきた。
 弱小でも妖の錫なら確かに竜の気配を察知することは出来るだろう。
 けれども、有間達の目的を錫はちゃんと把握しているのだろうか? その上で、有間達を導いているとでも言うのか。

 だとしたら、さすがに頭が良すぎる。
 これも前の主人の影響なのか……?


「アリマ、このままスズを追いかけるの?」

「案内してるかもって思ったら、とにかくついていくしかないだろ……!」


 有間は周囲の様子を窺いながら、錫を追いかけた。

 すると――――北へ抜け、森を抜ける。そして、山に入った。
 獣道を長巻で切り開きながら錫を追いかける。
 山道を登るでもない。山を東に回り込むような道を進んでいく。

 その道に何だか懐かしさを覚えてしまうのは何故だろうか。
 有間は胸中に広がる感覚に眉間に皺を寄せた。
 けれどもそれを遮るように、錫が鋭く鳴く。

 我に返った有間の視界に飛び込んできた鮮やかな色に、有間は速度を増した。

 《彼女》に向かって、猛進する。


「……っ山茶花ぁぁ!!」


 赤が、揺らめいた。



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