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ティアナが目を覚ましたのは、サチェグ達が結界の外へ出て暫くのことだった。
それまで、手持ち無沙汰な有間は地面におろした錫の腹をうりうりと撫でつけてやっていた。錫もそれが好きなのか、ご機嫌で有間にじゃれついた。これだけ人懐こいと、段々、人慣れしているだけではないように思えてくる。
「ティアナ、お早う」
「あれ……アリマ……」
ぼんやりとした顔で起き上がるティアナに、錫が挨拶とばかりに可愛らしい声で鳴いた。しかし、有間の膝によじ登って定位置のように座り込んだ。
その様に、ティアナは目を細めて笑った。
周囲にサチェグ達の姿が無いと知るや、首を傾ける。
有間はサチェグ達のことを話す前に、
「ティアナが寝たのはサチェグが術をかけたからだよ」
「え……どうして?」
「さっきね、酸与って言う厄介な妖が出てきたんだわ。アルフレートにも精神的ダメージがあったくらいだったから、サチェグの判断は正しかった」
「サ、サンヨ……?」
そこで、有間は酸与について説明を挟む。
クラウスや王子勢ならともかく、ティアナにはヒノモトの言語は解読出来ないと分かっていながら、地面に酸与の漢字を書いた。
ティアナはその文字を見ながら、有間の説明に耳を傾ける。
「だから精神的に、ってこと?」
「そ。ティアナだったら、多分発狂寸前までいくんじゃないかな。それに、微力ながら魔力があるから絶好の餌だ。妖にとって外国人の魔力は、滅多に食べれないご馳走なんだよね。うちにとっての肉類、みたいな感じ。ちなみに、さっきここに現れた酸与は五大将軍の一人里藤杵吉が妖化した奴なんだって。サチェグが占った結果」
「サトフジキネヨシ……って、確かザルディーネに来てたってアルフレートが言ってたような……」
「そう、そいつ。絶対接触した人間にトラウマ植え付けるタイプの蛇男。どうも、妖化を促進する要因になるような危ない薬を常用してたっぽい」
足でざっと文字を消し、簡単に酸与の姿を描いてみせる。
「これが、酸与。蛇の身体に六つの目、四つの翼、三つの足を持つ妖。これが飛んできて、一気に一帯の妖気は強まって、周辺の妖が騒ぎ出した」
「あ……だから皆いないのね」
「ひとまず近くのだけ駆除しに行ったよ。あとサチェグは、ついでにアルフレートに妖との戦い方でも教授するつもりなんじゃない? ここに来るまで、基本的に妖を倒してるの、うちとサチェグだけだし。ああ、あとティアナが寝ている間鯨さんが合流したよ。毒樹の駆除が早くに成功したんだって。ああ、鯨さんは無事だから。サチェグに対して思うところがあるっぽかったけど」
鯨のことをついでに伝えれば、彼女は安堵した。まあ、毒樹を目にした人間にしてみれば、如何に詳しい人物でもあろうと本当に無事で済むのか不安がるのも無理はない。
「そう……じゃあ、一緒にディルク殿下のところに行くのね」
「この先にディルク王子いるかうちには分からないけど、サチェグの采配に任せとけば大丈夫なんだろうとは思ってる。あんなんでも一応は鯨さんの師匠な訳だし。あんなんでも」
「アリマ、まだ言ってるのね」
「だってあんなんだぜ? あんなん」
飄々とした態度で爪を隠した能ある鷹――――そう言ってしまえば何だか格好良いような気がするので絶対に言わない。言いたくない。認めたくない。
有間は錫の背中を撫でた。
ふと、毛の下に妙に堅い感触を見つけて手を止める。
有間は錫の首根っこを掴んでティアナに渡し、感触のあった右足の付け根の毛を掻き分けた。
……石だ。何の変哲も無い、ただの石ころ。
爪で引っかいて取れるか確認するが、皮膚にぴったりと張り付いていて、無理に剥がすと皮も剥いてしまいそうだ。
少し気になって両手の邪眼を曝し、石に近付ける。
ややあって――――首を傾げた。
「アリマ? どうかしたの?」
「……こいつ、すねこすりにしては何か変だ」
手袋を装着し、石に触れる。
眉間に皺を寄せて顎に手を添えて錫の首根っこを掴んで持ち上げた。
「すねこすりのくせに……ここの石で何かを封印してある」
石を指差してティアナに確認させる。
ティアナは石に触れ、有間と同様に首を傾けた。
「封印って……何か分からなかったの?」
「ぱっと見た限り、複雑な術式を幾重も重ねてあるから相当強固な封印ってことだけ。何が封印されているのかまでは分からない。後で鯨さんかサチェグに相談してみるか……」
ヒノモトの術式のみで構成されているから、錫の元主人のかけた封術なのだろう。
錫の顔をじっと見つめていると、前足でぺしぺしと顔を叩かれた。地面に降ろすと、また膝の上によじ登ってくる。
「お前、すねこすりだよな、弱小妖怪の」
きゅうう。
錫は鳴いて答える。
当然だが、何を言っているのかは分からない。
‡‡‡
サチェグの指示で、鯨一人が別方向へ向かった。
サチェグと行動を共にすることとなったアルフレートは、彼に唐突に肩に手を回され、軽く驚く。のし掛かられて身体を前に倒した。
「殿下、そう落ち込まないで下さいよ。国が違うんスから、妖と戦えないのは当然のことですし」
「しかし、オレは……ここへ来て何も役に立てていない」
サチェグは小さく笑い、身を離す。ばしんと強く背中を叩かれアルフレートは声を詰まらせた。
「サチェグ」
「ま、ここまで妖が跋扈(ばっこ)してるとは俺も思ってなかったんですけど。けど、ちょっと状況が状況なんで、落ち込むのは止めといてもらえません?」
「分かっている」
「いやいや、分かってませんでしょう。俺が言ってるのはあんたが思ってることじゃないんスから」
サチェグは苦笑混じりに片手を振って、肩をすくめて見せた。
アルフレートはサチェグを見て怪訝そうに眉根を寄せる。
「それはどういうことだ。まさか、状況が悪化しているのか」
「まあ、悪化って言うか、だいぶ逼迫(ひっぱく)してるんスよね」
サチェグは目を細め、笑みを消した。
北の方角を見やり、
「あの酸与の行き先はディルク王子。確実に竜を喰らいに行ってる」
アルフレートは言葉を失った。
サチェグはアルフレートを一瞥し、双剣を見下ろした。
「明日には到着します。間に合うとは思いますが……そこに俺はいない。イサと殿下で酸与をどうにかして下さい。その為の手段は、ちゃんと用意しときますから」
サチェグは双剣を指差し、ジェスチャーで渡すように伝える。
それに従って渡せば、彼は双剣を鞘から抜いて地面に突き刺し、両手を翳(かざ)した。不可思議な形に手を組んで、何事かを早口に唱えた。噛みもせず、流暢(りゅうちょう)に。
すると――――双剣の刀身が赤く発光し始めたではないか!
火を受けた訳でもなく、淡い光を放つそれを抜き、サチェグは鞘を納める。
「うし。これで殿下も妖と俺達並に戦えますよ。……多分」
「多分、なのか」
「いや、さっき思いついた術なんでこれ」
……さっき思いついた術をかけるのか。
失敗しない自信があるからなのだろうが、有間や鯨と違い、まるでそうとは感じさせないおどけた熟練の邪眼一族は、飄々として、歩き出す。
「まあまあ、その為に今から妖を駆除しに行くんじゃないっスか〜。駄目だったら術式をいじれば良い話なんですし」
有間が聞いたら、足か拳か、銃弾が飛んできそうだ。
緊張感があるようで無い風にも見えるサチェグに、苦笑も浮かばない。
だが、一人でもこんな風におどけている人間がいてくれた方が、気分は楽だ。窮地に追い込まれても、多少なり楽観的になれそうだ。恐らくは、それがサチェグの目的なのだろう。
アルフレートは深呼吸をして、気を引き締めた。
「分かった。では、よろしく頼む」
「ええ。頼まれました。大親友と、その未来の婿さんの為にね」
サチェグは片目を瞑って、口角をつり上げた。
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